1歳、夏
第8話 家族写真と「うー!」
ふとした瞬間、赤ちゃんはあっという間に大きくなる。
もちろん少しずつ育っているのだろうけど、毎日見ているからか気が付かない。だから、本当に些細な瞬間。抱っこしてなんか重たいなーって思ったりだとか、ベビーベッドに置いた時に長くなったなーとか。そんな時、ちょっとした達成感と愛おしさで胸の中がじんわりする。
もう声を出して要求するようになっただけでも、人間味がかなりアップした。
「うー!」
「あ、ミルク? 今お湯沸かしているから待ってね」
「うー」
「うんちしたの? じゃあオムツ替えてからミルクにしようか」
「うーうー」
「抱っこは待ってよ。せめてオムツ捨ててからね。くちゃいくちゃ~い」
ミルクのお湯を沸かしている間に、オムツを替えて。抱っこからの要求を適当に逃れながら家事を進めるような毎日は、本当に目まぐるしく過ぎていく。
そんな葛藤を横で見ているジンさんは言った。
「きみ、よくヒイロの言葉がわかるな」
「わりかし適当ですよ?」
でも、やっぱり普通の四倍の成長はあっという間だ。私はある光景に目を見開き、ジンさんの腕をぺしぺしする。当然、ジンさんは人型だ。今日も浅黒い肌に長い銀髪が勇ましくも神々しい、美丈夫である。
「ジンさん! ヒイロくんが歩いた! 歩いてる!」
「うむ……人類の進化を見ているようだ。感慨深いな」
て。て。て。て。拙い足取りで、私の元まで一歩、二歩、三歩、四歩。そして私の足へと倒れ込むようにしがみつく。まだまだ短いむちむちの腕と手で、私の太ももにぎゅーっとくっついた。そして、にぱぁと顔を上げる。
「うー」
「すごいねぇ。もう歩けるようになったんだねぇ」
え~何この生物。可愛い♡ すごいよ。天才。こんな可愛いのに、もう歩いた。
私が撫でるのは、ふわふわの金髪が猫っ毛。見つめ合うのは、くりくりとした真っ赤なお目々。思わず食べちゃいたくなるのは、まんまるのふんわりほっぺ。天使だ。天使がここにいる。あー可愛い。日に日に可愛い。
だから、私の顔が緩んでも仕方ないよね。
「はうわぁ……ジンさん。カメラってないんですか。カメラ」
「かめら? 少々借りるぞ」
そうして勝手に唇を借りられることにも、もう慣れてきた。……少なくとも、キスされている間に目を逸らせるくらいには。やっぱり恥ずかしいからね。あの凛々しい黄金の瞳を直視したり、目を閉じて唇の感触を堪能する勇気はないです。だから不自然に見やるのは、リビングの壁に掛けてあるカレンダー。
カレンダーも作ってもらった。ありがたいことに、一年間の感覚は日本とほぼ同じだった。一年は三六〇日。それを四季で割って『春の〇〇日目』という感覚だそうだ。でも、正直わかりづらい。そう文句を言ったら、ジンさんが私だけの特別仕様にカレンダーを作ってくれた。
今日は七月の一週目。ヒイロくんらと出会ったのが四月の二週目だったようだから、もうすぐ三ヶ月経とうとしている。ヒイロくんの生誕は四月一日とのことなので、現在は一歳相当ということだ。
ジンさんの唇が離れる。またすぐ指パッチンしてくれるかと思いきや……珍しく動かなかった。私はヒイロくんを抱っこしてから、首を傾げる。
「どうしましたか?」
「いや……目に見える光景を切り取る手段が難しくてな。大抵の『家電』は動力を魔法に置き換えたり、この世界で似たような材質のものを変化変質させていたから問題ないのだが、さすがに世界そのものを静止状態で切り取り保存することは世界の理から逸脱した行為であるからして――」
「そんな大事じゃなくていいんですけど……見たものを正確に描写することは出来ないんですか? ちょーリアルな絵、みたいな」
「絵画か?」
すると、ジンさんは私とヒイロくんの上から下までジロジロ観察し始める。あ、あの……私も用意してもらったジャージ姿ですし、髪もボサボサで……しかもヒイロくんに「うー」と引っ張られている状態なのですが?
