第五話 魔族
目が覚めると、見知らぬ天井が頭上に広がっていた。
僕は半ば夢見心地で布団の上に寝転がり、程よい眠気を堪能している。
「夢……?」
それにしては、嫌に現実味を帯びた夢だった。自分と対話する荒唐無稽なシチュエーションでも、幻という一言で済ませそうもない。
覚悟を決めたあの瞬間、僕の体から燃え盛った炎は間違いなく本物だった。
さりとて、もう一人の自分と出会いました! と現実に宣言しても、頭がおかしくなったと思われるのが関の山。
僕は一度思考を保留して、起き上がる事にした。うだるような熱気が室内に籠っていて、二度寝は難しい。
木の床を踏み、玄関と思われる方へ向かう。移動中に確認すると、酷い有様だった全身の傷がきれいさっぱり治っていた。
数秒前の保留を取り下げよう。やっぱり整理が必要みたいだ。
せめて現状把握に努めようと、僕は今日一日を朝から振り返る。
1起床➡2朝食➡3労働➡4気絶➡5夢?➡6復活
4と6の間がやはり謎めいている。そもそも、今の現状を復活と呼んでいいのやら。
まだここが現実だとは確定していないし、慎重にいこう。
「こんにちは」
急に後ろから話しかけられ、心臓が飛び出るかと思った。
さっと振り返ると、水色の髪とブレスレットをつけた少女がこちらを見ている。
下はハーフパンツで、上はだぼっとしたパーカー。身長はアカネよりも高い――観察してる場合か。
「初めまして、私はラミーリィ・クルミアルド。クルミアって呼んで」
「僕はギンジです。家名はありません」
頭の中は疑問符で一杯だったが、僕は最低限の礼儀として名乗っておく事にした。
少女は自分をクルミアと言い、名前ではなく家名で呼んで欲しいと告げた。
家名をわざわざ省略するのは謎めいているが、この方が呼びやすいのでよしとしよう。
クルミアの透き通った視線に耐えられずに、僕は目線を逸らす。
クルミアはアカネとは違い、凛と咲く花のような印象を受けるので、どうにも落ち着かない。
一旦、アクセサリーの方へ意識を向けることにしよう。
アクセサリーは見慣れない素材で、マーブル柄の穴あき石を使っているみたいだ。
先が反り返り、奥は凹凸の珍しい石だ。細かい加工技術が必要だろうに、クルミアのブレスレットはその石が惜しげもなく使われていた。
「初対面の女の子をジロジロ見るなんて、中々いい趣味してるわね」
「わ、ごめんなさい。珍しかったのでつい」
僕は会話を忘れて、クルミアの容姿に没頭した。夢中になると周りが見えなくなるのは、幼少期からの特徴でもある。
しかしその結果、クルミアに
自分の容姿を珍しいと言われて、好意的に捉える事はまずないだろう。完璧に間違えた。
「ふうん。ま、そうよね」
対してクルミアは僕の答えに納得したようで、しきりに頷いていた。
今ので矛を収めるとは、随分温厚な人だ。都合がよい方向に解釈してくれるのは有難い。
大らかな人の前だと、自分の小ささが際立つのはどうにかしたい所だが。
クルミアがくるりと背を向ける。今ので会話は終了です。言外にそう告げている風に見えるのは気のせい――え?
