第15話 町並みと靴
「では、ここから歩きだな。あと五分くらいで着く」
自分の足が地面に着いても、未だ興奮がさめやらない。ヒイロくんも同じようで、未だきゃあきゃあ大興奮だ。まぁ、私たちの回りをガサガサ走っては、転ぶんだけどね。そりゃあ、私もまだ足がガクガクしてますもの。
見かねたジンさんが「危ないぞ」と片手で持ち上げる。そして、パチンと指を鳴らした。
途端、まるで冷たいシャワーを浴びたように全身がスッキリする。緩んだ頭がぴっちり引きつられる感覚に、触れてみれば頭の上にふっくらとしたお団子の感触があった。ベタベタだった衣服もサッパリ。ヒイロくんも見やれば、家出た時と同じように整えられている。
約束通り、綺麗にしてくれたらしい。
「ありがと――」
「口を借りるぞ」
ございます、と言う前に、ジンさんにキスされた。あっさりとした口付けの後、ジンさんはまた「うむ」と空いた手を顎に当てる。
「なるほど。『えいが』とはこのことか。猫の中に乗れるとは……ずいぶん奇怪だな」
「五十歩百歩という言葉はご存知ですか?」
大狼に変身する浅黒肌の銀髪イケメン魔法使いも大概なモンだい。
そんな皮肉を込めて発言すれば、またジンさんが私の頭を抱え込もうとするもんだから。私はとっさに身を引いて「気にしないでください」と視線を逸らす。
……慣れたとはいえ、心臓の強度にも限度があるんです。まだ。子供の前ですしね。
そして、本当に五分くらい歩いたら大きな門が見えてきました。木の塀で覆われた向こうには、土を固めて作ったような家々が見える。正直言って、ボロボロ。ちょっと怖い。
門の前には、いわゆるファンタジーな甲冑を着込んだ二人組。その男性にジンさんが大きめのコインを見せていた。それに「お疲れ様です」と会釈され、門を通ることを許可される。
「ご家族がいらっしゃったんですね」
「あぁ。可愛いだろう?」
門兵さんと顔見知りはいいですが……ヒイロくんだけでなく、私を見て「可愛い」は止めてください。ただの惚気じゃないですか……。ほら、ヒイロくんも初めての人に怖がって固まってますよ。下を向いちゃってます。
早く行こうと促すように、ジンさんの服を引く。すると、ジンさんが「それじゃあ」と歩を進めてくれ、私はほっと一息。だけど、変なものが目に入る。話してない方の門兵さんが驚いたようにたじろいていたような……? 足を止めるのも変だから、私はジンさんに着いていくけれど。
森とは違い、平に固められた土の上を歩きながら、ジンさんが話す。
「ここは住宅街だな。基本的にこの『ランクル』は交易の町だ。どこの国にも属しておらず、小さな独自の中立区、といった所か。とある豪商が商人ギルドとして独自区画を取り仕切っている」
乾いた風がカタカタと屋根の瓦を揺らしている中、ジンさんの説明は続く。
北部は森に覆われているが、残る三方はそれぞれ国がある。それらの中間地点として、様々な交易品を扱う貿易商が集っているらしい。
ジンさんに抱っこされたままのヒイロくんは、まわりをキョロキョロしていた。ひび割れて斑な赤褐色のレンガを覗かせる家の壁や、いかにも外れかけて曲がっている窓は、確かに珍しいよね。私も初めて。日本でもたまに古い一軒家やアパートはあったけど、ここまでボロボロの家はなかった。これじゃあ、地震が来たら一発でぺしゃんこじゃないかなぁ。
そんな私たちの視線に気づいてか、ジンさんは少し声を潜めて言う。
「ここは、そんな商店の比較的貧しい従業員たちの家だな。この時間は皆働きに出ているから静かだが、夜になれば家の明かりも灯り、もっと活気が出る。酒場もあるしな」
ふーん……この世界の下町、みたいなものなのかなぁ? この寂れた雰囲気と一度だけ経験したチェーン居酒屋のガヤガヤ感を照らし合わせても、今ひとつピンとしない。
「裕福な商人たちは、直接商店の上に住んでいるか、もっと違う地区に豪華な家を建てている。もう少し歩いたら、商店街が見えてくるぞ。ここらとはまるで趣が違って、きっと楽しい!」
