第10話 来客と「じんたん」
私は悩んでいた。こちらの暦でいえば『夏の一○一日目』。私的に言えば、九月の上旬も終わろうとしている頃。残暑は日本よりも厳しくなく、寂しい夏の終わりと心地良い秋の訪れを味わう季節だ。
だけど、
「じんたん」
「パパね」
「じんたん!」
「だから、パパだってば」
「じんたーんっ!」
玄関にて。以前撮った(作ってもらった?)家族絵をヒイロくんと見ていたら、白布を被ったジンさんを指差して、ヒイロくんが「じんたん」と言った。
記念すべき第一声である。成長的には、もうすぐ二歳相当のヒイロくん。従姉妹ちゃんは一歳半の頃から色喋っていたから、内心焦っていたけど、これは大きな第一歩だ。
まぁ……「ママ」じゃなかったとショックを受けないわけではなかったんだけど、そこを敢えて父親に譲るのが母親の度量というか? ……でも、やっぱりいつも一緒にいるのは私だからね。近いうちに「ママが一番好き」とジンさんいない所で言わせてやる。
――とまぁ、私の密かな野望はおいといて。さすがに父親を名前呼びはどうかと思うの。
私はしゃがんでヒイロくんと目線を合わせる。そして論理的に、だけど笑顔で説明しようとした。
「ジンさんはね、ヒイロくんのパパなんだよ?」
「じんたんっ!」
「ジンさんもヒイロくんに『パパ』って呼んでもらえたら、嬉しいと思うなぁ~」
「じーんーたーんーっ‼」
……あ、赤い目がうるうるしだした。このままじゃ泣く。ぷくーっと膨れたほっぺが、そろそろ決壊してしまう。
「……そうだね。じんたんだね」
「じんたんっ」
私が肯定すると、ヒイロくんの顔がぱあっと華やぐ。うん。今日も世界で一番可愛いな。ティーシャツにつなぎズボンの姿がまたいいよね。まだ足が少し短い所がまた天使。
だから、しょーがない。どちらにせよ、こちらが判別できる単語を話せるようになったのは、大きな進歩なのだ。どのみち、そろそろ夕飯の準備をする時間だし。まだサイズや柔らかさは調節するけど、いっちょまえの食事を食べるようになってきたヒイロくんである。今日はヒイロくんが気に入っていたウインナーで、ポトフでも作ろうかな。
「それじゃあ――」
ヒイロくんとリビングに行こうとした時である。玄関の鐘がカランカランと鳴った。私が振り返るのと、扉が開くのは同時。
「アラぁ。お出迎えとは殊勝じゃないの~」
ド派手なオネエさまが、そこにいた。紙袋やバスケット等、これでもかと荷物を抱えたオネエの頭は水色のモヒカン。褐色肌の所々にラメが散りばめられ、艷やかなアイシャドウはピンク。口紅は黄色。暑くないのか白黒ストライプの毛皮コートをたおやかに着込んだ身長は、後ろで困り顔のジンさんよりも高かった。
「……急な来客ですまない。彼が俺の先輩だ」
ジンさんもまた、同じように多くの荷物を抱えている。私が固まっていると、ヒイロくんが私の足に縋り付いてきた。隠れるように、顔も私の脚に押し付けている。……そうだよね。怖いよね。私もちょっと怖いよ。
……だけど、ジンさんの先輩なんだって。
「い、いらっしゃいませ……」
色々思うところはあるけれど、亭主の上司ならそれなりの対応をしなくちゃならない……よね? 辛うじて挨拶を絞り出すと、オネエは「ウフフ~」と笑いながら赤いピンヒールを脱ぐ。あ、きちんと靴を揃えてくれた。そしてズカズカ近づいてくる。
「ねぇねぇ、アタシの姿ど~お? 人型になるのなんて久々でさぁ~、ちょ~っと気合いれちゃったぁ~」
「え、あ……イイと思います……」
「でしょでしょ~♪ ふふっ、アタシのセンスは千年経ってもムッテキ~♪」
そしてご満悦のオネエは、会話の対象を私の脚にくっついているヒイロくんへと変えた。
「そんで、アンタが例の勇者クンね。はじめまして~」
オネエがヒイロくんの頭を撫でると、ヒイロくんは私のズボンを握る力を強める。目にいっぱい涙を浮かべた目で、オネエをじーっと見上げていた。
思わず、私は言葉を挟む。
「すみません。この子、人見知りみたいで」
「そうみたいねぇ~。まぁ、それだけ賢いってことデショ。あ、リビング上がってもイイ?」
「え、あ……ろくに片付けも出来てないんですけど……」
「アハッ。こんなちっこいコがいて部屋が綺麗な方が、どーかとと思うわよ。それじゃあ、お邪魔するわね~」
「あ、で、でも――!」
そうは言われても、さすがに人に見せれる状態じゃあない。私が慌てて引き留めようとする手前で、そのオネエが立ち止まる。
「あ、これが例の家族写真? ウププ~、本当に玄関に飾ってあるのね~。アンタら、どれだけ家族自慢したいのよぉ?」
吹き出しているオネエに応じたのは、今までほぼだんまりだったジンさんだった。
「めちゃくちゃ自慢したいっすね」
その恥ずかしすぎる返答に、私は思わず顔を背けてしまうけれど、
「アハッ。じゃあ、アンタの奥さんが部屋を片付けている間、ここで自慢バナシ聞いてあげる~。勇者くんはアタシが抱っこしてあげようかしらねぇ?」
オネエがヒイロくんを軽々持ち上げる。無理やり私と引き剥がされて、ヒイロくんの我慢はふぎゃああああと決壊するけれど。
オネエは「ほら、今のうち」と私にウインクを飛ばしてきた。
とっ散らかった玩具を箱に詰め、テーブルの上だけざっと拭く。そして自分がジャージ姿だったことを思い出し、慌てて着替えてきた。シンプルな大ぶりシャツ型ワンピースにレギンスだ。
急いで玄関に戻った時には、ヒイロくんはジンさんに抱っこされていた。何かモグモグ食べている。いのいちばんに声を掛けてきたのは、オネエだった。
「あら、ご苦労さん。そして悪いわねぇ~、勝手にチョコレート食べさせちゃったわよ。初めてだったかしらぁ?」
チョコレート……この世界にあったの?
