第20話 黒い森の中から千匹の猫が一斉に現われたら

 遠く雷雲らいうんが、稲妻いなずまに反射して光った。海の彼方かなたから遠雷えんらいが聞こえる。今日も雨になるだろう。雨は苦手だが、今夜ばかりは仕方あるまい。やるなら今だ。

 日没後、あたしたちは行動を開始した。敵の位置は、常に把握している。

 猫ヶ原ねこがはらで、千匹の本隊ほんたいを前にしたあたしは、戦略戦術せんりゃくせんじゅつを発表した。

 本隊は、猫ヶ原ねこがはらに隣接した猫ヶ森ねこがもりひそみ、敵を待つ。

 誘導ゆうどう部隊の伝令でんれいハンゾーら、十匹は、敵を、猫ヶ原ねこがはらおびき出す。

 敵は今、湯治場とうじばで、夕食の準備に取りかかっているとの情報。

「だったら、楽しい夕餉ゆうげを、メチャクチャにしてやりな」

と指示すると、伝令のハンゾーが、

「承知」

と短く答えて、忍者のように、一瞬で姿を消した。

 敵が、猫ヶ原ねこがはらに現れたら、待ち伏せた千匹が、一斉に襲いかかる。

 飛び道具のクロスボウに対抗する作戦は、暗視ゴーグルの死角になる背後や、横や、下から、敵の頭部へ飛びつき、暗視ゴーグル一キログラムに加え、猫の体重五キログラムを足し、合計六キログラムの頭でっかちにしてバランスをくずさせ、転倒てんとうさせる。

 転んでしまえば、飛び道具の攻撃力など無きに等しい。あとは、ガリバーよろしく、敵の体に群がり、するどい爪で、ひたすら切り裂く。オスの成猫せいびょうの体重は約五キログラムなので、十匹も乗れば、身動き出来まい。

 戦略目標は、この島へ、二度と来させないこと。

 そのためには、敵の生死を問わない。あたしたちも生死を賭けて戦うのだから、当然であろう。

 その頃、湯治場では、三人の人間が夕食をろうとしていた。以下、伝令ハンゾーの後日譚ごじつたん

 温泉の水で炊いた白飯は、ふっくら、ツヤツヤ、もちもちで、けずぶしを乗せ、醤油をかけるだけで、充分に旨い。副菜ふくさいに温泉卵、温野菜、椀物よろしくカップヌードルが熱そうに湯気を立てている。

「さ、喰おうぜ」

「ああ、腹減った」

「いただきまーす」

と、食べ始めるのを待ちわびていたかのように、十匹の猫が、食卓の上にドサドサ落ちてきた。十匹で、体重は、合計五十キログラム。

 食卓が引っくり返り、醤油さしが舞い、皿や茶碗が滑り落ち、ガラガラガッシャーンと騒々しい音をたててて割れ、カップヌードルが熱湯を撒き散らして転がった。

「熱ッ!」

 不意を突かれた三人は、慌てふためいて絶叫した。

「うわあっ!」

「なんだよっ!」

 落ちてきた猫たちは、悠々ゆうゆうと、散乱した削り節を、ウニャウニャおいしそうに食べている。伝令のハンゾーが「役得やくとく」と笑う。

 怒った一人が箸を投げつけた。

「この畜生が!」

ののしりながらズボンを脱ごうとしている。太ももにかかったカップ麺のスープが、熱くて堪らないらしい。

「あの猫ども、感電死させてやる」

と、棒状のスタンガンを取り出した。電気ショックで相手の動きを止める防犯用具である。放電スイッチを押すと、

 バチバチ

と激しい音を立て、四十センチの棒の先に、青い電流がほとばしった。

 スタンガンの悪用による傷害事件、暴行事件、殺人容疑が増えたとはいえ、市販のスタンガンは、身動きを止めるのみで、気絶させるほどの威力は無い。それでも、人間に比べ躯体くたいの小さな猫には、大変な脅威きょういになる。