でも、ジンさんが少しでも私たちを楽しませようとしてくれてるのは、ぎこちない笑顔で嫌でも感じるから。だから私も、辛気臭い怪訝さを出すのはやめて、話を変える。
「へぇ……さっき見せていたコインが、通行許可証みたいなものなんですか?」
「あぁ、俺の身分証だ。俺ははぐれの魔法士として、出稼ぎしていることになっている。だから何か聞かれたら、きみもそれらしく話を合わせてほしい。とは言っても、子供が出来てから森の中で暮らしている、で構わないが」
「魔法士?」
私が疑問符を返すと、ジンさんは「そうだな」と顎に手を当てる。
「的確に示すきみの言語が思いつかないが……この世界でも、魔法を使えるものは限られていてな。各地で重宝されている。どこの国や貴族にも属さない魔法士は珍しいが……この世界を管理する立場だ、なんて言えないからな」
そりゃあ、神様に仕える精霊なんて言ったら大変なことになるのは想像できるよね。前に聞いたシュートメさんの話からしても、崇め奉られればいいってわけじゃなさそうだし。
何だっけ? 人間に対して平等でなければならない? 精霊も何やかんや大変そうだ。
それを鑑みても――ジンさんの立場はなんかこう……
「便利屋さん、みたいなもんですね」
そう発言すると、「ふむ」の一声とともに視界が黒くなる。唇の感触から、キスをされたのだろう。我に返った時には、隣でヒイロくんを抱えたジンさんが苦笑していた。
「そうだな。便利屋ジンさんだ。けっこう儲けているから安心していいぞ?」
もう……私の思考読み取るなら、そう言ってください。口で説明しますから。外なんだし。ヒイロくんもいるんだし。私たちを気にせずキョロキョロしているようだけど。
でも気まずいから、話を変えます。
「私たち以外に森の中に暮らしている人、いないんですか?」
「もう少し町に近い場所になるが、変わりモノ好きな貴族や豪商たちの別荘がある。まぁ、普段は会うことがないよう結界を張ってあるから……さしずめ、きみも金持ちの奥様と言ったところだな」
「なるほど?」
奥様――ちょっとアダルトな雰囲気もする単語が、まるでしっくりこない。奥様。私が、奥様? 今日はけっこうオシャレしたつもりだけど、水玉スカートにお団子頭の奥様?
ヒイロくんがジンさんの腕の中でもがき始めた。まるで飛び降りるかのような動きに、ジンさんがとっさに調整してヒイロくんを下ろす。すると「おいつー!」とてけてけ走り出した。
「『おいつ』ってなんだ?」
「何でしょうね?」
ヒイロくん言語は、正直半分わかるかどうか。だけど興味ある何かが現れたのは、確かな事実のようで。
「走れるか?」
「えぇ」
「何なら、俺が抱えてやるぞ?」
「ん? いつも普通にヒイロくん追っかけ回してますよ?」
今日の靴はいつもと違い、少しだけ踵のある靴を履いている。でもヒールも太いし、革も柔らかいからは履き心地は抜群。足首と甲の部分にストラップも付いているから脱げる心配もないしね。
「……もっと歩きづらい靴を用意するんだった」
「え?」
私の足元を見てジンさんがボソッと呟いた時、「おいでー」と可愛い声がする。
少し先で、立ち止まったヒイロくんが「ままー。ぱぱー」と手招きしていた。だんだんとまわりの家々も立派になっており、気が付けば地面も少しずつ石で舗装されている。そして、何か美味しそうな匂いがする。おいく……そうか、きっとお肉だな。香ばしくも甘そうな匂いに、腹の虫がそわそわし始める。
そういえばお腹も空いたなぁ、と私がお腹を押さえると、その手がジンさんに引かれる。
「行くぞ。見失ってしまう」
いや、ヒイロくん待ってくれているけど……?
でも見上げた精悍な横顔が少し泳いでいたから。私も気恥ずかしながら「そうですね」と応えて。ほんの少しの距離、大きな手に繋がれて、私たちの子供の元へと走る。
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