ジンさんにクッキーは出してもらったけど、チョコレートは出してもらったことないな。
そうポカンとしていると、オネエが私の口に何かを押し込んでくる。確かにチョコレートだった。甘い口溶け。何層からも広がるガナッシュやカカオ。洋酒の香り。これ、絶対高いやつ! デパ地下とかでしか買えない一粒五百円とかのやつ! 実際、オネエは多くの荷物を抱えながらも、器用にオシャレな小箱を持っている。
私が口を押さえながら目をパチクリしていると、オネエがそこからパクリ。「あら美味しいわ」とジンさんの口にも押し込む。ジンさんも「美味いっすね」とモグモグ。
そこで、オネエが「あっ」と付け足す。
「あ、ちゃんと勇者クンにはお子様用のやつをあげたからね。きちんとアレルギーないことも確認してあるから、安心してちょうだい」
「確認……?」
アレルギーの確認っていっても、私が席を外したのは十分しない程度。そんな僅かな時間じゃ反応もなにも――と思っていると、オネエは言う。
「アタシねぇ、これでも『知』を司る精霊なのよぉ~。だからこの世に存在するありとあらゆる存在や現象について熟知しているから、安心してちょーだい。地球にっぽん育ちのミツキ=アカツキさん?」
地球。日本。そして私の名前――その懐かしくも恋しい響きに、思わず胸が爆ぜる。ミツキ=アカツキ。苗字と名前の順番が外国風なのは、この『ナハトーム』に合わせたのかな?
だけど、そんなこと聞く暇もなく、
「このチョコも日本のデパートで買って来たものなのよ~」
と、オネエはチョコの残りを私に押し付けて、ルンルンとリビングへ入っていった。
私はゆっくりとジンさんとヒイロくんを見る。ジンさんはいつも通り、綺羅びやかな仕事を服を着ていた。そして銀色の眉をしかめる。
「本当に急ですまない。先輩が来ると言ってきかなくて」
「それはまぁ、仕方ないですけど……」
あの勢いだ。無理もないと苦笑を返す。だけど、やっぱり説明は欲しいもの。
「でも……『知』の精霊? ていうのは本当なんですか?」
「あぁ。あの方はすごいぞ。神にも一番の信頼を置かれていてな。精霊としても、もう三万年存在しているから、現神の忠臣の中でも一番の古株だ。次期神候補としても名高いな」
「……ジンさんも、その忠臣なんですか?」
なんか凄そうな単語や数字が並んだけど、だからこそ実感が湧かない。私が質問を重ねると、ジンさんは「まさか」と笑った。
「神に忠誠を誓ってはいるが、俺はまだ下っ端の下っ端だ。俺は『ナハトーム』だけが管轄だが、先輩は『ナハトーム』含め、一〇八の世界を統括する任に就いている。先輩のようになれるの日は、いつになることやら……」
うーん……つまり精霊世界を私のバイト先だったレストランだと考えると、ジンさんが店長で、あのオネエが支店長や〇〇部長みたいになるのかな? それで神様が社長。
なるほど、と納得してみると、ジンさんが胸を叩く。
「だけど、案ずるな。きみに何一つ苦労はかけるつもりはない――と言いたいが、今日は本当にすまない」
あ、ジンさんがしゅんと項垂れた。尻尾がある時なら、へたれているに違いない。
そんな可愛い顔をされたら、私は励ますしかないよね。
「大丈夫ですよ! それに……なんか悪い人じゃない気がするんですよね」
圧はハンパないけど、言葉の端々が私を気遣ってくれているし。お土産であろうチョコレートは絶品だったし。「ちょっとミツキー! 勝手にお茶淹れていいのぉ~?」と声をあげてくるけど、これはきっと待たせている私が悪い。
「あ、今淹れますっ!」
私は大人しくジンさんにしがみついているヒイロくんをひと撫でして、リビングへ向かう。さて、旦那の上司とやらをもてなさなきゃね。
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