 空いている片手で、電動マシンガンを持ちあげた。プラスチック製の丸い六ミリBB弾びーびだんを、空気圧で発射する。

 片手で撃てて、連射は安定するが、威力はガスガンを下回り、殺傷力さっしょうりょくは皆無。

 とはいえ、初速しょそく新幹線しんかんせん並みの時速三百キロあるため、被弾ひだんすると、十メートルくらい離れていても、かなり痛い。

 電動ガンにしても、ガスガンにしても、改造の疑いを持たれると、銃刀法じゅうとうほう違反で、家宅捜査の対象になる。それほど、実用の武器に近い性能を誇る。

 もう一人は、ピストル・クロスボウを手に取って、

「ぶっ殺してやる」

と、弓を引いた(コッキングした)

 フルサイズ・クロスボウを、室内でコッキングするのは、手間がかかるうえ、安全面でリスクを負う。その点、片手で打てるピストル・クロスボウならば、簡便かんべんに扱える。

 ただし、コッキングするために利き手を空けておかねばならず、もう一種類の武器は同時に持てない。

 三人目は、スリングショットを持った。パチンコと呼ばれる二又の玩具を強力にしたゴム銃である。

 スリングショットも、コッキングするために、利き手を空けておく必要がある。二種類の飛び道具を同時に持てない。

 いずれにしても、猫にとっては、恐ろしい武器ばかりである。

 他にも、部屋のあちこちに、催涙さいるいガスを撒き散らす手榴弾しゅりゅうだんのグレネードや、二十メートル先で散弾さんだんするランチャー、吹き矢、警棒、手裏剣、催涙スプレーなど、物騒きわまりない武器が転がっている。これら全て、数千円台から市販されている防犯用具や狩猟具である。

 何に使うつもりで猫の島へ持ち込んだのか想像するだに恐ろしい。

 人間たちの臨戦りんせん態勢が整う前に、ハンゾーは短く、

「皆の者!退散たいさん

と命じると、十匹の猫は、窓から外へ、影のように、ヒラリヒラリと飛び出した。猫の小柄な体躯たいくと、俊敏しゅんびんさと、跳躍力ちょうやくりょくを活かした奇襲きしゅう戦術であった。

「逃がすか!」

 人間たちは、武器をたずさえ追いかけた。

 追いかけたところで、時速五十キロメートルで走る猫には敵わない。ハンゾーたちは、嘲弄ほんろうするように、追いついて来るのを待ち、わざと追いつかれて姿を見せては、また走り出す。

 走りながらでは、姿勢を固定して狙撃するフルタイプ・クロスボウは使えない。両手を使う虫取り網も、バランスが崩れて、使いにくい。

 ピストル・クロスボウなら、使えるには使えるが、走りながらだと、照準が安定せず、無駄撃ちが増え、いたずらに矢を失う。

 電動マシンガンも、走りながら撃てるが、そもそも、十メートル以上先を走る小さな猫に狙いを定めるのは至難のわざ。加えて、あしを止めるほどの痛撃つうげきを加えるのは困難。

 やがて、伝令ハンゾーら誘導部隊は、無傷で、湯治場から猫ヶ原ねこがはらまでの一キロメートルを、数分で走破そうはした。

 できるだけ、猫ヶ原ねこがはらの中央へ誘い込み、退路を封じたい。逃げられては困る。

 伝令ハンゾーたち誘導部隊を追ってきた敵の三人組が、猫ヶ原ねこがはらの中央付近で足を止め、

「あの猫ども」

「どこへ行った」

「見つけ出してやるっ」

と立ち止まり、辺りをキョロキョロ見回していると、黒い森の中から、一千匹の猫が、一斉に姿を現わした。

 夜のどばりり、すっかり暗くなった草原いっぱいに、千匹の猫の目が、二千個、光り輝いている。

 結局、男たちは、手持ちの武器を、四つしか持ちだせなかった。

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