第二十八話 現実の壁
「ぐぷっ、苦い……」
「お? 不味いならわざわざ食わなくてもいいんだぜ。おら吐けや」
「おいしいですいただきます」
クルミアとの頬をつねり平手で叩く乱闘が収まった後。
僕はガロックの用意した丸薬を口に含んでいた。
想像していたのが小粒大のものだったのに対して、現物は赤子の頭ほどの素材が浮き出た暗黒物質だった。
中には反響蟲と思しき足と達磨蟹の甲殻が散見され、魔力・体力回復の効果がなければ意地でも食べたくない代物である。
「これも魔族の間では普通なの? ねぇクルミア」
「………………ふん」
隣――正確には棚三つ分の距離を置いて座っているクルミアに話題を振るも、しかめ面で無視される。
顔が青ざめているので美味しいとは思っていないのだろうけど、頑なに僕と目を合わそうとしないのが寂しい。
「間違いなく嫌われたなおい。いい気味だ」
ガロックは顔をにちゃりと歪めて笑い、格好いい顔を台無しにしている。
彼は食事中もまともなら胃が痙攣を起こしそうな罵詈雑言を浴びせ、僕の駄目な部分を列挙していた。
初対面の相手にしては語彙豊かに罵られたので、思わず感嘆してしまうほどに。
ガロックの方は何故僕が堪えていないのかと不思議がるも、未だに悪口を止める気配はないようだ。
「澄ました顔しやがって……殺すぞ?」
そんな居心地の悪さを体感しながらも食べ進めていた頃。
またもや毒にも薬にもならない暴言が出るのかと予想していれば、瞬く間に殺気を孕んだ右腕が僕の首に手を添えていた。
抵抗したくとも、呼吸器を塞がれた焦りで思うように力が入らない。
最低限の理性を持ち合わせた魔族だと考えていたのに、これでは森にいた魔物と大差ないではないか。
ガロックは飲みかけた丸薬をせき止めるように一気に力をかけ、その拍子に甲殻の欠片が喉の内側を浅く切る。
「くっ……は……あが…………」
「随分簡単に捕まってくれるじゃねぇの。優しい優しいクルミア姫に甘やかされてきたのが目に浮かぶようだぜ」
「は……な……せ……」
「お前はそれに漬け込んで結婚を断ったらしいが? 自分の立場っつーのを理解してからほざけよな」
加減など知らぬ暴力が、僕の生体機能を停止させようと関節を狭めて。
酸素の回らない頭が苦痛を和らげる脳内物質を早くも分泌させようとしていた。
「あなたに人殺しを許した覚えはないわよ、ガロック」
静謐に、しかし威厳をもった声が、閉じかけていた意識の奥でこだまする。
「……あめぇ、甘すぎるんだよクルミア姫は。こいつは自分の都合だけを振りかざす最低野郎なんだぞ――ですよ。どうしてそう易々と庇うんですか」
「ごほっ……おぇ」
絞殺から解き放たれた僕は、油などの汚い液体を吸収した地面に手をつく。
ぬめりけのある床が、指紋すら消し去る厚塗りの汚物を付着させた。
生命の危機に瀕していなければ、飛び上がって手洗い場へ直行していたに違いない。
陥没した喉仏を浮き上がらせるのに躍起になりつつ、うっ血した瞳で魔族を補足して。
無意識の内に、這ったまま相手方との距離を取ろうとする。
そうさせるだけの気配と行動が、今のガロックにはあった。
「私はまだ話し足りないの。あなたこそ勝手な都合でギンジ君を殺そうとしないで」
どうやらクルミアに更なる恩義が生じてしまったようだ。
剛腕と拮抗した力で尻尾が絡みつき、一進一退のせめぎ合いが始まっている。
ガロックは血管を浮き上がらせて推進力を確保しようとしているが、クルミアの尻尾も不動の構えを崩さない。
「理屈をこねくり回すのが上手くなりましたね――パパそっくりだ」
「私を挑発するには安い台詞ね。その程度で動揺すると思ったの?」
端から見ても尻尾の締めつけが強くなったように感じられるが、声に出す余裕も度胸もなかったので黙っておく。
しかし僕の呼吸器は徐々にいつもの機能を取り戻しつつあるので、無言でいるわけにもいかない。
「クルミア――その、ごほっ」
肉食動物の背中に乗った動物は、自分が強くなった錯覚に陥るという。
僕の状態もまさしくそれで、クルミアに守られていると理解した直後、自然とガロックの脅威を忘れて呟いた。
喉の状態はとても完治したとは言えないので、最後までは話せない。
「私はギンジ君に対して怒ってるかと聞かれたら、勿論怒ってるわ。でもね、ギンジ君は本来なら魔族とは縁遠い人族でしょ。それについて思う所がないわけでもないのよ……っと!」
クルミアは尻尾をくるりと巻き上げた。
するとたったそれだけの動作でガロックは腕を絡め取られ、僕が座っていた椅子へと独楽のように押しやられた。
体勢を崩したガロックは抵抗できずに座るしかない。現実を疑う光景だった。
