第2話 接吻とオムツ①




「もう一度言う――その赤子は、将来勇者になるべく、神が特別な魔力を込めた神聖なる御子だ。しかし、神が未来を見通したら、将来この赤子が魔王となり、この『ナハトーム』に破滅をもたらすことが発覚した。汝にはこの赤子の母としてまっとうに育て、世界の滅亡を防いでもらいたい」

「だから、なんで⁉」


 同じ話を三回してもらったけど……どうも信じられる話じゃない。


 だってそうでしょ? ここは地球じゃない異世界で子育てしろって。しかも勇者のはずが魔王って――それ、闇堕ちするってことじゃん。闇堕ち予定の子供育てろってハードル高すぎでしょ。しかも、私に母親経験ないよ⁉ まだ大学入学したての十八歳だもん。そりゃあ、従姉妹ちゃんの世話はしていたけど、やっぱり母親と姉代わりは違うだろうし……。


 私たちは特に場所も変えず、大樹の下で地べたに座ってお話していた。桜の花びらが絨毯代わり。例の赤ちゃんは、あぐらをかいた私の足の上にすっぽり収まっている。はしたない言うべからず。これが一番安定するんです。


 唯一ありがたいことは、未だ赤ちゃんが可愛い寝顔を見せてくれていること。

 私の対面に同じように座った美丈夫が眉根を寄せる。


「ふむ……これも同じことしか言えんが、汝の魂が、その赤子の母親と似た色をしているからだ。きっとその赤子も、汝に懐くに違いない。やはり子というものは、本能的に母親を求めるものなのだろう?」


 うん。その本能的にというのは何となくわかるよ? 従姉妹ちゃんも小さい頃、仕事で遅いお母さんを何度ずっと待っていた。私に出来ることは、せいぜい退屈しのぎの相手だけ。眠い目をこすって、健気にお母さんを待つ従姉妹ちゃん。その度に、私は何度居たたまれない気持ちになったことか。


 でも、だからこそ『それじゃあ母親代わり頑張ります☆』てわけにはいかないよね?


「本当のお母さんはどうしたんですか?」

「その赤子を捨てた」

「なんで?」

「赤子が異端の子だからだ。目が赤い子は災厄をもたらすとして異端児とされている。赤い目は魔力が高い証拠なんだが……魔族と同じ特徴だからな」

「……その魔族とやらは、いっぱいいるんですか?」


 でた、ファンタジーお決まりのワルモノ魔族。

 化け物と戦うことになったらどうしようかなぁ。私もチート能力とかもらえるのかなぁ、ていう心配は杞憂に終わった。


「安心していい。北部の領土を犠牲に、前世紀の勇者が滅ぼしてある。現在この『ナハトーム』に住まうのは、人間と動植物のみだ――その赤子が覚醒し、禁術を用いて新たな魔族を生み出さない限りは」

「なるほど……ちなみに、私にチート能力とかは?」

「それも抜かりない。汝の生活には何一つ不自由させないことを約束しよう」


 ……えーと。これは特に能力を授けてくれるわけじゃないってことかな。うん、私の淡い期待も泡となって消えたけど、大丈夫だよ。生き返らせてくれただけで万々歳。感謝してもしきれないくらいだ。……ちょっと残念だけど。


「話がそれてすみません。それで、この赤ちゃんとお母さんは?」


 私が話を促すと、美丈夫は「うむ」と続ける。


「赤子の両親は元から貧しい暮らしだったからな。閉鎖的な村で育てていけないと判断したのだろう。さらに、父親も出兵で長いこと村に戻っていなかった。親子で嫌がらせを受け続ければ、飢えるしかなかろう。田舎町に孤児院もないしな。それならば、村の外に捨てて誰か心優しい旅人や商人が拾ってくれるのに賭けたようだ――結果、我が回収したわけだが」


 うわっ、どうせ異世界ならもっとキラキラした世界を想像してたけど……なんか生々しいぞ。そんなダークファンタジーはノーサンキューだ。


 でも、異端って言っても……。


「将来の勇者なんでしょう? それを教えたら、みんな崇め奉って大切に育てるんじゃないんですか?」

「それを知るのは神やそれに仕える我らのみ。神の御心を人間に伝えるのは、それこそ世界の理を破る禁忌である」

「私は?」


 私だって、れっきとした人間です。特殊能力ももらえない一般ピーポーです。

 だけど、肌の黒と髪の白のコントラスト眩しいイケメンの表情は一切変わらない。


「汝は特殊だ。本来、その赤子の面倒は我が一任された。だが、我も精霊としてまだ生まれてまもない故、未熟者だ。人間のこともわからねば、赤子のことなんかもっとわからぬ。なので、神に頼んで助っ人を呼んでもらうことにした。それが汝だ」

「他の世界からわざわざ……」

「うむ。似た魂の色を持つものは、各世界に一人いるかいないかだからな。ちょうど適切なタイミングで天寿を全うした該当者が汝だったということだ。勿論、我も出来る限りの協力はする。汝がこの『ナハトーム』で快適な生活が出来るよう尽力しよう――だから、どうか我に力を貸してもらえないだろうかっ⁉」


