第7話 涙となまえ②

 いきなり発せられた『失格』という言葉に、私は疑問符を返した。


「何がです?」

「父親としても、きみの夫としても」


 長身の美丈夫が、項垂れて肩を落とす。その姿が、なんとなく『あの姿』を彷彿させた。


 だから、私は提案する。


「ねぇ、ジンさん。またあの犬の姿になれないんですか?」

「犬? 俺はフェンリル……オオカミの精霊だぞ? しかもきみは出会った時、怖がっていたじゃないか」

「まぁ、いいからいいから」


 私が「ね? ね?」とお願いすると、ジンさんは「うむ」と目を閉じた。そして、ボンッとジンさんの姿が消え――代わりにリビング全体に寝そべる大狼が現れる。真っ白な毛並みが相変わらず豊かだ。私は赤ちゃんを抱っこしたまま、その身体を背もたれにするように座る。あーもふもふ。温かくて気持ちいいなぁ。背中をうりうりしちゃう。


「な、何をしているんだ……?」


 戸惑うようなジンさんの声に、私はくすくす笑った。耳が垂れて、尻尾がへなっとしているわんちゃん――じゃなくて、フェンリルさん? でもそんな子がいたら、撫でるしかないよね。でも、私の手は赤ちゃんに貸しているから、代わりに背中でうりうりだ。


 ま、こっ恥ずかしいから気付かないでくれていいんだけどさ。


「何でもありませんよ。ただ疲れたので、もふもふしたかっただけです。寝心地いいんですよ、これ」

「仮にも精霊である俺を『これ』呼ばわりするのは遺憾だが……この程度で癒やされてくれるのなら、いくらでも使うがいい」

「ありがとうございます――あと、先程は寝かせてくれてありがとうございました。おかげで頭痛が治りました。ずっと辛かったんですよね。八つ当たりしてすみません」


 重ねて謝辞を述べれば、ジンさんの声音が沈む。


「謝らないでくれ……俺では短時間代わりを務めることも出来なかった。母親でないから仕方ないと思っていたが、それも言い訳にはならんようだ。ただただ、俺は不甲斐ない」

「さっきは偉そうなこと言っちゃいましたけど……私も似たようなもんですよ?」


 たまたま、泣きつかれて寝てくれたからいいものの……何をしても泣き止んでくれなくて、不毛な夜を何度も過ごした。だからこその寝不足だったのだ。


 だけど、ジンさんは言う。


「しかし、さっききみは泣いていただろう? 俺みたいな夫で後悔したのではないのか?」

「え?」


 泣いていたというと……階段の上で泣き笑いしていた時かな。それを気に病まれると、私も笑った罪悪感に苛まれるのだけど……。


 フェンリル姿のジンさんの顔を見ても、表情が読み取れない。だけど尻尾がへたれているから、しっかりと訂正しておこう。


「あれは……笑ってたんですよ?」

「俺の不出来が滑稽だからだろう?」

「そうじゃなくて……いや、そうなのかな?」


 そう言葉にすれば、本当に失礼なことしたなぁとも思うけど。


 私は足の間に置いた赤ちゃんの頭を撫でながら、本音を漏らす。


「優越感は、ちょっと感じちゃいましたね」


 赤ちゃんん世話で、ジンさんが悪戦苦闘している。私が抱っこしたら、泣き止んだ。その一連の出来事は、私に少しの自信をくれた――私は、この子に必要とされている。


 それが嬉しかったけど、それだけじゃない。


「でも多分……それとりも、ジンさんも一緒に頑張ってくれてるんだってのが、嬉しかったんだと思います」

「多分?」

「そう……多分です」


 私が頑張るように、ジンさんもこの子のことで頑張ってくれる。その姿を目の当たりにして――なんて言えばいいのかな? 仲間が出来たっていうのかな。独りじゃない。この子を大切に思うのは、私だけじゃない。そんな連帯感を覚えたのを……どう言葉にしたら、上手く伝わるのだろう?


 考えていると、頬が濡れる。あれ、私泣いているの?


 馬鹿だなーって自分で涙を拭うと、ジンさんが尻尾をぐいっと動かす。もふもふが前からも私たちを包んできた。もふもふのもふもふサンドだ。


 ジンさんは言う。


「一人にして、すまなかった」

「お仕事なんですよね? 仕方ないですよ」

「あぁ、どうしても家を開けなきゃならない時がある。帰ってこれない時もある。だけど、家にいる間は、俺も出来る限り赤子の世話をすると約束しよう」


 ついこないだまで、抱っこするのも『怖い』って言ってたのに、本当かなぁ?

