第354話 人工知能、二人の恋物語の半年間を見守る
「――とまあ、こんな感じで私達は半年程世界を旅する事になった訳でして。そろそろ君の目からは結局の所、何の記憶が見えているかを、しっかり説明するべきですかな? クオリア君」
「あなたの提案は否決する。
ラヴとハルトの軌跡を、奇跡的な視点で見守るクオリアの隣に、ラヴと同じ形をした光が舞い降りた。今自分が現実とは区別されるべき空間にいる事も、その光の正体も即座にラーニング出来た。
結果、特に驚嘆も無い元人工知能に、眉をハの字にして面白みの無さを露骨に示す。
「挨拶をしようにも、私はラヴじゃありません。ラヴは既に消え、その記憶や意識も消滅しました。君がラヴと認識しているのは、君の脳に
「それでも、あなたの心は、ここに在ると認識」
「そっか。心か」
期待した通りの答えだったように、ラヴの頬に在りのままの靨が光る。
「……この世界は、ラヴとの記憶から、君に見せたいものだけをピックアップして構成されています」
説明するラヴの視線を、クオリアは追う。届かない、記憶の世界をレンズは映す。
横に並んで林道を歩いていた、記憶の中のラヴとハルトの後姿が揺れる。
『教えてやろう、異端め。例えばユビキタス様が、世を乱す巨人を、友たる白龍と共に倒した美しき奇跡譚をだな』
『それは『友たる』と『共に』のダジャレを言いたいだけでは?』
両肩を竦めて『やれやれなのですよ』と呆れて見せるラヴと、憤慨するハルトの顔が見える。心のままの、ありのままの二人が見える。その
「彼は、最後まで晴天経典を悪とは言いませんでした。神は居るって、いつでも信じてました。即ち晴天経典を疑うと明言する事は、彼にとっては背信行為にも等しい事だったのです」
「ハルトは、ランサムやキルプロの不正を知っていたと認識している。晴天経典の教えを吟味しないのは誤っている」
「……彼は良く言っていました。晴天経典の“ケテルの手紙”の章に掛かれていた『役目の後は、楽しく語らおう』という文言を。彼の父ランサムと、兄キルプロも祈りや役目を終え、その文言通りに人間賛歌を謳歌していたに過ぎないと、ずっと口にしていました」
――教えは言う。『嘘をつけば罰が当たる』と。
しかしランサムもキルプロも聖職者は嘘をつかない。しかし世界が美しくないのは、未だに嘘をついてばかりの背徳者ばかりだからだ。
――教えは言う。『神に祈れば報われる』と。
しかしランサムもキルプロも祈りは欠かさない。それでも世界に奇跡が足りないのは、今も尚祈りを怠ける不道徳な人間ばかりだからだ。
ハルトは本気で、それを信じていた。晴天経典を信じていた。産まれてきた時から、ユビキタスと共に生きてきた。ユビキタスの奇跡を何度も効いてきたからこそ、その神話に深く共感し、その教えに高く心酔し、美しいとあこがれてきた。
特に母を知らぬからこそ、美の象徴もまたユビキタスとなった。
という事は、ユビキタスが救ったこの世界も美しく在らねばならない。
ユビキタスの血を継いだ自分も、美しく在らねばならない――。
「でも、ちゃんと迷ってましたよ。疑って、考えてましたよ。彼なりには。それだけは私が知ってます」
クオリアの隣で、一つ笑顔が咲く。
■ ■
『君って本当に喋り方が男っぽくないですよね。ナヨナヨしてるっていうか』
『なっ、僕の盤石で整然な口調にいちゃもんをつけるのか!?』
『今時そんな自分を上げる発言もしなければ、“僕”なんて一人称も時代遅れですよ』
『それは君の感想だろう? 何の根拠も無い』
『ほう。では今日は街に出て、皆の喋り方に耳を澄ませてみましょうか?』
『愚かな大衆に迎合する気は無い。良いか。僕が街を出たのは、美が本当にどこにあるかを見極めるためで……』
『流されない個性はいいですけど、何です? その雨合羽。カエルに呑まれたようにフードまで被って。それは流石に悪目立ちしますよ?
