第二十七話 ラミーリィ・クルミアルド4

 じっと僕を待ってくれるクルミア。

 尻尾が振り子のように一定の間隔で揺れている。

 僕は有耶無耶にしようとした自分を奮い立たせ、首の角度を上に調整した。

 片方が勇気を見せてくれたのに応えないのは、男どころか人間がすたる。


 クルミアの身長は僕よりも少し低く、対面するとクルミアの方が自然と上目遣いになる。

 掌を後ろ手で結んで屈んでいる彼女は、いつもよりも低い位置から僕の瞳を伺っていた。


「――ッッ!」


 その、仄かにはにかんでいる表情。普段は急き込んで話す癖して、僕が話したくなると言葉が思いつくまで辛抱してくれた微笑。


 アカネにそっくりだった。

 唖然とする僕の前で、クルミアの体に幻影が揺蕩い重なっていく。

 橙の髪が水色の下地に浮き上がり、小柄であるはずのアカネの体が表層に現れる。

 誰も動いていないはずなのに、彼女だけが短い腕を精一杯に伸ばして僕の頭に触れようとして。

 無性に愛おしくなって――確かめるようにその手を握ろうとする。


「あ――――」


 そうしたら、初めからなかったみたいに輪郭がぼやけて、アカネは空気と一緒に溶けだしてしまった。

 違う、全ては幻だ。アカネはオルバードに連れ去られて、名も知れぬ世界のどこかにいるのだから。

 分かっていても、僕は肩を落として黙考してしまう。


「クルミア……ごめん」


 静寂を破ったのは、緊張よりも寂寞をまとった僕の謝罪だった。


「僕には好きな人がいる。だから、その人に会って自分の気持ちを伝えるまで、クルミアの気持ちには応えられない」


 頭を垂れ、腿裏がつる限界まで腰を曲げた。

 恩返しをするまたとない機会で、クルミアがそれを望んでいようとも。

 どうしたって自分の気持ちに嘘はつけない。

 結婚すれば魔大陸に骨をうずめる事になるだろうし、アカネを助けに行く目標も潰えてしまうのだ。

 僕は不義理を働いているのを承知の上で、足の甲を睨みながら沙汰を待った。


「そう言うだろうと思ったわ」


 それに対するクルミアの返答は至って単純で、思わず顔を上げてしまうくらいにあっさりしていた。

 まるで自分が振られるのを見越していたみたいだ。


「まるで、じゃなくて」


 クルミアは処置なしと言わんばかりに肩をすくめる。


「寝ても覚めてもアカネ、アカネ。修行中も上の空の時はたいていアカネちゃんに思いを馳せている時じゃない――あ、そうそう。この前寝言で名前呼んでたけど、流石に気持ち悪いからやめた方がいいわよ」

「え」


「とにかく、一途なギンジ君を前置きなしの告白で落とせると思うほど、私は能天気じゃないの」若干早口でそう締めくくったクルミアは、しれっと毒を吐いたのを詫びもせず、地割れを横断するかの如き大股で僕の横を通過する。


 寝言の件が衝撃的だった僕は、しかしその事実よりも「気持ち悪い」と言われた方に落ち込んだ。

 結果ガロック雑貨店に足を向けたクルミアを呼び止める言葉が思いつかず、


「待って!」


 という典型的な文言を発してしまう。


「最後に一つだけ聞かせて」

「……簡潔にお願いね」


 クルミアは不機嫌さを滲ませて、すぼめた口でそう零す。

 あっさりしていた割には、やっぱり嫌だったんじゃないか。

 二度の失敗で学習していた僕は、誰に聞かれもしない囁きを喉の奥で弄ぶ。


 普段ならいらぬ気を遣って引いていたかもしれないが――告白を断られた直後に話しかけた対応としては、これ以上ない普通の反応が返ってきたので。

 それに乗じた僕はむしろ安心して質問できた。


「クルミアが僕を助けたのは、結婚相手として利用したかったから?」

「…………そうよ」


 店先で止まったクルミアは、そっぽを向いたまま暖簾の方向へ話しかけている。


「死にかけの憎っくき人族を助けたのも、面倒を見て体術だの魔法だの修行をつけてあげたのも、全部私のため。もちろん恋愛感情なんて一切ないわ。どんな美男子でも、会って二カ月そこそこの奴を好きになるはずないもの」


 後半は早口のあまりに母音しか聞き取れない部分があったが、今のだけでクルミアが僕をと伝わった。


「魔族の男を捕まえようにも、悪名高いクルミア家の婿になりたがる奴なんていないから、ギンジ君が現れたのは渡りに船。体のいい道具だったのよ」


 聞いてもいない説明をつけ加えるクルミアに苦笑してから、商品棚に分け入ろうとする背中に声をかける。


「クルミアはやっぱり優しい魔族だ」

「これに懲りたら魔族との接し方にもう少し注意する事ね――今なんて?」

「本心から侮蔑して貶めるような言葉をぶつける奴は、そんなに複雑な顔しないって」


 余計な一言もたまには役に立つ。

 予想と真逆であろう反応を訝しんだクルミアが反転して、僕は苦笑しながら噴き出しそうになってしまった。

 なにせ眉は困り角度になっているのに皺が寄っていて、心配しながら怒っている風の様相である。

 下唇を噛んでいるのか顎に木の実のような模様が浮き出ていて、この顔で先刻の発言をしたのかと思うと、それだけで口端がひくひくしてしまう。


「……愉快な顔をしているわね。五秒数える内に理由を述べて真顔に戻らないと、顔の部位を剥がしてギンジ君で福笑いをします。五……」

「え、いやだって……クルミアが悪口言うのへったくそで、それに百面相してたから――っぷぷ!」

「四、三、二……」


 自分で解説してたら更に面白くなってきた。

 暗澹あんたんたる気配を発してにじり寄ってくるクルミアに一抹の危機感を覚えた僕は、取り繕わずに直球勝負でいく事にして。


「僕はクルミアのそういう所、大好きだよ! 結婚は無理だけど!」

「……一、零! はいもう許さない! 生皮剥いでガロック雑貨店の見本人形になってもらいます!」


 突貫してきたクルミアと、お互いに疲労困憊のキャットファイトを行う羽目になる。


「クルミア姫……あんた一応王女なんだから、おしとやかになって下さいよ……」  


 黒々とした丸薬を持ったガロックがクルミアの首根っこを掴むまで、じゃれ合うような殴り合いが続いた。

 ちなみに僕はガロックに蹴飛ばされた。

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