「だって私『魔族』だもん」
尻尾だ。尻尾が生えている。昔、村で見た大蛇に似た、それでいて鱗に覆われ光沢を放っているそれに、僕の目は釘付けになった。
「やっぱり夢?」
「現実だよー。ほれほれ」
クルミアは尻尾を左右に振って見せる。合わせて僕の目線も行ったり来たりと、猫じゃらしで遊ぶように忙しなく動く。
この時点で尻尾の方は眼中にない。僕は尻尾の根本、つまりはお尻に目線が移っていた。
許して下さい。思春期なんです。
脳内信号が停止を呼びかけても効果なし。男に生まれたからには抗えないのだ。
すると、クルミアの尻尾が急に伸びた。これは主観による錯覚だろうけど、そう感じる迫力で僕の顎が叩かれた。
尻尾は意外とざらざらしていた。
「意味分かんないんだけど!?」
破壊力抜群の攻撃に膝をつきつつもどうにか踏ん張ると、腕を組んでぷんすか怒っているアカネの幻覚が見えた。アカネはいやらしい事が嫌いだからな。
それにしても、急に殴ってくるなんて卑怯だ。せめて宣言してからにして欲しい。
悪いのは僕だけども。
クルミアは見るからに動揺して、尻尾も左右どころか円を描くように暴れまわっていた。冗談で済みそうな様子はない。
何だか文句を垂れている自分が極悪非道の人間に思えて、申し訳なさがむくむくと沸き上がって来た。
まず謝るべきじゃないか。こうやって言い訳をして物事を脇道に逸らすのなら、僕は今日一日で得た教訓を少しも活かさない事になる。
「ごめんなさい」
「ここで謝るの? そうじゃないでしょ!?」
この一言でクルミアはますます混乱して、尻尾どころか体中の部位がしっちゃかめっちゃかの大騒ぎだ。
もちろん僕も慌てた。謝るだけでは許して貰えないとなると、これ以上の誠意を見せる必要があるが、その方法がいまいち分からない。
「本っ当すみませんでした! つい見ちゃったんです!」
「いや見せたの!」
「はい?」
「丁寧に見せてあげたのに、その反応はおかしくない!?」
なんと、クルミアは自らお尻を見せる痴女だった。これにはたまげて、開いた口が塞がらない。
尻尾に対する賛辞の言葉を期待していたクルミアに、的外れな謝罪をしてしまったと、僕は更に己を戒めた。
せめてものお詫びとして、出来る限りのリカバリーを試みよう。
「なるほど。その美しい曲線美に気付かないなんて、僕もまだまだのようです」
「だから違う!」
もう何がどう違うのか分からない。
「ほら! 念のためもう一度見せてあげる! どう!?」
「お尻ですよね」
「尻尾でしょうがっ!!」
クルミアの尻尾が今度は横っ腹に叩きこまれた。感情の揺れ幅で尻尾の威力が変わるらしく、今度のは一段と強烈だった。
流石に堪えきれず、壁にずるずると伸びる。それを見たクルミアは、それはもう大慌てで僕の体を治療してくれた。
前後不覚でよく確認できなかったけど、見た事がない種類の奇跡を使っていたのは間違いない。治癒系統が使えるってことはもしかして――
「ごめんね、びっくりしちゃって……」
「いえ、こちらこそ……。何をそんなに驚いていたかは、気になりますけど」
「そう! そうよ!」
そこでまたもやクルミアが反転して尻尾を見せる。やっぱり褒めて欲しいんじゃないか?
「どう!?」
「どうって……尻尾ですよね」
「見えてないのかと思ったけど、違うみたい……。怖くないの? 私は『魔族』なのよ?」
僕はその一言でようやく合点がいった。なるほど、この場合では確かに自分の方が異常だ。
【魔族。人間と領土を巡って争いを繰り広げ、混沌と絶望をもたらした亜人。悪辣非道で私利私欲の為にしか行動しない、倫理観が存在しない怪物。
約千年前、人類が平和に暮らしている土地に突如として姿を見せ、瞬く間に世界の半分を征服し、同時に生命の半数をこの世から消し去った恐るべき種族である】
学校ではこう教わったとアカネが言っていた。又聞きなので詳細は分からないが、教師の話に恐れ慄き、失神する生徒が続出したらしい。
らしいと言うように、僕はその場にいなかった。
僕は生まれてこのかた教育を受けた試しがない。
義務教育年齢前である八歳の頃に無信仰者と判定されたせいで、聖学校に通うことを許されなかったのだ。
大人は僕の事をいつも邪魔者扱いしていた。
まともに接してくれたのはアカネだけ。
オーリッドの村でそんな生活を九年間も続けていて、大人が言う反魔教育を鵜吞みにしろって言う方が無理な注文だろう。
魔族に対して多少の恐れを持ってはいたが、廊下の幅を最大限に使って「聞いてた話と違うわよ……」などと目を回しているクルミアを見ると、とても邪悪な存在には思えない。
それにさっきの奇跡――魔族が使うのは『魔法』だったっけ――を見た直後の疑問が当たっていれば、クルミアは悪魔どころか僕の天使になりうる。
「あの、クルミアさん」
「心配しないでギンジ君! 私は君を取って喰ったりしないから!」
まだ何も言ってないんだけどな……。
どうにもクルミアと会話が噛みあわず、僕は頬を掻いて思案する――待てよ。僕はふとそこで立ち止まる。
さっきから考えてばかりで、行動が後手に回っていないか?