『ぼ、僕はテルステル家の子だぞ? 街中で普通に歩いてるところを見つかってみろ! 色々一発でアウトなんだ』
『大丈夫ですって。服装を“庶民”仕様にして、髪型も変えたんですから。いざという時は、一緒にさっき買ってきた狐面でもして、追手から鬼ごっこと洒落込みましょう』
『……はぁ。羨ましいよ。何でもかんでも楽しめる安い精神は』
『なら、君も安い精神になるといいですよ。全てが高く見えるなら、それはそれで美しいのでは?』
『というか、僕らは具体的に何をするんだ』
『それを自分で探すのが“ハローワールド”ですよ』
『“ハローワールド”?』
『人々を笑顔にするための組織です』
『なんだそれは。騎士団の真似事か?』
『騎士団ですかねぇ。それとも株式会社ですかねぇ。敢えての新興宗教? ま、その辺も追々考えていくとしますかね』
『ノープランか!?』
『そりゃノープランですよ。そんなプランが最初から用意されてる世界なら、皆明日を笑顔で迎えられている筈なんですから』
『……なら、僕らがこんな醜い街を歩いたところで、得る黄金は何もあるまい』
『それでも街を見ましょう。得るんじゃなくて与えましょう。あとね、世界が実はそんなに汚くない、暗くないって発見が出来るかもしれませんよ。威光の逆光があっては、分からなかったかもですが』
■ ■
『ふいー。疲れました。魔術人形なんだけど疲れました。まさか街について早々魔物騒ぎに巻き込まれるとは』
『おい。さっきビックボアにぶつかった所、大丈夫なのか』
『掠り傷ですよ、あんなもの。おや? おやおやなのですよ! 心配してくれてるんですか?』
『し、心配などではない! これはユビキタス様の教えだ。いかに異端と言えど、女性の美を損ねる事はしてはならないのだ』
『あはは、ときめいたのになー』
『ば、馬鹿を言うな! 念のためもう一度言っておく。僕は君の事なんか』
『はいはい、嫌い嫌い。もう耳にタコが出来るくらいに聞きましたよ』
『ま、魔術人形は耳にタコが出来るのか!?』
『……君はもう少し常識を学んだ方がいいですねー。慣用句というか?』
『やはり心配して損した』
『ってやっぱり心配してたんじゃないですかー。ま、君が魔物を倒してくれたお陰で、こんないい宿に
『しかし所詮は努力も祈りも怠っている街だ。この宿も、やはり神も見向きもしないくらいに、美しさという物が……』
『じゃあ外で寝ます?』
『む、いや……この布団、まあ悪く、ないな……』
『そうですよ。文句は言ってはいけません』
『……“使徒”ならば、あの程度の魔物、瞬殺だったのだがな』
『おっ。ハルト君のコンプレックスワード出ましたね。まあ、男なんだし魔術ばっかり遠くから放ってないで、少し体張れとは思いましたけどね。君、グーで殴ったことあります? グーで』
『なんだ、僕の美しい戦い方にいちゃもんを付けるのか。倒しているのだから良いじゃないか』
『というか魔物の遺骸から子供を引き上げる時の君の顔……ものすごい嫌そうな顔してて……今見ても笑える……子供が無事だったこともありますが』
『ま、魔物等という汚れの化身に触れられるか!』
『やれやれ。君の潔癖症を早く治してあげないといけないですね。でもあの子供、君に凄い感謝してましたよ』
『それは……まあ、当然の事で……うわ! 急に顔を近づけるな!』
『ハルト君。今君ね、いい笑顔してますよ』
『笑顔? それならいつもしてるじゃないか』
『いつもの気持ち悪いナルシスト的笑顔じゃなくて』
『あー、もう! 君の事なんて大嫌いだ!』
『話を聞いてくださいよ。美味しい物を食べたようなそういう笑顔ですよ! “美味しい”! って心から言ってるような顔をしてるんですよ! なんで顔を隠すんです?』
『き、貴様はそうやって僕の心を搔き乱そうとしている……! 僕はもう寝る!』
『ね、ね! 寝てないで、沢山話しましょうよ。起きて起きて、起-きーれー!』
『なんでこんな時だけ馬鹿力なんだ!』
『記憶が新しいうちに、問題点とか、じゃあ何故何故? っていう原因とか、あとどうすればいいかとか考えましょうよ』
『ふん。そんなものは簡単だ。信仰が足りない。祈りも足りない。教えを全く理解してない。故に地獄への一本道を当然の帰結で歩いている』
『あーもー、あーもーなのですよ。つまんないですね』
『ただ……気になるところはあったな』
『ほう? 例えば? 例えば? 例えば?』
『目を煌めかせるのも魔術人形の機能か? 例えば……』
■ ■
『……ハルト君』
『雨に打たれる女性に傘も差しださないのは、ユビキタス様の教えに反する。ただそれだけだ』
『ありがと』
『君と外に出て三ヶ月経つが、久々に見たな。今にも泣きそうだ』
『泣けないんですよ。生憎私にそんな機能はありません』
『……どうすれば、あの子達は助けることが出来たんだろうな』
『……』
『一緒に考えようじゃないか。宿を取った。早く来い』
『あ、ちょっと』
『あんな所で膝を抱えているなんて君らしくない。ほら、このタオルで体を拭くんだ』
『そんなに焦らなくても。私、風邪なんかひきませんよ。体温下がっても問題無いし』
『晴天教会の教え……』
『ハルト君? 舌でも噛みま……』
『ああ、もう! 僕がそうしたいんだ!』