「相変らずの馬鹿力だなおい……」
期せずして意見が一致したガロックの文句を脇に追いやって、クルミアは僕に黄緑色の幾何学模様を出す。
「『水仙!』」
まさかの回復魔法である。
僕の喉周りを重点的に覆った淡い光が、驚異的な勢いで負傷箇所を治してくれる。
魔力はもうびた一文も残っていなかったはずなのに、どういう理屈で発動させたんだ。
まさか別腹の魔蔵庫が存在するとか。
「これよこれ。ギンジ君はまだ食べ終わってないから感じにくいのかもしれないけど、ガロックの用意した丸薬のお陰」
クルミアは僕の疑問に第一関節くらいに小さくなった丸薬を見せて苦い顔をした。
「ガロックは薬の調合に関しては一級品の腕前してるのよ。この『練り合わせ団子』も味はともかく効果は保証するわ」
僕が見た時には半分ほど残っていた丸薬を、いつの間にかぺろりと平らげていたらしい。
食べ進めても元気にならないので薬の効果を疑い始めていたのだけど、完食しないと効果を発揮しない類だったのか。
団子という名前には疑問を呈したいにせよ、クルミアが元気になったのは喜ばしい事だ。
「クルミア姫がどうしてもって言うからお前の分まで用意してやったんだ。感謝しろ」
「さっきの話の続きをさせて」
鮮やかに無視されるガロック。さっき殺されかけたので同情はしない。
クルミアはどの話と繋げたいのかはっきりしない言葉遣いをしている。
怒りに見合う仕打ちを受けると思いきや、僕に手を貸すのだから謎が深まるばかり。
再び謎かけ問答でも始めるつもりなのだろうか。
「私はギンジ君との結婚を諦めるつもりはないわ」
「……クルミアも人族語を間違える事があるんだ。それじゃぁ文脈が滅茶苦茶だよ」
「私が人族語を間違えた試しがあったかしら」
「…………」
分かった、これ本気のやつだ。
僕は謎かけではなく直接の告白が飛び出した事に戦慄しつつ、腰掛けていたガロックが丸薬を握り潰した音に肩を震わせた。
クルミアが毒は入っていないと保証していたので、回復のためにも完食したかったのだけど、この魔族店主の前ではそれすら困難なようだ。
憤怒の形相を取り戻したガロックが、猛牛の如き突進を繰り出しているではないか。
「クルミア姫! あんたまだこんな人族の餓鬼と結婚する気でいるのかよ!」
次の瞬間、ガロックの肩から前腕に岩の鎧が現れた。
見間違いでもなく、ガロックの褐色の肌とは異なる乳白色の装甲を纏ったのだ。まるで肌の上から突然浮き上がったようだった。
岩は肉薄する間に形状を変え、鋸の参考にしたであろう幾重にも並ぶ刃へと進化する。
僕は守られてばかりでは面目ないと前に出て魔法を発動させようとするが、薬を飲み終えなかったせいで魔力が不足していた。
不発に終わった魔法を弄んだまま、凶刃が僕に迫る――
「ガロック」
その瞬間に、横合いから心胆寒からしめる仲裁の声が入った。
鼓膜に残響する音が体内から活動の余地を奪い、頭を垂れよと意識に訴えかける。
「ぐ、ぅ……」
対象が僕でないのにも関わらず、瞬きと呼吸を忘れるような威圧。
ガロックは僕の頸動脈の前で切っ先を止め、額から脂汗を流す。
呆れ果てた直後の疲労感を伺わせるため息を吐き、クルミアが互いを引き離すように僕たちの間に立つ。
首の動かし方を忘れてしまった僕は、続く言葉に頷くでもなく無言で聞き入った。
「私は絶対にギンジ君と結婚しなくちゃいけないし――ギンジ君だって私と結婚しないとアカネちゃんに会えないのよ」
「……まだ僕に隠し事があったの?」
クルミアがガロックを押しやったのを確認してから、僕はようやく口を開く。
正直もうこの場には――ガロックの近くには――一秒たりとも長居したくなかったのに、聞き捨てならない発言のせいで問い返してしまう。
「いいえ。私が隠してるんじゃなくて、ギンジ君が知らないだけよ」
クルミアは打って変わった無表情で、切り捨てるようにそう話す。
何もしていないのに自分が責められている気がして、どんよりとした空気が鼻から肺腑にのしかかった。
「アカネに会えないってどういう事?」
でも、アカネの話をされて黙っているわけにもいかない。
僕はオウム返しでも構わずに、心苦しさも隅においやった。
「ここじゃ説明しにくいわ。移動しましょう」クルミアは多くを語らずに離れとは真反対の裏道へ進んでいく。
その背中からは有無を言わさぬ追従命令が出ていて、さっきの件といい、彼女は本物の王族なんだと思い知らされる。
僕は口をつぐみ、重い体を引きずってつき従った。
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