目の前に答えを持っている人がいるのに推測を組み立てるのは、なんとも遠回りで、効率の悪い行動にしか思えない。
もちろん場合によっては自分で答えを導く努力も必要になるけど――おっと、また脇道に。ええい、じれったい。
「クルミアさん!!」
「はひっ!」
思い切って大声で呼ぶと、クルミアはびくっと反応して尻尾を壁に強打した。
その威力に家全体が揺れ、天井から降り注ぐ木屑が互いの肩に積る。
この尻尾についても思う所は山ほどあるが、熟考するのはもうお終いだ。
「信じるかは別として、まず僕は魔族をそこまで怖いとは思ってません」
「嘘! 人間は魔族に出会うと身ぐるみを差し出して命乞いするって、父さんが言ってたわ!」
……それはお父さんが強面なだけじゃないか?
「でも、事実として僕はクルミアさんと普通に話せます」
「実は膝がガクガクだったりしない?」
僕はその返答にこそ、がっくり膝から崩れたい気分だよ。
クルミアは人間への偏見を捨てず、僕の説明を頑として聞き入れない。
偏見や確執の類は、そう簡単に捨てれるものではない。今は一つの事に拘泥せずに、大きい疑問から順番に片付けていくとしよう。
「それはさて置きですね」
「置かない」
僕は無視する。
「記憶が曖昧なんですけど、僕は多分死にかけだったと思うんですよ」
「……ああ、それなら私が魔法でちょちょっと治してあげたわ」
クルミアは手から幾何学的な模様を出して見せる。薄緑色の円が何層にも中点で重なっているのを見て、僕は驚愕半分、納得半分の心境になった。
魔法だとは思っていなかったが、僕が突き飛ばされた時の光景はやはり見間違いではなかった。クルミアは治癒能力を持っている。
「クルミアさんが助けて下さったんですね。どうお礼を言ったらいいのか……」
僕は深々と頭を下げた。クルミアがいくら自分を人間から恐れられる魔族であると主張しようとも、この瞬間から彼女は僕の恩人だ。
恐怖など感じる筈もなく
「おっ、お礼!? 私はただ目の前で死なれたら寝覚めが悪いって考えただけで……ごにょごにょ」
もじもじするクルミアを見るだけの余裕が生まれていた。
いや本当に、人は生を実感すると心にゆとりができる。僕は勢いでクルミアに抱きついてしまいたいくらいの心境だった。
しかし、まだ聞く必要のある事柄がいくつか残っている。難所は乗り越えたも同然なので、ここから先は勢いで聞いてしまおう。
「命を救われた身の上で虫のいい話なのは分かってるんですけど、僕はオーリッドっていう村に帰らなくちゃいけないんです。もしここら辺の地図を持っているのなら、貸しては頂けないでしょうか?」
クルミアはすぐさま眉を
いや、やっぱり急過ぎて気の利いた言葉が出て来ない。そもそも会話が得意ならこんな回りくどい展開にはなっていない訳で――
「ここは『魔大陸』よ? 地図なんて存在しないわ」
……はい?
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