第十五話 反響蟲
すぐに駆け足で相手との距離を詰める。
とりあえず僕の方に注意を向けてくれないと、後ろで倒れているクルミアに火の粉が降りかかってしまう。
魔物は知能が高くないのも幸いして、すぐに一匹六つの――計十八個の眼球がこちらを注目した。
「よし、まずまずだな」
ぶっちゃけかけ算できたのも嬉しい。
閑話休題。
「キィィィィィィィィ!」
「ここだっ!」
追いかけっこを強制されて相当に焦れていた反響蟲は、即座に羽を広げ、真っすぐに攻めてくる。
音での攻撃は操作できる類ではないので、落ち着いていれば問題ない――はずだった。
「うえ、当たってんじゃん!?」
飛んでくる軌道を読んで難なく避けたつもりでも、少しかすってしまう。
修行用の長袖が脇腹にかけて破けていた。
じっくり構えても避けられないなら、時間をかけた分だけこちらが不利になる。
やるなら速攻。
それも一体は確実に葬れる方法でだ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
結論が出るや否や、僕は喉を壊すつもりで大音声を上げた。
反響蟲は音で意思疎通を行うので、自然と耳が発達したつくりになっている。
自滅しないよう攻撃する時は垂れ下がらせているものの、普段は仲間の救難音声を聞き取るために立たせているのだ。
「げほっ……よし!」
計画通り敏感な所に特大の刺激を浴びた反響蟲が、頭部についている触覚をぴくぴくさせて固まった。
三匹の内真ん中にいた個体だけが攻撃していたので、耳を塞いでいなかった左右の二匹が硬直している。
先走り野郎も技を打った疲労からか、羽を畳もうと四苦八苦しているし、この機会を逃すわけにはいかない。
僕は思い切って駆けだした。
「歯ァ食いしばれ!」
さっき喰われそうになった時に見た限り、反響蟲には歯がない。
僕は気分の問題だと片づけて、視線を右前方に固定する。
ここから先は一分一秒が惜しい。
余計な思考は切り捨てて、剣線だけに集中しなくては。
「っ……!」
歩幅を調節して木刀の芯に当たるよう距離をとり、軸を固定して構える。
アカネだけじゃなくクルミアの事も脳裏に浮かべながら、腰の連動に気をつけて――振り降ろす!
「『上段・天』!」
ようやく様になりつつある、といった段階の剣技に名前をつけている理由は、気分が高揚するとしか言いようがない。
右上から袈裟切りの要領で振り下ろしているだけなので、名前負けしていると薄っすら思っているものの、口にした言葉は戻せず。
もちろん躍動する筋肉を止める手段も持っていない僕は、むしろ渾身の気合を込め、無抵抗な頭部に木刀を叩きつけた。
「グキュェ!」
生々しい音と共に、透明の体液をまき散らして右端の一匹が絶命する。
断末魔をあげるその瞬間まで不動だった点からも、耳が想像以上の急所であると伺えた。
こんなに分かりやすい弱点があるのに、観察もせずに突っ込んだあんぽんたんがおるそうな。
「もういっちょ――っおぅ!」
ひっくり返かえって、足を痙攣させ始めた昇天蟲を意識から外して、弱っているもう一匹の排除に乗り出そうと思った矢先。
動けるようになった二匹が同時に飛びかかってきた。
音による攻撃は逆効果と判断したためか、肉弾での特攻だ。
こいつらの大きさは五歳児相当なので、跳躍してのしかかろうとする様は中々におぞましい。
後ろに下がって事なきを得たとはいえ、仲間を殺された怒りからか、狂乱ともとれそうな暴れっぷりに変わっていた。
種族で縄張り意識が強いだけに、絆もまた強固なのだろう。
「つっても、お前らだって僕たちを殺そうとしてるんだから、お互い様だと思うけど……!」
意外と学習する魔物のようで、音振動を使っていないのに、耳をぴったり閉じて封をしている。
これだけでもだいぶ苦しいのに、僕には現在進行形で頭を抱えたくなる問題があった。
間合いが取れない。
告白すると、僕がクルミアから教わったのは『上段・天』だけなのだ――つまりは上からの振り下ろししか能がないという話である。
木刀の全長は僕の上半身に合わせるように仕立ててもらったので、二歩三歩下がった位置からしか威力を発揮せず。
しかも訓練用の重さ重視の一品である弊害も加わって、小回りが利かない。
こうも接近されて張りつかれると、防戦一方にならざるを得なかった。
「はっ、このっ……ちょこまかと……」
こうなってしまうと死活問題だ。
反響蟲の肉体攻撃に致死性のものはないが、鋏角や、刺々しい足に削られて出血を繰り返せば、最後に立っているのは相手になる。
策を立てるというのは最初から最後までの道筋を想定する事であって、一つの思いつきを実行するのはただの浅慮なのかもしれない。
「ぐっ……」
息を合わせた反響蟲の連続攻撃によって、僕の体は更なる後退を余儀なくされる。
確認できるだけでも、額、鎖骨、胸、そして太ももから出血していて、体の悲鳴が聞こえそう。
垂れてきた血の一滴をまつ毛の上で拭ってから、体を支えようと僅かに膝を曲げた。
しと、と腐葉土ではない感触がして振り向く。
そこには行儀よく指を折り曲げて気絶しているクルミアの腕があった。知らぬ間に進んだ分を帳消しにしていたらしい。
魔法を使いきって倒れたはずなのに寝顔は清々しくて、苦痛の色は見られなかった。
「負けらんないなぁ……!」
貧血なのがどうでもよくなるくらい、一気に力が満ち満ちる。
こんなに期待されて、託されるのは生まれて初めてだった。
僕が負けたら死ぬと承知の上で魔法をかけてくれた。
報いたい、そう素直に思う。
自分のこれまでの努力に、信じてくれたクルミアに。
止めを刺すために一度距離をおいた反響蟲を、僕は血が抜けて程よく冷めた頭で観察する。
体の熱は最高潮に達しかけているのに、まるで自分が二つに分かれたみたいだった。
敵もただならぬ気配を感じ取ったのか、安易に攻めてこなくなった。
じりじりと右左から距離を詰めてはいるものの、飛びかかってはこない。
手負いの獣が一番恐ろしいと、身をもって知っているのか――あるいは野生の本能か。
どちらにせよ僕にとっては、作戦を練る時間を与えられたのと同じ。
最後の機会であろうこの一瞬に、これまでの全てを賭ける。
足りない頭で考えろ。端から端まで、一直線に結びつく起死回生の一手を。
予想しろ。相手なら、この場面でどう動いてくるのかを。
汗と血が混ざった体液が唇に触れ、僕はそれをぺろりと舐めとった。
極度の緊張と集中のためか、味はしない。
「ギュィィィィィィ!」「シュリリリ!」
――刹那、二匹の魔物が飛び出す。
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