第9話 それさえ知らずに来たのかな

 どうせチンケなみなとだろうとたかをくくっていたあたしは、思わず目を見張みはった。中々どうして、立派な商港しょうこうである。

 それもそのはず、荒波あらなみうねる外洋がいよう快適かいてき航海こうかいできる七千トン級の船が発着する港湾こうわんである。

 小型船舶せんぱくやボートを係留けいりゅうする程度のマリーナであろうはずがない。

 もの知り猫のリューが言うところによると、映画で有名な客船タイタニック号は四万六千総トン。

 二十世紀最大の客船クイーンエリザベスつーは七万総トン。

 猫ヶ島ねこがしま母港ぼこうとする七千総トンの貨客船かきゃくせん『猫丸ねこまる』は、QE2クイーンエリザベスツーに比べると十分の一に過ぎないが、津軽つがる海峡フェリーの『ブルーマーメイド』が八千総トン、東京の竹芝たけしば埠頭と小笠原おがさわら諸島を結ぶ定期船ていきせん『おがさわら丸』が六千七百総トンにつき、ホテルシップとして使えるくらい大きいと思えば、当たらずも遠からず。

 コンクリートで固められた広大な埠頭ふとうには、十棟とむねの巨大な倉庫が建ち並ぶのみで、港の場外と場内の境が存在しない。

 かこいの建築費が無かったのか、治安が良い島なのか、他に理由があるのか、なんとも開放的な港だった。

 さくやフェンスが無いため、四方八方から続々と猫が集まってくる。

 週一回の定期便ていきびんが来ると、おいしいものが食べられることを知っているのだろう、波止場はとばに集まる猫の数、およそ数千匹。

 早速、船から降りてくる観光客と、猫たちの触れ合いが始まった。 

「わー、可愛いー」

「猫ちゃーん」

「おいでー」

と、タラップをりるか降りないかのうちにしゃがみこんでしまう観光客がいるため、船から埠頭へ降りる列の後ろがつかえてしまう。船員が、

「しゃがまないで、先へ進んで下さーい」

と声をらして叫んでも、立とうとしない。列の後ろから、

「なに止まってんだ?」

「早く降りろよ」

という不満が聞こえては、やっと列が動き出す。そして、また止まる繰り返し。

 埠頭のあちらこちらで、猫をなでたり、抱き上げたり、食べものをあげている姿が散見さんけんされる。不意に、どこかで、

「痛いっ!」

という悲鳴が上がった。一人の観光客が、抱き上げた猫に引っかかれたらしい。顔に、赤い切りきずが走っている。

「どうしました?」

 清掃用具を持っている島のスタッフが駆け寄った。引っかかれた女性は、

「見てよ、これ。血が出ているじゃないの。顔よお?顔。傷が残ったら、どうしてくれんの」

血相けっそうを変えてわめいている。スタッフは、ポケットから消毒液を取り出し、

「とにかく、一刻も早く消毒して下さい」

と、脱脂綿だっしめんに消毒液をひたして渡し、

「さ、早く、診療所へ」

うながして連れ立って行った。消毒液を常備しているということは、よくある事故なのだろう。

 二人が去ったあとの埠頭では、観光客たちが口々にヒソヒソと、

「猫を強引に抱き上げちゃダメだって」

「引っかかれるに決まってんじゃん」

「無理いすると、猫は抵抗するんだから」

「それさえ知らずに来たのかな」

「ここを、どこだと思っているんだろうね」

「ここの猫は、ペットじゃないのに」

「ペットだって、無理やり抱き上げられたら、怒るよ」

「乗船時に渡されたパンフレットにも、そう書いてあったのに」

「事故が起きても知りませんって、乗船を申し込む時、言われなかったのかしらん」

「私は言われたよ。だから、旅行保険に入っておいた」

「ちゃんと言われたはずなのに、守らないから」

 どれもこれも一理あるが、傷つけられた上に、悪者扱いされては、踏んだり蹴ったりである。

 もし、自分が同じ目に遭った時、同じように、自分を責めるのだろうか?自分を責めて、傷が治るのだろうか?

 それとも、引っかかれた女性のように、どうしてくれると他人を責めるのだろうか?  

 自分さえ正しければ、それでいいのだろうか?他人の間違いを攻撃する資格があるのだろうか?