 疑わないわけでもないけど、言ってくれた言葉が嬉しいのも真実だから。


 私はもふもふに背中を預ける。


「ありがとうございます。私も………見苦しい姿をお見せしてすみませんでした」

「いや……あれはむしろ眼福だった。気にするな」


 眼福って。

 その言い方といい、尻尾がもぞもぞ動いた様子といい、笑うなという方が難しいって。


 外からの日差しが心地よかった。さすが森の中。元の日本とは違い、車や雑踏の音も聞こえない。私たちの会話や息遣い以外は、とても静かだ。ぽかぽかの日差しの中、もふもふに包まれて、足の上ですやすや寝息を立てる赤ちゃんもいる。


 その柔らかなお腹に手を置いて、私は尋ねる。


「そういや、この子の名前って決まってるんですか?」

「名前――そうか。人間には呼称というのが必要であったな」


 ジンさんも私が付けた呼び方だったね。今ひとつ名前のいらない文化ってのが想像つかないけど……そういや、私もジンさんから名前呼ばれたことないや。赤月とか。みつきとか。


 まぁ……別にいいんだけどさ。


「だったら、私が付けても?」

「あぁ。好きに名付けるがいい。俺もそれに合わせよう」

「じゃあ……」


 さて、いざ名付けるとなると、どうしよう?


 金髪で、目が赤くて。将来有望の整った顔をしている……気がする赤ちゃん。ふにふにのきめ細かい白い肌。よく大きな声で泣いて、甘えん坊な気がする。


 うーん……でも、ここ異世界でしょ? 和名付けるわけにもいかないしな。この世界でどんな名前が多いかてんでわからないけど、私に馴染みがない名前も呼びづらいし。


 勇者として生まれて、闇堕ち予定の赤ちゃん。でも、そうならないように全うに育てなきゃならない。まぁ、そんな予言置いておいても……どうせ育てるなら、幸せになってもらわなきゃ。闇堕ちってことは、悲しい出来事があるってことなんだから。自分の子供に、そんな不幸せを望む親なんかいるはずがない。


 勇者として、世界を平和に。そしてこの子自身も、幸せになるような。そんな名前。


「勇者か……」


 勇者。ユウシャ。英雄。ヒーロー。


「……ヒイロくん、とか。どうですか?」

「母親のきみがそう決めたのなら、そうしよう」

「もう、ジンさんも父親なんですよ⁉」


 私が文句を言うと、ジンさんが小さく笑ったような気がした。


「そうだったな。緋色の目を持つヒイロ。安直だが、わかりやすくていいと思う」


 あ、確かに。赤って緋色ともいうね。そう思うと、本当に安易すぎて恥ずかしくなってくるけど……。


「将来、その『ヒイロ』という名を、多くの者に呼んでもらえるようになるといいな」


 優しい声でそう言われると、私もそうだなって思うから。


「はい――改めて、宜しくね。ヒイロくん」


 私は眠るヒイロの柔らかい髪を撫でて、声をかける。こう私にくっついてスヤスヤされると、つられて私も欠伸を噛み殺す。


「眠っていいぞ。まだ少し顔色が悪い。きみが眠っている間に、俺もこの四日間のきみの記憶を確認しておこう」

「またキスするんです?」


 ちょっと緊張して尋ねると、ジンさんは「いや」と否定した。


「このままの体勢でいてくれれば構わない。急ぐことではないからな」

「ふーん」


 まぁ、こうして背もたれにさせてくれるだけで、数日の出来事が伝えられるなら役得だ。存分に寛がせていただこう。


 だけど、私はふと思い出す。


「でも、ご飯作らなくていいんですか?」

「あれは――言ってみたかっただけだ。忘れてくれ」


 ふいっと大狼の首がそっぽ向く。なんだそれ。私は「あはは」と笑った。


 まぁ、でもやることがないのなら。

 私はぽかぽかな日差しの中で、思いっきり欠伸をする。そして窓の外を見た。


「桜、綺麗でしたね」

「サクラ?」

「ほら、ピンクの木に咲いてたやつです」

「あぁ、ブナザキのことか。もうほとんど散ってしまっていると思うが?」


 そうか、桜のようで桜じゃなかったんだ。聞いたことない名前だし、やっぱりここは異世界なんだなぁ……でも綺麗だったから、どっちでもいいかな。


「だって、毎日が目一杯過ぎて見る暇なかったんですもん」

「……来年は、ゆっくり見るといい」

「ふふ。みんなでお花見でもしましょうか」


 ――みんなで。大きくなったヒイロくんと、三人で。


 そんな未来に思いを馳せて。私はもふもふの旦那様に甘えて、目を閉じる。




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