第十二話 クルミアの秘密

「ぶっ!」


 衝撃をもろに受け、木の葉をまき散らしながら後ろへ吹き飛ぶ。猛特訓の甲斐あってか、受け身はとれるようになったものの、こんなに勢いがついた状態では咄嗟に手が出ない。

 僕は表面が虫に喰われてぼろぼろになっている木の一本に背中を打ち据えて、肺の空気を絞り出した。


「かはっ……」


 凹凸のある幹の引っかかりに袖口を破き、肌を出していた箇所からは血を滴らせて腰から倒れる。うつ伏せでも仰向けでもないけど、戦闘不能って意味では同じだ。

 吐き切ったまま吸えなくなった気管を叩いて、無理矢理に空気を取り入れる。さんざんしごかれたせいで、後処理の方が上手くなってしまったかもしれない。


 ご覧の通り、少し鍛えた程度じゃ節足野郎――正式には『達磨蟹だるまがに』と言うらしい――を一撃で倒して見せたクルミアに打ち勝つのは厳しかった。むしろ、なまじ鍛えたせいで戦力差を思い知らされたとも言える。


「体術勝負ですら勝てた試しがないし……。なんでもありの実戦形式なら、こうなるのは当然か……」


 正直な話、僕は魔法を一回使うと魔力の殆どが底をつくので、体中から力が抜けて仕方ない。

 魔物を倒して『魂力』なるものを貯めれば簡単にへばらなくなると教わったものの、未だに試せていなかった。

 この森に出てくる魔物が凶悪なせいだ――及び腰になってるわけではない。


「はいギンジ君『ヒュードリッヒ』」


 怪我の確認もせずに僕の傍まで来ていたクルミアが、聞く人によっては意味不明な単語を呟く。


「容赦ないね――『胡椒』」

「おっ、正解。だんだん覚えてきたわね」


 謎かけのようなやり取りを終えてから、ようやくこちらへ手が差し伸べられる。

 意地を張っても無駄なので、華奢なのに僕の数倍の力がある掌を支えに立ち上がる。視界が数度揺らいだものの、意識までは失わずに済んだ。


「『魔族語』は単語をいくつ覚えれるかで、聞き取りの精度も会話の飲み込みも全部変わるから。その調子で頑張って」


 僕の体をぺたぺた触って打撲や骨折している箇所がないかを念入りに確認し、クルミアは満足そうに頷いた。怪我だけではなく、魔族語の習熟度を併せてのご機嫌だ。


 当たり前と言えばそうで、魔大陸には人族とは違った文化と言語がある。クルミアが訛りもなしに同じ言葉を喋るので、世界共通語だと勘違いしていたのだ。

 実際は魔族語という独自言語があり、人族語を話せるクルミアはかなりの秀才という話だったのだが――本人曰く、話せない言語の方が稀らしい。


 これから魔大陸を南端から北上するにあたって、魔族との邂逅は避けられない決定事項だ。

 人間である以上、出会った暁には戦闘が必至になるとはいえ、万が一にも話の通じる魔族がいるかもしれない。クルミアのような優しい魔族もいるし、できることは頑張っておきたかった。