『わ、急に大声を』
『君の意志なんか関係ない! 隣の女を温める事も出来ないで、何が美しい世界を作りたいだ!』
『……』
『あと、リンゴジュース』
『え?』
『君を真似って作った。飲みたまえ』
『どうも……甘……ちょっと配分間違えたでしょ』
『君の猛毒リンゴジュースよりマシだろう! 気に入らなければ飲まなくていいっ』
『私のリンゴジュースが猛毒ってどういう事ですか!? あっ』
『……ちょっとは活力が漲ったようだな。僕のリンゴジュースの方が美しい証拠だ』
『……元気が出ました。ありがとう』
『今日は寝たまえ。そして早く元気になりたまえ。僕は思いついたところだったんだ。あの子達みたいな子をもう生み出さないための教えを。僕が忘れないうちに、またいつもの元気な姿を見せてくれ』
■ ■
『窮屈ですねぇ。今日のベッドは』
『し、仕方ないだろう。今日の部屋は見ての通り狭いんだ。待てっ! 僕のスペースを奪わないでくれたまえ!』
『あれあれ? あれあれなのですよ。女性の美を損ねる事はしてはならないとか、教えにあったんですよねぇ? 私寝不足で肌が荒れちゃうなー、美が損なわれるなー』
『この異端め……』
『あはは、そこは五ヶ月前から本当に変わらないですねぇ』
『いい加減貴様も、美しきユビキタス様の御言葉を認めたらどうだ?』
『じゃあ君の信仰心と、私の夢。交換って事で』
『ふ、ふん。それは……釣り合わないな』
『そうですか。それは残念です。それにしても、ここ暫くずっと雨が降ってますねぇ。農作物にも被害が出そうです』
『田畑の恵みは、それこそ祈りの結果だ。この地方はヴィルジンが直轄するだけあって、人々は教えを忘れている』
『いや。私達に雨が着いてきてるような気がします』
『突拍子も無いことを……いや、あるか』
『遂に自覚しましたね? 実はですね、ここ暫く君が早く起きてますが、どうもその時だけ雨が降ってるんですよ』
『ば、馬鹿な! 僕のせいだというのか!』
『図星! 本当に分かりやすいですね、雨男君? 私が先に起きた日は、晴れてるんですけどね? おっ、これは私が晴女だからかな?』
『ば、馬鹿馬鹿しい! 寝るっ!』
『あ、布団奪わないでくださいよー。ま、いいや。今日はベッド君に譲ります』
『どういう事だ?』
『君が早く起きてる理由、朝に街に出て、人々の生活を観察してるんでしょう?』
『……布教したいだけだ』
『ほんと、不器用ですね。でもその分、体が疲れてるように見えますよ』
『わ』
『ほら。体もこんなに冷たい』
『それは……君にも言える事だろう? 体温、下がったら僕が困る』
『魔術人形ですから風邪は引きませんよ』
『僕が困る』
『……』
『君が異端だというのなら悔悛するのが僕の役目だ。君が人間でなくて、しかし心を持っているなら、人間へと手を引くのが僕の役目だ。そんな君を、寒いままにしているのは、美しくない』
『それなら、君も雨に濡れてまで頑張り過ぎなんですよ』
『……ん』
『……』
『……』
『……えへ、甘い』
『……今日のリンゴジュースは、いつもより一層濃いな』
『さっき薄いとか文句言ってませんでした?』
『そうだ。間違いない。今日君が飲んだリンゴジュースは、味が濃い』
『……じゃ、そういう事にしておきますか』
『勘違いするなよ』
『何をです?』
『僕は、君の事なんか……』
『……』
『君の、事なんか……』
『私は、君の事好きですよ』
『……』
『うわっ、こ、この体勢は、私も、ヤバ、ヤバヤバなのですよ』
『……もう少し、こうさせてもらえないか』
『……赤ちゃんみたいです』
『君の中なら、僕はよく眠れる。君が先に起きたら、晴れるのだろう。じゃあ僕は君を枕にしてぐっすり寝坊してやる』
『じゃ、寝坊勝負ですね。晴女の私と、雨男の君とで。そして君は私の寝顔に見惚れるのです』
■ ■
そして、“現在”。
眠っているクオリアが見えなくなる程に、雨男は歩いていた。
今日の天候は、生憎の雨。大地の汚れを洗い去る為に、暫く天空は泣き続ける。
真っ先に浮かぶのは、大きく膨らませた頬。
次に、眼鏡を忘れてこちらを覗くように細めた眼。
次に、泣きそうな雨に濡れた瞼。
次に、勝ち誇って上を向いた唇。
次に、
次に、
次に、
次に――
永遠なんて陳腐に閉じ込められた少女の顔を、順番に思い出す。
半年前から、この追想だけがハルトにとって憩いだった。
爽やかな髪と白い頬の隙間から吸える香りと、彼女の肌の温かさと共に、追想の海水を現実に注ぎ込んでいる時だけが、ほんの僅かに痛みを忘れる事が出来る。
だけど、ハルトは現実に戻る。
もう、あの半年間からは置き去りにされたのだ。
雨から守ってくれる、隣人すらいないまま。
ハルトは、一切の体温が失せた、壊れた瞳のまま。
愛の無い、獣道の上。
ランサムを引き摺って。
もう片方の手で、狐面を携えながら。
豪雨が光を奪う森の中へ沈んでいく。
「そういえば、俺が何時も先に起きた日は、雨が降るんだっけ」
世界はこのまま雨で沈むのだろう。
もう、あの日の様に笑えない。眠ることだって出来ない。
あの少女に二度と触れられないのと、同じ原理で。
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