第12話 弓矢のクロスボウ?これは相当やばいかも

 港の至る所で、猫が顔を洗っていた。猫が顔を洗うときは、雨が降る予兆か、あるいは、満腹になった証拠。

 猫は、腹が満たされると、寝ぐらを求めて、姿を消す。そうして、一匹ずつ、いつの間にか、港から猫が消えていった。

 それでも残っているのは、なでられるのが好きな猫か、甘えん坊の猫か、元が飼い猫か、あるいは、何があっても超然としている神経の太い猫のみ。

 猫が減れば、人も減る。猫が目当てで観光に来たのだから、猫がいなければ用はない。

 温泉へ入りに行く人もいれば、宿へ向かう人もいれば、散歩に出かける人もいれば、船中で一泊するために再乗船する人もいる。

 いつしか、埠頭は、猫も人も、まばらになり、屋台の数も減り、夜のどばりが下りる頃には、あちらこちらで、酔客だけが、酒の肴に夜空をながめ、宴会をもよおしていた。

 やがて『朝焼けは雨』の言い伝え通り、雨粒が一つ、二つ落ちてきた。酔客たちは、

「雨だ」

「避難しよう」

と散っていく。

 あたしたち猫も、人間以上に、雨や、水を嫌う。雨に濡れないよう、大急ぎで、クリスマス・プレゼントを隠した猫ヶ森ねこがもりへ戻り、岩のくぼみが天蓋てんがいになっている横穴へ入って丸くなった。

 こうして、クリスマスイヴの夜はけた。

 どれくらい眠っただろう?いつの間にか、雨は止んでいた。 

 遠くで、二十四時を告げる鐘のが聞こえる。

 鐘の音が一回、二回と響き渡る。

 鳴り終われば、翌二十五日はクリスマス。

 十回、十一回。

 ひときわ大きく鐘の音が鳴った。

 十二回。

 その数を確認してから、あたしは、再び、眠りに落ちた。

 数時間後、クリスマスの朝を告げる曙光しょこうが、あたしの被毛ひもうをオレンジ色に染めた。今日も、雨になるのかな。

 昼より、夜が長い冬至とうじの直後は、なかなか気温があがらず、寒さを嫌う猫たちにとって、苦手な季節といっていい。

「寒いな。もう少し、寝ていようかな」

と、モゾモゾ、寝返りを打ったのが悪かった。

「あそこに一匹いるぞ」

 人間の声がする。濡れたれ草をモソモソと踏みしめる音が近づいてきた。

 あたしは耳をそばだてて、周囲の音に耳を済ませた。人間には聞こえない高音域こうおんいき超音波ちょうおんぱまで、猫は聞き取ることができる。

 枯れ草を踏む音は、一方向のみならず、三方向から聞こえる。逃げ場のない岩のくぼみにいては、まずい。

「移らなくちゃ」

と、移動し始めた瞬間、

 バサッ

あみが落ちてきた。あたしは、紙一重でかわし、大木の上へ登った。見下ろすと、奇怪きかいなゴーグルを付けた人間が、口径こうけいの大きな虫取り網を手に、こちらを見上げている。

「ちっ、逃げやがった」

 その男が、早口で、

「仕方ねえ。て」

と、もう一人の男へ命じた数秒後、目の前の木の幹に、長さ五十センチメートルの矢が突き刺さった。矢は

ビィィィーン

と音をたてて震えている。

 新聞紙の長さに匹敵する五十センチということは、片手で撃てるピストル・クロスボウの短い矢ではなく、威力が強いフルサイズ・クロスボウの矢である。あたしは、飼われていた頃にテレビで見た記憶があった。

 ボウガンの矢と呼ばれることもあるが、ボウガンは商標につき、新聞やテレビの報道では、クロスボウ、あるいは、洋弓銃ようきゅうじゅうと呼ばれる。

 引き金を引くと、銃弾じゅうだんではなく、矢を放つ。

 その矢が刺さったまま、水面を泳ぐ野鳥や、野良猫の歩く姿が、動物虐待ぎゃくたいのニュースで報じられて久しい。

 クロスボウ本体の全長は一メートル。重さは四キログラム。飛距離は百メートル。高性能機になると、三百は飛ぶ。

 スポーツ競技用に市販されており、今のところ、誰でも購入、所持、使用できるが、初心者には扱いにくいフルサイズ・クロスボウを携帯しているということは、慣れた熟練者じゅくれんものと見ていい。

「これは、相当やばい」

 急所へ命中すれば、即死の攻撃力がある。急所から外れても、しばらく身動きできないだろう。

「殺されるかも」

 脳内物質アドレナリンが、一気に噴き出した。木から飛び降り、敵の姿かたちを記憶しようと振り向くやいなや、第二の矢が、目の前の木の幹に、

 カッ

と突き刺さった。夜まだ明けきらぬ暗然あんぜんとした猫ヶ森ねこがもりの中にもかかわらず、正確に照準を合わせている。

 走って逃げるわけにいくまい。時速七十キロで走るあたしといえど、時速百キロで飛んでくる矢にはかなわない。

 的にならないよう、木々をたてにして、短く移動しながら、徐々に、後ろへ下がった。

 あたしたち猫は、わずかな光さえあれば、暗がりでも、目標を視認しにんできる。それに比べ人間は、猫の六倍の光量こうりょうを得なければ、暗闇くらやみの中で何も見えない。

 敵が、あたしの姿を見失っている今のうちに、影のごとく、粛々しゅくしゅくと後退を続ける。

 ここまで離れてしまえば、あとは、一気に走ってけ出せる。その距離を感覚で計っていると、

「いたぞ!」

と、第三の方角から声が上がった。あとで分かったことだが、暗視あんしゴーグルを装着すれば、暗闇の中でも、猫並みに視界を確保できるという。

 しまった!見つかった?

 あたしは、観念かんねんした。クロスボウの矢でられるか、あみからめとられるか、それとも、別な武器が襲ってくるか、戦々恐々とした。

 ところが、男達の足音は、徐々に遠ざかって行った。三人の足音と、草を踏む音が、十時の方角へ集中していく。そのうち、

「ギャッ」

と、断末魔の悲鳴が聞こえた。他の猫が見つかって、魔の手にかかったのか?それとも、別の何か?

 確認する余裕はない、今がチャンスだ!あたしは脇目も振らずに走った。

 木々をかいくぐって猫ヶ森ねこがもりを抜け、猫ヶ原ねこがはらを突っ切り、つづら折りになった獣道けものみちを走り抜けると、見覚えのある場所に出た。

 そこは、この島で無くなった猫たちが眠るネコロポリスだった。まるで、無数の猫の霊がいているかのごとく、吹きつける潮風の音が、

 ニャアアアアア

と聞こえる。その音を耳にしたとたん、昨日まで漠然ばくぜんと感じていた違和感の正体に気づいた。

「シャドーは?」

 吊り橋ではぐれた後、ロシアンブルーのシャドーの姿を、一度も見ていない。

「さっきの悲鳴!まさか?」

 あたしはローコー邸へ急いだ。無事ならば、今ごろ朝ごはんを食べているに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る