第8話 背中に押し付けられた柔らかくて熱い感触

 男の腕に抱えられながら、アキさんが歯噛みしたままこちらに来る。それを黙ってみていることことしかできない。

 もがくとか噛みつくとか、そういうことをやろうとしてまるでできない。単純な腕力だけじゃなくて技で抑え込まれてる?私を攫った手際といいどこまで達人……ッ!

 どうすればいい?何ができる?アキさんの飛び越えてくるアレをどうにか利用して……え?飛び越え?

 急に視界が上下にぶれる。

 男が私を抱えたまま身を屈めた、らしい。悲鳴らしいものは頭上を通り過ぎ、背後で衝突音と悲鳴の追加。

 耳元を何かが通り過ぎる音。

 放り出された浮遊感。

 腕をとられてまた手繰り寄せられる。

 背中に押し付けられた柔らかくて熱い感触。

 耳元にかかる吐息と鼻をくすぐるアキさんの髪の香り。

 気が付くと私の視界は路地裏の方に向いていて、アキさんに抱き留められていた。目の前、三メートルほど先では、黒いジャージの男が片手に重り付きのロープを回しながら――背中を向けて、さらにその奥を警戒していた。

 殺気、なのだろう多分。

 空気が重油にでも変わったような感覚。ロープの男が見ている先に、また別の小柄な男。それが発している何かが、周囲の空気を歪ませているように見えた。


「何してんのオヤジィ!?」


 また悲鳴のような新しい声。ただし恐怖や痛みというよりも、困惑の多い声が後ろからかけられる。


「なにってお前、このジャージ野郎がお嬢さんを誘拐してそうだから助けたんじゃねえか。いわば社会貢献って奴よ」


「嘘だ!絶対にやべー奴見つけて面白そうだから喧嘩売っただけだ!!」


「それよかお前、こいつら他にチンピラ連れてるかもしれねえから、お嬢さんがた逃がしとけ。新田君はこっちで届けとくから」


「さも気が利いてるようにいってるが、そもそも新田を投擲物代わりに投げつけたの親父だろうがッ!!」


 ……こんな大声で叫んでるの初めて聞いたけども、もしかして。


「『黒杖』の三船君?」


「えあ?『森ガール』?なんでこんな……まあいい!とりあえず逃げますよ、ついてきて!!」


「わかった!ヒカリン、行くよ!」


 三船君が手招きしたところでアキさんが私の手を引いて走り始める。ああもう!とりあえずついていくしかない!!


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「ヒカリーン、大丈夫ー?」


「ぜひゅー……ぜひゅー……」


 最寄りのコンビニに駆け込み、そこで警察に通報して、落ち着くまでイートインで休ませてもらうことになった。なったというか、三船君にしてもらった。

 ダンジョンの外だから素の体力で走らなきゃいけないわけだけど。アキさんも三船君もなんなの?なんでそんな走れるの?馬鹿なの死ぬの?死にそうなのはこっちだ!


「えーっと、警察に連絡したんで、しばらくすれば来ると思います」


「ありがとう、助かったよ。三船君」


「ああいや、気が付いたのは新田なんでそいつに言ってください。親父には、まあ、あんまりかかわらないほうがいいと思うので俺からお礼を言っておきます」


「何なの君のお父さん」


「合気道の道場主……なんですが……それ以外にないはずなんですが……なんか時々やたらいかつい外国人が遊びに来るんですよね……」


「ほんとに何なの」


「聞かれましても……それよりお二人はなんであんなのに襲われてんですか?どう見てもアレは殺し屋の類ですよ。武器とか準備とか計画とかじゃなくて個人の技量でゴリ押すタイプの」


 なんでそんな殺し屋の種類が区別つくのこの子。とは思うけどいまだに息が上がって声が出せない。代わりにアキさんが言葉を返す。


「うーん、心当たりはあるけど詳しいことは言わないように言われてるんだよねー。偶然関わっちゃったんだけど、ここまで直接的なことしてくるとは思わなかった」


「了解、じゃあ聞きません。まあなんにしろここから先は警察の仕事……とすいません電話だ」


 三船君がスマホを取り出し電話を受ける。そのころには身を起こせるぐらいには私も回復していた。


「大丈夫ヒカリン、何か飲む?」


「いえ、大丈夫ですアキさん」


「……ああこっちはコンビニで警察待ち。――いやそりゃ通報するだろ、常識的に考えて。――いやおいちょっと待て正気か!?新田どうすんだ!?――ハァ!?連れてくって待て待て待て!?」


 三船君の方はというと、電話先で何かあったらしく、急いでかけなおしてる。


「ああクソあのクソ親父電源切りやがった!!マジか!!本気でマジかあのクソ親父!!」


 慇懃無礼というか、丁寧なコミュ障の彼がキレながら地団太踏む光景。良く知らない知人の新しい側面見つけても、正直困る。


「えっと、なにがあったの?」


 おそるおそるアキさんが話しかける。ナイスガッツ。私だったら見なかったことにしてました。


「えーあー、ちょっとまって俺も頭の中整理しますんで。スゥーッ、ハァーッ、スゥーッ、ハァーッ、スゥーッ、ハァーッ。落ち着け―、よし落ち着いたな俺」


 自己暗示の類か数度の深呼吸をしてから、三船君が向き直る。目の色は落ち着いてなさそうに見えたが。


「先ほどの電話は親父からで、こっちの安否確認が目的でした。で、親父ですがこれからチンピラの元締め潰しに行くそうで……」


「え?」


「はい?」


「なんでもヤクザを中途半端にぶちのめすと法律的に攻めてくるから、メンツを保つための報復ができない状況に追い込まないと面倒くさいそうで……あ、お二人は責任とか考えなくていいですよ!?むしろ親父が喜び勇んでやってるだけなんで!!あのクソ親父、人間ぶっ壊す大義名分があれば飛びつくシリアルキラーみたいなもんなんで!!」


「……よく肉親にそこまで言えるねー」


「安心させたい配慮はわかるんですけど、別方向の不安が湧いてきますよ。ほんとにできるのかとか、できる人間が市井に生きてていいのかとか」


「やめてください、その正論は俺に効く」


 ともかくも、そんな降ってわいた不幸が降ってわいた災厄に飲み込まれていく状況に流されながら。私たちは警察の到着を待つのだった。

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