「怪我の方はそんなに酷そうじゃないし、治さなくても大丈夫よね」

「ん、そっちもそんなに魔力残ってないだろうし、無理しないで」

「余計な事は言わない」


 びたーん、とでこぴんで額を弾かれてしまう。

 クルミアは魔力が生まれつき少ないらしく、使える種類が多い分の制約がかけられている。

 達磨蟹と戦う時に動けなかったり、お風呂のお湯が沸かせなかったりしたのもそのせいだと愚痴っていた。

 僕はそれくらい匙な事だと思うけど、人の悩みにあれこれ口出しする趣味はなかったので言及はしていない――ちょうど今、魔族語のほうに意識が寄って話しちゃったけど。


「私結構気にしてるのよ? もしかしてギンジ君って、がさつなの?」

「うーん、別に馬鹿にしようってんじゃなくて――ただ、そこまで魔法が使えるのに落ち込む理由が分からないだけ」

「そうきたか……」


 クルミアは手からおもむろに白い靄を出して、自分の顎を加湿しながら首をかしげる。

 冬の乾燥肌にはもってこいとはいえ、今は秋で、しかも南端なせいか嫌に蒸し暑い。肌のお手入れは必要ないはずだ。

 別に言いたい事でもあるのだろうか。


「私の魔力ってギンジ君の何倍も、何十倍も訓練しての総量なのよ。だから、ギンジ君が努力を怠らないで、魔物を倒せるようになったらすぐ抜かされちゃうの」

「じゃあ、その分だけクルミアも魔物を倒せばいいじゃんか」

「魔物の魂力は倒せば倒すほど手に入りにくくなる――前に教えなかった? それとも、復習が必要かしら」


 しまった、馬鹿丸出しだ。

 手首を顔の前で振って時間を稼ぐ――この間に思い出せばまだ許してもらえる。

 普通に記憶から抹消されてると最悪。

 さあ、僕はどっちでしょう。


「すっきり忘れたのね、あんぽんたんギンジ君」

「当たりが強くなってません?」


 記憶力が動物並みなのは仕方ないとして、僕の扱いがぞんざいになっているのは如何ともしがたい。

 クルミアは耳たぶを引っ張り、ほっぺを膨らませている。

 たまに出現する特殊な表情だ。魔大陸特有の人をおちょくる伝統芸能なのか、クルミア自作の変顔なのかは未だに聞けていない。


「いーだ。ギンジ君なんてもう知らない。いっその事、森の奥深くで野垂れ死んじゃえばいいんだわ」

「発想が極端すぎる……」


 常時発している包容力たっぷりの気配と、時折見せる子供っぽい態度の差に笑ってしまう。こんな気楽なやりとり、アカネ以外とはできなかったし。


 このまま雑談に興じていたい気持ちもあるけど。

 無駄口を叩くのはここまでにして、自主練にとりかからなくては。

 一日の課題は終えても、理想の強さに近づけるよう――助けられるだけの力を得るためにも、ここで止まるわけにはいかない。

 魔法が使えた事自体が奇跡に等しいのだ(魔法が奇跡って皮肉じみてる)。

 何かの拍子で魔法の才も閉ざされてしまう前に、磨けるだけ磨いておきたい。


「……ギンジ君、ちょっと変わったよね」


 魔力はないので想像力だけで次なる魔法の形を模索していると、しみじみとクルミアが口を開いた。


「そうかな? ……僕はいつも通りだと思うけど」

「ううん、私も説明しずらいんだけど……きらきらしてる、かな?」


 珍しくふわっとした答えが返ってきたので、クルミアに合わせて僕も首をかしげる。

 でも、言葉の正負くらいはわきまえているつもりだ。

 明らかな褒め言葉だったので、口元がひくつくのを隠すために首を傾ける必要があった。

 練っていた魔法の形状も、下げた右脳から落っこちてしまいそう。褒められ慣れていないので、むずがゆかった。


「どうしたんだよ、急に――」

「――キュキュキュキュキュキュキュキュキュキュキュキュキュゥ!!!」


 秘伝奥義照れ隠しを出しかけた僕の声は、この森随一の不愉快な叫び声に妨げられる。


「っ!――――ギンジ君、構えて!」


 ほんわかした空気を切り裂いて、クルミアも『霞切』の低姿勢をとった。

 返事をする間が惜しく、僕も無言で木刀を構える。

 あんぽんたんな僕でも、何百回も聞いた鳴き声を忘れるはずがない。

 そいつはクルミアの膝丈程の高さに、楕円系の丸みを帯びた体をもった泣き虫の森の定番にして最悪の魔物。


 背中の開閉する羽から甲高い金属音を発したのを見て、僕は敵の名を呼んだ。


「――――『反響蟲はんきょうちゅう』!」

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