 そして、長身筋肉美のアラブ系美丈夫が土下座をした。

 ん? 土下座……? ジャパニーズ式DOGEZA⁉


「ちょおおおおおっと待って! お願い待って⁉ なんで神様が私に土下座してんの⁉」

「我は神ではない。神に仕える精霊ジンだ」

「淡々と訂正しないでいいからねっ? いやあの……土下座ってこの世界で一般的の⁉」

「いや、汝の慣れ親しんだ文化を参考にさせてもらった。『ナハトーム』で地に頭を付ける行為は、処刑を待つ行為と同義だな」

「だから淡々と解説しないでってば顔あげてえええええええ」


 私が絶叫すると、美丈夫は渋々顔をあげる。やっぱり相変わらずの真顔。とても綺麗なご尊顔ですが……やっぱり土下座は冗談じゃないんですね……。


 だけど、それどころじゃないんだよね。


 ふぎゃ……ふぎゃあ……。


 ……はい。私が腰を浮かせたせいで、赤ちゃんが起きました。


 開かれた目は、ビックリするほど真っ赤だった。充血しているわけじゃない。瞳の色が、本当に真っ赤。瞳孔は黒いみたいだけど……なるほど、確かに『異端』と言われるのもわかるなって思ってしまう。


 でもね、そんなもん、誰が悪いってわけじゃないじゃん。


 ふぎゃあああ。ふぎゃああああああああああ。


 ただ、泣くだけの赤ちゃん。ふにゃふにゃで。自分で立つどころか、まだ座ることすらできない。首ですらしっかりあげられないんだもん。確か、目だってまだすごく近くしか見えてないんじゃなかったかな。自分の目の色だって知るはずがない。


「ごめんね。せっかく気持ちよく寝てたのに、ごめんね……」


 私は立ち上がり、赤ちゃんを抱きしめる。

 まだ眠いって泣く赤ちゃん。お腹空いたと泣く赤ちゃん。おしりが気持ち悪いって泣く赤ちゃん。赤ちゃんはまだ言葉を喋れない。だから泣く。泣くしかできないから、泣く。


 勇者とか魔王とか、この赤ちゃんに知ったことじゃないよね。まだ生まれて間もなくて、まだ何にも知らないんだもん。知らない間に捨てられて――本当、似た魂の色を持つって概念が正直ファンタジーだけど。それでも、この赤ちゃんは今、私の腕の中で泣いているのだ。


 涙をポロポロこぼして。私に『助けて』と、訴えるように――


「わかりました」

「何がだ?」

「……この子の養育の件、了承します。だけど、ちゃんとあなたも協力してくださいね。私がこの子のお母さんなら、あなたがお父さん。両親揃っているにこしたことはないと思いますので」

「本当か⁉ あぁ、勿論引き受けよう! これから、我は汝の夫だ。存分に頼るがいい」


 うん……この子のお父さんとお母さんになるなら、自然と夫婦になるのか……。まぁ、異世界で一人で子育てなんて無謀だからね。


「うん……これから宜しくお願いします」


 私がうなずくと、身体の大きなイケメンの顔が華やいだ。目がキラキラしている。だけど、私に笑い返す余裕はないよ。


「この子、いつミルク飲みましたか? 定期的にミルク飲ませないとダメだったと思います。確か三時間おき……だったかな」


 すると、美丈夫は小首を傾げる。


「おなごの乳房からミルクが出るのではないのか?」

「……ジンさん。その発言、セクハラですよ」


 私がめっちゃジト目を向けると、その美丈夫はむっと口を尖らせた気がした。


「我はジンだが、ジンは精霊の総称だ」

「じゃあ、あなたの名前はなんて言うんですか?」

「精霊の個を表す呼称はない。我らは等しく神に仕えるのみ」

「うん。よくわからないけど『ジンさん』で」


 未だ、この世界観が把握しきれてないけど、そんなものはおいおい。

 やると決めたからには、やらないと。泣いている赤ちゃんよりも優先されるものはない。


「ということで、ジンさん。私は実際に子供を産んだ経験がないのでおっぱいが出ません。代わりのミルクをください。赤ちゃん専用のやつ」

「赤子専用……汝の世界にはあるのか?」

「ありますよ。有名企業が母乳を真似て作った栄養満点なのが」

「あいわかった」


 赤ちゃんは未だに泣き叫んでいる。この様子だと、ずっとミルクもらえてなかったのかな。可哀想に……早くごはんあげるからね。


 赤ちゃんをあやしていると、ふいに顎を持ち上げられる。あ、間近で見るジンさんの顔は本当綺麗……なんて思う暇はなく。他者の艷やかな銀髪が私の頬や肩に触れる。


 そしてジンさんの唇が、私の唇を喰らおうと吸い付いてきた。

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