第十四話 戦う

 クルミアは僕と反響蟲の間にある僅かな隙間に足を入れ、そのまま振り抜く。


「ギィッ!」


 敵がひっくり返ったのを確認して、寸分の迷いもなく後方へと走り去った。

 その横を、僕も寝転がったままついていく。

 これは別に、死の淵に瀕して新しい魔法が発現したとかではなく、単に倒れた状態のまま尻尾で拾われたからだった。


「少しは見直そうかと思ったのに……やっぱり大馬鹿野郎だわ」


 しかも相当にご立腹のようだった。尻尾の締め付けもぎゅうぎゅうで、かつてない程の圧力を感じる――むむむ。

 締めつけで感情が分かるって、何だか変態みたいじゃないか?


 緊張から解き放たれた僕は、そんな下らない考えを浮かべられるくらいには安堵していた。

 言葉の栓も緩くなってしまい、饒舌になる。


「助けてくれてありがとう。いや、死んじゃうかと思った。まさかあの距離から横槍が入るなんてとんだ災な――」


 パァン!


「いっ――!?」


 耳元で破裂音がした直後に、頬に熱い刺激が広がった。


「ふざけんな!!」


 唖然とした僕の視界に飛び込んできたのは、激昂するクルミア。

 こまめに整えていた爪の先までもを真っ赤にして。

 瞬きが終わるよりも早く、もう一度叩かれる。


「周りも見ないで勝手に突っ込んで、すぐに倒されてっ……私がいなかったら殺されてたのよ!?」

「それは分かってる……よ」

「ううん、全然分かってない! 魔力も切れてたでしょ!? 自分が消耗してる時は策を練ってから戦えって教えたはずよ!」


「それはクルミアを守ろうと思ったからだ」それを喉から出る一歩手前で飲み込んで、意図的に首から先の力を抜いた。

 うなじに吹きつける風が、熱くなった背中の患部と、頬の手形を冷ましてくれる。

 思えば、痛みの耐性は随分高くなったもんだ。

 昔なら反響蟲の攻撃どころか、訓練のとび膝蹴りだけで気絶していただろうに。


 調子に乗っていたつもりはない。

 観察する研究者がいたなら数日で根を上げていたに違いない、退屈で、苦しい反復練習を繰り返す中で――改めて死ぬ気で特訓したお陰で、僕は身の程ってやつをこれまで以上にわきまえた。

 奇跡の才は世界最低、剣は凡人以下。魔法の方はまだはっきりとはしないけど、多分大した事にはならない。


 どれだけになろうとも、弱さと僕は長いつき合いの、言わば親友みたいなもんだ。寄り添って丹念に伸ばしていくしかない。

 頭で学者っぽく考えるなら、僕だってこれくらいは分かる、分かってるんだ。


「僕がもし反響蟲を一人で倒そうと思ったら、あとどれくらいかかる?」


 しゃがれた声で、クルミアに聞いてみる。


「……甘く見積もっても四カ月は必要じゃないかしら? 基礎もまだまだだし、もっと時間をかけてもいいくらい――」

「――――それじゃ駄目だ」


 後方から音振動の攻撃が飛んでも、全くもって気にならなかった。

 喉奥へ、かぴかぴした空気を送りこむ。

 クルミアが僕をおもんばかって怒ってくれたのは充分に伝わった。でも、だからこそ、嘘やごまかしで逸らさず、真っ向から言う必要がある。


「アカネを助けたいのに、こんな所で足踏みしてる場合じゃない。この二カ月でアカネが酷い目に会わされたかもしれないって――そう考えるだけで、胸が張り裂けそうなんだ。クルミアは言ったよね? 魔物を一体でも倒せたら、次の段階へ進めるって」

「確かに言ったけど! それは順を追って頑張ろうって伝えたかっただけよ! こんな風に無茶させるためじゃないわ!」


 正論これ極まれりって感じだ。

 まあ、ここで引き下がるくらいなら最初から言ってないんだけど。

 確認するまでもなく後ろの足音が大きくなっているので、そろそろ決めないとジリ貧になるし。


「ま! 次は勝つから大丈夫だって! 降ろしてちょ!」


 ゴツ!


「っったぁ!」


 軽いテンションで錯乱させる計画は失敗に終わった。

 尻尾を巧みに蠢かせ、僕の脳天に枝をぶつけたのだ。

 結構太い所に当てられてので、めちゃんこ痛い。なんなら反響蟲に打たれたのと同じくらい。


「私は本気で心配してるのにっ……」 

 