 黒猫クーが、同じことを思ったらしく、

「いくら悪くたって、非難する前に、大丈夫?の一言くらい、かけてあげなよ」

と、観光客の足元でニャーニャー鳴いて抗議こうぎしていたが、抗議の声は勘違いされ、

「あら、小さな黒猫ちゃん。お腹が空いているのかな?」

「何か食べる?」

「サンドイッチ、あげようか」

と、一人が紙袋からサンドイッチを取り出して、千切ちぎって食べさせようとした。

 黒猫クーは、匂いをクンクン嗅いでいたが、タマネギが入っていたのか、やがてプイと外方そっぽを向いて離れて行った。

 猫や、犬に、タマネギは禁物で、たまねぎ中毒を起してしまう。貧血、嘔吐、血尿、下痢になる中毒で、解毒げどく薬は無く、加熱しても毒性は消えない。

 もちろん、大量に食べなければ問題ないが、個体差があるので、食べさせないに越したことはない。

「それさえ知らずに来たのかな。フッ。同じセリフを観光客が言ってたっけ」


▼▼筆者注▼▼


ここから先、ペットの闇を示す驚きの数字(2014年時点)や、現実が出てきます。


現実とはいえ、暗澹たる気持ちになる危険性があります。


気が滅入りそうでしたら、この行を最後に、次のページ(第10話)へ飛んでもストーリーはつながるようになっています。


▲ペットの現実を知っておきたい勇気がある読者さんのみ先へお進みください▲


 あたしは、人間の身勝手さ、無責任さに、腹が立ってきた。これだから、捨て犬や、捨て猫が、野良のらになる。


 あたしたち猫だって、野良猫として、生きたくない。可愛がってくれる飼い主と、死ぬまで一緒にいたい。

「でも、捨てられてしまったら、野良猫として生きるしかない」


 あたしの独り言を耳にしたのか、もの知り猫リューが、人差し指を突き立てて反論した。

「いいえ。裏切りという意味でしたら、野良より、悲惨です」


「裏切り?」

「信じきっている飼い主が、動物愛護あいごセンターへ、みずから持ち込む猫の数は、年間三万匹」


「飼い主が、飼い猫を、持ち込む?」

「はい」

「毎年、三万も?」

「はい。飼い犬も、持ち込まれています」

 動物愛護センターは、犬猫を、愛してまもってくれる施設ではなく、ガスで窒息ちっそく死させる施設である。やることはナチスドイツのアウシュビッツ収容所(大量殺戮さつりくのガス室)と何ら変わりない。

 ただし、愛護センターの名誉のために付け加えると、好きで殺しているのではなく、持ち込む飼い主があとたないため、職務しょくむ上、やりたくなくても、殺処分さっしょぶんせざるを得ないのであって、持ち込む飼い主がゼロになれば、あるいは、持ち込まれる全てのペットに、新しい飼い主が見つかれば、すべて解決する。

 里親さとおやという新しい飼い主を見つけることにより、殺処分ゼロを達成している愛護センターもある。

「どのみち、野良になった時点で、殺される運命なんですが」

 野良になり、苛酷かこくな野外の環境で、どこかでエサを見つけ、必死に生き抜いたすえ、飼い主以外の見知らぬ誰かにとらえられ、動物愛護センターへ持ち込まれる数は、年間十万匹。

 猫を飼うのと、おもちゃを買う違いを知らない三万世帯の大人たちが持ちこむ、三万匹の猫。

 こうして、年間十三万匹の猫が消えていく。

 そのうちの九割が、ガスを吸い、もがき苦しみ息える。

 もし、ガスが、致死量ちしりょうに達していなければ、生きたまま焼かれる。

 屍骸なきがらは焼かれ、廃棄物はいきぶつとして捨てられる。ゴミである。

 奇跡的に、新しい飼い主に引き取られるのは、わずか一割。

 その一割の幸運を、里親さとおや探しのボランティアが私財を投じて支えていたり、愛護センターが動いてくれたり、非営利ひえいり団体が善意で支援しえん活動しているが、中には、その善意をかたって犬猫いぬねこを引き取り、実験じっけん施設へ売り渡してかねを稼ぐ『猫さらい』もいる。

 実験施設へ売り渡された犬猫には、語るも無残むざんで、悲惨ひさん末路まつろが待ち受けている。ペットの問題が抱えるやみは深い。

 犬や猫を可愛がる自由は、誰にでもあるが、その自由の裏側には、責任がある。

 そんなことを考えながら、あたしは、浮かれる観光客をながめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る