第7話 できるわけがない

「……え?」


 唐突に出てきた言葉に意識が追い付かない。呆けた顔でアキさんの方を向いてしまう。

 ……あ、これ不味いかな?そう思ったところでアキさんが唇に指をあてていたずらっぽく笑う。


「いきなり言っちゃってごめんね、でも後ろ向かないで。気づかれるから」


 顔が良いのは暴力だ。言ってる内容が緊迫してるのに、仕草と表情でドキッとしてしまう。これを狙ってやってないというんだからもう、難聴系主人公か。前を向きなおしてこちらから聞き直す。


「尾行って……なんでそんなもの気がつけるんですか」


「先生が教えてくれたの。影とかガラスとかすれ違う人の視線とかに気を配っておくとそういうのがなんとなくわかるって」


「……先生はなんでそんなことまで知ってるんですか」


「先生、いろんなこと教えてくれるけど自分のことは何にも教えてくれないよねー」


「なんであの人小学校の先生してたんでしょうね……」


 母校の黒板の裏に1トンのヘロインが隠してあっても驚かないぞと心に決める。尾行よりも理不尽な恩師を思い出したおかげか、多少冷静さを取り戻せた。


「で、どうしましょうか。差し当たってやるべきは交番に駆け込むことだと思うんですが」


「おっとまさかの常識的な反応」


「ダンジョンの外ならそうしますよ。一般人ですし」


 別に冒険者だからってダンジョンの外でまで冒険しなければならないということはないわけで。


「問題はこの辺に交番あったっけ?ってことですが」


「あー……この辺はちょっと自信ないなあ」


 スマホで探す、という手はあるけど尾行されてる状況で歩きスマホはちょっと冒険が過ぎる。人に聞くにしても、流行病の影響か歩いている人が少ない。コンビニで聞けばいいかな?でもこういう時に限ってコンビニが見当たらない……。ええい住宅街と学生街が混じったような場所はこれだから。


「まあ、駅近くまで行けばだいたい交番あるでしょうs――」


「――っ!?ヒカリン!!」


 感じることができたのは、腕に食い込む痛みと衝撃。

 気が付いた時には、ビルの谷間からアキさんの驚く姿を見ていた。

 口には大きな手が当てられ、声は出せない。筋肉質の大柄な体に締め上げられて、体が動かせない。

 なにを、何をされた!?


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「――っ!?ヒカリン!!」


 油断はなかった、と思う。

 相手がチンピラとかヤクザとか、そういうものだったら相手の射程内に入る前に気が付けた。これには自信がある。

 だからこれは、油断じゃない。

 単純な想定外。

 先生か、それに匹敵する何かがダンジョンの外で襲ってくるとは思わなかった。

 見えたのは、縄。打つではなく、ヒカリンの胴体に絡むのが見えた。多分先端に重りが付いた縄を巻き付けた。

 私の延ばす手より早く、ヒカリンの軽い体が飛んでいく。

 ありえない。

 鍛えた成人男性の体重で瘦身の女性を引くとは言え、筋力がいくらあっても重心と地面の摩擦がまともに働いていればそんな速度で引っ張れるはずがない。

 果たしてイカサマはあった。

 縄を引く右腕。そして非常階段の手すりを握る左腕。

 50kgの人体を、片腕で引っ張って、私が手を伸ばすより早く手繰り寄せる化け物。ヤクザの枠を超えた専門家がそこにいた。上下とも黒の安いジャージ、黒い短髪を整髪料で後ろに撫でつけた頭、そして爬虫類じみた笑み。

 外見だけなら、どこにでもいるんだろうアウトロー。けど纏っている暗黒は私に「逃げろ」と全力で警告を放っていた。

 逃げる?ヒカリン置いて?


 !!


 そう考えたのが隙だった。専門家の後ろに一人。一目でチンピラとわかる男。それが『騒ぐな』と書かれたスケッチブックを、スマホのライトで照らしながら掲げていた。

 人質を取られた状態で相手から命令される。それだけで選択肢が無くなる。硬直して歯ぎしりした私をみて、チンピラはスケッチブックをめくる。

 そこには『ゆっくりとこっちにこい』と書かれていた。

 選択肢は、ない。

 専門家はその気になれば口をふさいでいるその手でヒカリンの顔面を握りつぶすぐらいはする。そう思わせるだけの空気がある。その証拠に、首を振ろうとしているヒカリンの頭が全く動かない。それだけの力で固定している証拠だ。

 どうしようもないの?

 ビルの隙間に入りながら諦めかけたとき、私の頭上を何かが飛び越えた。


「そこまでひぅうえあはあああああっ!?」


 奇声というよりも、悲鳴をあげながら。

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