第14話 秋晴れと〇〇バス




 案の定、翌朝起きたヒイロくんは大興奮だった。


「おでかけー?」

「そう、町にお出かけねー。ママも準備するから、ちょっと待っていられるかなぁ?」

「あーい!」


 とても良い返事である。だけど顔を洗ったり着替えたり、髪を結っている間も、用を足す時も、ずーっとヒイロくんは私にべったりだった。


「……大丈夫か? ヒイロは俺が抱っこしてるぞ?」

「大丈夫ですよ。パパは準備できるまでのんびりどうぞ。せっかくのお休みなんですから」


 出かける前から肩で息をしているが、お出かけはこれからなのだ。


 今日はみんなでおめかししていた。私は襟が大ぶりレースの白ブラウスに、ふんわりした水玉のロングスカート。ジンさんも白いシャツに革のベスト。そして私と同色の紺色のズボンを履いている。ヒイロくんも白いシャツに紺色の水玉ズボン。全部ジンさんが用意してくれたものだ。


 今日もお出かけ日和のいい天気だった。だけど、やっぱり空気が冷たくなってきたな。


 玄関を出た時、ジンさんが肩に大判のストールを掛けてくれる。


「首元が寒そうだ」

「あ、お気遣いありがとうございます」

「……よく似合っている」


 ボソッと言い残して、ジンさんは背を向けてしまったけれど。


 何の素材かわからないけど、少し毛羽立って編まれた白と赤の生地が温かい。お団子頭にして正解だったな、なんてそのストールに顔を埋めていると、ヒイロくんが「おでかけー!」と私の足の間から這い出ていく。


「もう、ヒイロくんっ! せっかくのお洋服が――」


 汚れちゃうっ、と叫ぼうとした時だった。そんなヒイロくんの襟首を掴んで、ジンさんが空高く放り投げる。えっ、と声を出す暇もなく。次の瞬間には、ジンさんは巨大な白いオオカミの姿になっていた。その首元にヒイロくんがポスッと落ちる。当然、ヒイロくんは大喜びだ。


「へ?」

「何している? 早くママも乗るといい」


 ぽかんと疑問符を投げると、白銀の大狼の首がこちらを向く。この姿を見たの、そういや久々だなぁ。と、ちょっと脳内は現実逃避。だけどジンさんの黄金の瞳が細まり、ジンさんの鼻息で私の後れ毛がふわっとなびく。


 出会った時もこんな感じだったな。あれから半年以上経ったのか。ふふっ、あっという間だったな。あの時は春だったっけ? 本当、つい数日前のことのよう。日々目まぐるしくて、覚えていないことの方が大半だけど。


 ――さて、現実に帰ろう。


「え、パパに乗るの?」

「歩いて行くと、半日以上かかるぞ?」

「パパに乗ったら?」

「半刻……きみ基準だと三十分だな」


 そりゃあ、乗るしか選択肢ないぜ。

 でも、それでも私は俯いた。


「も、申し訳ないのですが……私、大型の乗り物が苦手でして。両親を亡くした時、バスって乗り物に乗っていたものですから……」


 それは、小さい頃に両親を亡くした事故のせい。その時のトラウマで、大型バスや飛行機に乗るのが苦手だった。これでも、多少は克服したのだけど……それでも、乗らずに済むなら越したことはない。


 足を竦ませる私に、ジンさんは言う。


「大丈夫だ。俺は絶対にきみやヒイロを危ない目に遭わせない」

「で、でも――」

「もし事故とやらがあれば、俺を殺してくれて構わない」


 いやあ、そんな物騒な申し出される方が恐ろしいんですけど⁉


 だけど……そこまで真剣に言われて「でも怖いです」と言い出せるほどの度胸もない。


 ええい、ままよ! と、大狼ジンさんに近寄ると、仕事帰りのジンさんの臭いがした。そうか、この汗の臭いだと思っていたのは、獣の臭いでもあるんだな。


 ジンさんがこれでもかと地面に寝そべってくれる。それでも……私の身長より高いぞ?えっ、どうやって登れと? 


 白銀のもふもふの気を掴んだり引っ張ったりしていると、ふんっとジンさんの鼻息を感じた。見やればすぐ近くに黒い鼻があり、牙がぐわっと現れる。


「えええええええ⁉」


 ちょっとジンさん、さすがにその姿でキスは――⁉


 と、恐怖心は一瞬。身体を横から咥えられて、ぽいっと背中に放り投げられた。もふもふの上に着地したから、全然痛くありません。だけど洋服はよだれでベタベタ。てか、たっか。そりゃあ、寝そべって私以上の高さあるんだから、立ったら足の分もっと高くなるよね。ちょっと……いや、もうすでにかなり怖いんですけど?


 もちろん、私の機嫌と体温は急降下。私も思わず真顔で、名前呼びに戻ります。


「……ジンさん?」

「すまない。町に着く前には綺麗にする」


 ――今すぐじゃないの⁉


 そんな文句を言うよりも早く「しっかり捕まっておけ」とジンさんは駆け出してしまう。えぇ、そりゃ必死に捕まりますともよ! もう毛を引っ張るとジンさん痛いのかなぁ、なんて気にしません。当然の如く私の前にすっぽり収まっているヒイロくんを片手で押さえ、もう一方の手でジンさんの首周りのいっそうふかふかした毛をごっそり掴みます。


 だけど、風圧! ブォオオオッて全身が後ろに持ってかれる! 髪がああああ。せっかく結んだお団子が崩れるうううううう。


「きゃあああああああああ」


 きゃあああ、じゃないよヒイロくん! 口閉じて! なんでそんなに楽しそうなの⁉ 


「てか、ヒイロくん怖くない⁉ パパのオオカミ初めて――」

「ぱぱ、たのちーっ‼」


 ……そうですか。楽しいですか。勇敢な息子を持って、ママは毎日ヒヤヒヤですよ。


 あーもうっ。こっちは唇もブルブルするし、目も痛くてろくに開けていられないのに!


「ママはもっと身を低くした方がいい。そして目を開けてみろ。爽快だぞ?」

「はあああああああ?」


 さらに私に何かしろってか。ちくしょー、と自棄っぱちでヒイロくんの上にのしかかるように身を低くする。ジンさんの上でヒイロくん挟んで、うつ伏せになる感じ。もちろん、ジンさんの鬣は引き千切る勢いで掴む。


 すると、どうだろう。風圧がちょっとマシになった……? おそーるおそる顔を上げてみると――あまりの快感に、私は思わず感嘆の声を零す。


「おお!」


 木が避けていた。私たちが通る直前で、赤や黄色に色付いた木がぐおっとしなるように曲がる。次から次へと、私たちに道を作るように自然が動いてくれる様は、確かに爽快で快感。そう思えば、この風圧もまた楽しくなってくるから不思議だ。


「どうだ、凄いだろう?」


 誇らしげなジンさんの声に、私も心から同意する。


「はい! うわぁ、すご。映画みたい! ねぇ、ジンさん。木の上をぴょーんぴょーんって走ることは出来ないんですか?」


 あまりの興奮に我ながら突拍子もないお願いをすると、ジンさんの鼻息が荒くなった。


「ふっ、町に近づくまでだぞ?」 

「おおっ⁉」


 そして、ジンさんがザザッと強く落ち葉を踏みしめ――私たちは、秋晴れを駆ける。




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