第六話 蟹光線
「クルミアさんも冗談言ったりするんですね。でも、今のはあんまり面白くなかったですよ?」
「そっちこそふざけないで欲しいわ。私は真面目に答えてるのに」
僕はクルミアの顔に冗談の気配が微塵も含まれていないのを確認して、本日二度目の失神タイムに突入しかける。
生まれて初めて見る魔族がいる時点で異郷の地に飛ばされたのは分かっていたけど、魔大陸は予想の斜め上過ぎるのだ。僕は認めない、というより認めたくない。
「魔大陸だって言う証拠はあるんですか?」
クルミアは地図の単語は理解していた。それなら、現在地を把握する魔法を持っていると考えるのが妥当だ。
魔法が奇跡と同等の力を持ってるなら、地形解析すら容易かもしれない。
「証拠ね。私の言う事が信じれないの?」
はい、そうです。ここでそう断言する程、僕は人間性に欠けているつもりはない。
僕は無言を貫き、「沈黙は肯定」を地でいくことにした。
「……分かったわよ。ほら、ついて来て」
この姿勢は魔族にも伝わったらしく、クルミアは溜息一つと共に僕を廊下の奥へと案内し始める。
あれ、客間にでも連れて行ってくれるのかと思っていたけど、向かった先は予想に反して一枚の扉だった。クルミアが開けた先から眩しい光が漏れているのを見るに、あそこは外扉だろう。
少し動きあぐねていると、クルミアが振り返って僕を手招きした。その動作が小動物じみていて、僕にアカネを想起させる。
「来ないのー?」
アカネはあの後どうなってしまったんだ。気絶する直前に僕の目に映った悲痛な表情が急にフラッシュバックして、僕は足がすくむ。
僕は諦めないと決めた。しかし、もしもアカネがあの場で殺されてしまっていたら、僕の意志は瞬く間に折れてしまうだろう。
依存していると言われればそうかもしれないけど、それだけアカネの事が大切なんだ。
「ねえってば!」
クルミアに引っ張られて、僕はようやく我に返った。女性とは思えない力になすすべもなく連行される。
僕の体は扉の外へと、半ば投げ出されるような格好で飛び出した。
「うわ……!」
形容し難い絶景がそには広がっていた。
紺碧の水溜まりが視界を覆いつくしている。摩訶不思議な事にその水一つ一つが意志を持っているかの如く――アカネの奇跡みたいだ――白く輝く地面へ打ち寄せていた。
他にも見た事のない扇状の高木に、根が浮き出ている植物が散在している。どうしても巨大な湖の迫力が勝ってしまうので、驚きは小さかった。
「おっきな湖ですね……」
「あら、見た事なかった? これはねぇ、海って言うのよ」
海か。本で読んだ事はあるが、実際に見るのは初めてだ。
僕は誰に言われるでもなく、波打ち際へと近づく。地面が明るさを増して、水とのコントラストが鮮やかになる。
「痛っ」
足が水に触れる寸前で、僕の足に何かが刺さった。確認するとクルミアのブレスレットの素材と同じ石が、足を浅く切っていた。
しかも、僕はそこで平衡感覚を乱して転倒する。足元の砂が柔らかくてバランスが取りずらいのだ。
「もう、何やってるの」
実際はほぼ同年代だろうに、クルミアが謎のお姉さん風を吹かせて僕を治癒してくれた。すっころんだ所も見られたので、若干恥ずかしい。
「『ウェウミール貝』は先っぽが尖ってるから、油断してると足がずたずたになるわ」
「そうなんですね……」
手でそこら辺の砂場を探ると、確かに同じ形の石が、じゃなくて貝がごろごろ転がっていた。ブレスレットを作るには困らなそうだ。
目と鼻の先に海があるのに、迂闊に体重をかけるとさっきの二の舞になりそうで立ち上がれない。僕は上目遣いでクルミアを見た。