それでも、ジンさんはパチンと指を鳴らす。すると、突如壁にドンッと額縁に飾られた絵画が出てきた。油絵のような質感で、笑顔の母親と赤子が描かれている。うん、美術館に飾られるような立派な絵に自分が描かれているとか、こっ恥ずかしいな⁉ でも自分でいうのも何だけど……とても幸せような絵だね。嫌いじゃないよ。
だけど、
「これでいいか?」
そう尋ねてくるジンさんに、私は首を横に振った。
「だめですね。お父さんが足りません」
「……俺のことか?」
「当たり前じゃないですか。私たちの家族写真なら、ちゃんと三人でないと」
「ふ、ふむ……」
すると、ジンさんは気恥ずかしそうにもう一度指を鳴らす。すると、その絵にもうひとり、母と子を後ろから見守る男性が追加された。
「こ……これならどうだ?」
実物の方がイケメンだね? しかも頭から白い布を巻いて、顔が隠れているとかズルいぞ。今、別に頭に何も被ってないじゃんか。女の私が見惚れちゃうくらい綺麗な御髪でございますのに、隠すなんてずるいと思います。
まぁ、絵から不自然に視線を逸しているリアル姿が可愛いので、黙っておいてあげますが。まったく……デカイ図体して、変な所恥ずかしがるんだから。
「いいじゃないですか。でもリビングにデカデカ飾ってあるのは、さすがに恥ずかしいですね。他の場所に飾りましょうよ」
「それなら、玄関にしよう。帰ってきて一番に見える所だ!」
うん、来客がいのいちばんに家族絵見るのもどうかと思いますけどね? でも何やかんやジンさんが嬉しそうなので、それでいいです。
ちょっと思っていた『写真』とは違うけど……どうせなら、定期的に家族絵が増えていったらいいなぁと思ってた時、時計の鐘が鳴る。昼間の定時にだけ鳴るようにしてもらった振り子時計も、時間の概念が大雑把なこの異世界『ナハトーム』で、ジンさんが私だけのために作ってくれたもの。お昼の十二時。ヒイロくんにご飯をあげる時間だ。
「ヒイロくん、ご飯作らなきゃいけないから、一旦下ろすね」
私がヒイロくんを下ろそうとすると、ヒイロくんが「やあああ!」とジタバタする。でも、ここで甘えさせてたら、永遠にご飯は出来ない。
「ヒイロくん、ちょっといい子にしててねぇ」
やんわり諭しつつ無理やり下ろそうとしていると、ジンさんが両手を出してきた。
「俺が代わろう」
「……いいんですか?」
だって、ジンさんは一週間ぶりのせっかくの休みなのに。見てくれるのは助かるけど、そこまで甘えていいのかな? ただでさえ、いつも色んなものを頂戴しているのに。
それでもジンさんが「ほら」と急かしてくるから。
ヒイロくんを受け渡す時に、若干ジンさんの手が私の胸に触れる。でも、気まずかったのが遠い昔のよう。ジンさんも抱っこ姿が板についている。三ヶ月前とは違い、普通に縦抱っこできるしね。ヒイロくん、今度はジンさんの髪が気になる様子。まぁ、頑張れ。
私はキッチンに向かって、ご飯の準備だ。私たちのご飯も用意しないとね。ヒイロくんのは、昨日作ったシチューにパンを煮込んで粥状にしたもの。シチューは当然薄め。具材もまだ歯が生え途中のヒイロくんに合わせて小さくしてある。多分、少し離乳食の進みは遅いのかなぁと思うけど……正直ヒイロくんの成長が早すぎるのだ。多少のズレは仕方ないよね? 今までアレルギー反応がないだけ万々歳。
ついでに私たち大人の食事は……何にしようか。これまた昨日の残り大人用シチューと、ハムサンドでいいかな。昨日ジンさんが持って帰ってきてくれたハムが美味しそうだったんだよね。バケットみたいなパンもあるし。