 息切れ一つ起こしていなかったクルミアが、ここで初めて呼吸を荒くした。

 概ね僕のせいなので、返す言葉もない。

 無駄に状況を悪くさせただけともとれそうだった。

 どうしよ、あわあわ……。


 空気を軽くするつもりが、逆にどんよりと濁っている。

 僕はただ、もう一度戦う機会が欲しいだけなのに。


「…………それがギンジ君にとっての、本気で頑張るって事?」


 その一言で思考の大海原から帰還した僕は、次の瞬きをする前に、桜色の奔流に吸い込まれていた。

 クルミアの潤んだ瞳の輝きと、唇を引き結ぶ真剣さの黄金バランスが、彼女以外を見させない。

 さらさらと流れる水色の髪も、激しく波打っている。


 頭の裏側まで見抜かれているような眼光を浴びて、無意識に唾を飲む。

 ような、ではなく、本当に分かっているのかもしれない。

 匂い立つ気品に、気づけば口を開いていた。


「ここで逃げたら、また負ける。焦りに踊らされて修業の成果も発揮できない、ただの愚か者になっちゃう。それは――嫌だ。他の誰が許しても、僕が自分を許せない」


 ふとした瞬間に、アカネがこの世から消えてしまったのではないかと怖くなる。

 クルミアの声にかき消されて、オーリッド村で聞いていた、弾むような音程を忘れそうになる。

 僕はその度に、頭を掻き毟らずにはいられない、強烈な焦燥に身を焦がされる。

 自分の知らない場所へ、アカネが旅立ってしまったような気がして。


 視線を絡ませて、僕たちは想いをそれぞれに交換した。

 クルミアからは姉が弟に向けるような、いや、それにしては激しい葛藤がうかがえる。

 注がれるのは、厳しさゆえの優しさ。

 何となく、軽口を叩いて降ろしてもらおうとした自分が情けなくなって、目を逸らしそうになる。


「ふうん……そっか……そうなの……」


 息をするよりも長く、風が吹くよりも短い時間が経って、クルミアがそっとひとりごちる。

 白い吐息が鼻先をかすめて、くすぐったい。

 僕の方をねめつけ、呆れか、それに近い類の微笑を浮かべ、尻尾を上下に揺らす。

 内臓がぶるんぶるんして、気持ち悪かった。


「そいやぁ!」

「げふっ!」


 と思えば、僕の体は地面に叩きつけられていた。

 擦れた傷が再度熱を帯びて、背中を反らして苦悶せざるを得ない。

 反響蟲との距離も多少開けているものの、縄張り意識の強いやつらの事だ。一瞬で追いつかれるに決まってる。


「何すんだよっ――!」

「『水仙』!」


 黄緑色の光が僕の体を淡く包んで、背中と、頭の打撲に染みわたった。

『水仙』。クルミアが僕の命を救ってくれた回復魔法だ。

 痛みは体の内側に引っ込んで、削るような熱さも吹き飛んでしまう。


 でも、『霞切』の魔力すら残っていなかったはずだ。

 そんな事をしたら――


「くぅ……」

「――クルミア!」


 手もつけずに顔から倒れかけたクルミアの元へ、慌てて駆け寄る。

 体は絶好調の本調子で、頭が落ち葉につくよりも速く、余裕をもって支えられた。


「足りないって分かってて、どうして使ったんだ!」

「ふふ――そりゃあもちろん、ギンジ君を全快させるために決まってるでしょう」

「っ……!」


 驚愕に目を見開く僕をいたずらが成功した子供の顔で見て、クルミアはまた微笑む。

 反響蟲と決着をつけたかったのは僕の我儘でしかなくて、さっきのだって口論と呼ぶには幼い主張だった。それなのに。


 意識が朦朧とし始めたのか、白磁の細い手が体温を求めて揺れる。

 すぐさま僕は手を掴んで、傷つけないように、だけど離れないように、強く握りしめた。


「私もね……魔法が弱っちくて、家の人に追い出されちゃったの……だから、ギンジ君が奇跡を使えなくて苦しんでるって聞いて……放っておけなくて……厳しかろうが強く鍛えてあげなくちゃって……でも、私もとことん甘いわね……」


 クルミアがこんなに自分の話をしたのは初めてだった。

 切なそうに目を細めるその仕草が、普段からは考えられない程弱々しくて、いたたまれなくなってしまう。

 それでも、ここで顔を背けてしまえば、彼女の心意気までもを裏切る事になる。

 少し泣きそうになっている自分を奮い立たせて、気持ちの分だけ掌に力を入れた。


 ぱん。


 湿っぽい音がして、頬にクルミアの手が触れる。

 叩いたにしては甘くて、しょっぱい感触だった。


「私がこれだけ後押ししてあげたのに……ただで負けたら許さないわよ……勝手に死だりなんかしたら……地獄の底まで追いかけてやるん……だ……から……」


 最後の一言は梢すら気を遣ったみたいで、鼓膜に余韻を残すくらいの透明さで聞こえた。

 まったく、まだ会ってから一年も過ぎていない魔族の少女から、こんなに熱烈な台詞をもらうなんて。


 ずり落ちたクルミアの手を一番綺麗な葉っぱに置いてから、僕は静かに立ち上がる。

 突撃した時ははちきれんばかりに鳴っていた心臓も、今では穏やかな鼓動を奏でていた。


「キュキュキュゥ?」「ピピピ」「ピュピュェェ!」


 追随していた三匹の反響蟲も、急に止まった獲物に首を傾げたものの、すぐに戦闘態勢をとったようだった。

 背中の羽を広げ、見せつけながらの威嚇。


 僕は木刀を正中線に構え、力まない姿勢で距離を測る。

 ついでに、どうせ相手には意味が分かるまいが、言ってやらなきゃ気が済まない一言を浴びせておく。


「――いざ尋常に、勝負!」

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