可愛くないけど勘弁してくれ。
「クルミアさん。足を魔法で補強出来たりしませんか?」
「それなしにしない?」
おっと、被せてしまった。相変らず会話の呼吸が揃わない。
僕はクルミアに続きを促す。レディーファーストの精神を持っていこう。
「敬語で話すのを止めて欲しいの」
「それはできません」
クルミアは僕の命の恩人だ。敬意を捨てる訳にはいかない。
僕の返事にクルミアは尻尾をばしん! と地面に叩きつける。付き合いの浅い僕でもよく分かる、不機嫌の証だった。
「じゃあ私はギンジ君を助けない。せいぜい砂浜で天日干しにでもなるといいわ」
物言いが脅迫に等しいんだけど。
ここでドライギンジになるのは何としてでも避けたい。僕はしぶしぶクルミアの要求を聞き入れる事にした。
「分かりまし――分かったよクルミア。これでいい?」
「よろしい」
クルミアは満足げな表情で頷いて、僕の足に手をかざす。ジェルに似た薄い膜が脚部を保護してくれるらしい。
ぬるぬるしていて気持ち悪いけど、文句を言うのは贅沢ってもんだ。
「ありがと。助かったよ」
「人間ってすぐにお礼を言うのね。感謝の言葉はもっと大切に扱った方がいいわよ?」
そうは言ってもクルミアさん、あなた尻尾が嬉しそうに動いてまっせ。
短いやり取りの中で、僕はクルミアに対して親しみを覚えつつあった。気軽に話せるし、言葉と態度がちぐはぐな所も見ていて微笑ましい。
僕は安全になった砂浜を、今度こそ海に向かって歩く。途中貝殻の上を歩いてみたが、ジェルには固形物を跳ね返す力があるみたいで、僕の足に刺さる事はなくなっていた。
「ここは『カモルガ海岸』、魔大陸の南方よ。大雑把な事しか言えないけど――これで信じてくれる?」
「……こんなの見せられたら信じるしかないよ」
波が当たり、二股に分かれて足を通り抜ける。オーリッド村の井戸水とは違って、真夏なのにひんやりとした冷たさが伝わってきた。
泡沫と共に奥へ吸い寄せられる波を見て、僕はこれが海である事を否応なしに実感していた。
海は魔大陸にしか存在しない。僕達人間が住む地域は周りを連峰に囲まれていて、山の向こうにある海に辿り着けない――反対の
大人がそう確信しているだけで、誰一人確認していないからな。まあ、登ろうとすると奇跡が阻害されるから、仕方ないと言えばそれまでだ。
ともかく、海が人間界に存在しないのは紛れもない事実だ。現実と向き合うのは苦しいけど、目を逸らす訳にもいかない。
ここは魔大陸なんだ。
「クルミア、僕はこれからどうすればいいと思う?」
「難しい質問ね……」
いい思い出の方が少なかったオーリッド村でも、一応は僕の故郷だった。魔大陸という異郷の地に来てしまった僕は、どうやらホームシックになったらしい。
結論から言えば、今の僕はとても心細くなっている。
藁にも縋る思いならぬクルミアにも縋る思いで聞いてみると、存外真剣に考えてくれた。人間と魔族の垣根を越えて心配してくれるクルミアの優しさに、僕の心は打ち震える。
「ん? 何だあれ」
クルミアと一緒に自分の将来を思案していると、波と一緒に赤い動物が姿を現した。
外骨格に覆われていて、足は横に8本、前に2本ついている。特に前側の鋏? の主張が激しく、重厚な存在感があった。
口の繊毛をわしゃわしゃ動かして、節のある足で横移動し始めた。何とも珍妙な動きに僕が見入っていると、不意にそいつは僕の方を向いて口を大きく開く。
「危ない!」
クルミアが僕を突き飛ばしたのと、光線が飛んできたのはほぼ同時だった。
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