そこで、パンを切りながら声を掛ける。
「そういやジンさん。この世界って、もっと柔らかいパンってないんですか?」
「柔らかい?」
「粥にしないで、ヒイロくんにも普通にパンを食べさせてあげたいんですよね。でも、ジンさんが持ってきてくれるパン、たいてい固いので……」
フランスパンやバケットは、まわりはもちろん固く、中の白い部分もみっちりもちもち。私は好きだけど、赤ちゃんにはやっぱり食パンのようなふわふわの方が最初はいいのかな、と……。
今度は服を引っ張っているヒイロくんに、ジンさんは手近の積み木を渡す。それをジロジロ見てから、かじかじするヒイロくん。おもちゃによだれが付くのなんか、今更だ。そんなヒイロくんをジンさんは床に置いて、こちらへやって来た。そしてカウンター越しに手を伸ばしてくる。
「口を借りるぞ」
私も包丁を置いて、首を前に出した。大きな手が頬に添えられる。視線でちょこんと座ったヒイロくんを見ている間に、チュッと接吻は終了した。
「あぁ、四角い形状はほとんど作られていないが……似たような食感なら丸パンがいいだろう。南方の町で売っていたと思うから、今度買ってくる」
「お願いします。ところで、いつも買ってきてくれてたんですね?」
てっきり、ジンさんが指パッチンで用意してくれているのかと思っていた。ミルクやクッキーといい、食べ物もよく出してくれるし。
だけど、ジンさんは苦笑する。
「俺が毎度作ってやりたい所だが、正直ゼロから生成魔法を使うのはラクではない。買って来れるものは、今後も購入させてくれると助かる。少しでも経済を回したいしな」
「お任せしますよ。でも、町ごとにパンの種類が違うんですか?」
「あぁ、いつもは比較的貧しい北方で調達してくるのだが……砂漠地帯なのに湿度が高く、水分量の少ないパンが主流となっている。対して、南は温暖で生活しやすい地域が多い。他国との交流も盛んだから、様々なものが販売されている」
「へぇ。砂漠なのにジメジメしているって、なんか不思議ですね」
「砂漠化の原因が魔族討伐時の戦争が故だそうだからな。その時発生した瘴気が原因で、植物が育つ気候が整っていようとも、草木が成長してくれないらしい。かといって、枯らしておくには惜しい広さだ。難しい問題だ」
「そうですねぇ……」
……はい。私にとってもさっぱりわからない問題です。
だけど、ジンさんも神様――精霊様として大変なお仕事しているんだなぁってことはわかる。私に出来ることは、せいぜい美味しいものを食べさせてあげることと、ジンさん不在時もしっかりヒイロくんを育てることくらいだね。
さて、パンを切り終わったから、ハムを挟もう。シチューも温まったから火を止めて……うん。ヒイロくんの分のパン粥もいい感じだね。
ジンさんが私と私の手元をキョロキョロしている。どうしたんだろう?
「どうしましたか?」
「いや、俺に何か出来ることはないかと思って」
「別に……あ、そうだ。ジンさん、今日一日お休みなんですよね?」
「あ、あぁ。そうだ! 今日はずっと家にいるぞ! 薪割りでも火起こしでも、なんでも扱き使ってもらって構わないっ!」
「あはは、おかげさまで薪割りも火起こしも必要ないじゃないですか」
便利快適ハイテク環境。改めて――この異世界で、ジンさんがいなかったら生活どうなっていたんだろう――て、想像もしたくないけど。
私は前々から考えていた提案をする。
「ご飯食べたら、みんなでお散歩に行ってみませんか?」
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