第353話 異世界の落ちこぼれに、魔術人形が声を掛けたとする~結果、ロストテクノロジーが魔術異世界のすべてを――④

「あの神父さん、流れ者の私にもパンとか、くれたんです。それで、丁寧に晴天教会の教えを説いてくれました。あんな風に処刑される謂れなんか無い。付き従ってた信徒さん達だって」

「異端審問の決定は絶対だ。異を唱えるという事は、ユビキタス様の審判に不服を唱える事も同じだよ……その、筈なんだ」


 丸く蹲るラヴへ、ハルトは容赦なかった。だがその口調は、次第にたどたどしくなる。


「だから……あの神父は間違っていた。醜い、断罪されるべき、存在なんだ」

「君、嘘が丸わかりですね。というか、自信が無さそうですよ」


 膝に伏せていた顔を上げて、ラヴが弱弱しく隙を突く。憔悴こそはしているが、自分を見失っていない。


「疑うのか。僕の揺るぎなき、天に輝く星の如き信仰心を」

「さっき、君は言ってたじゃないですか。私を連れ戻すべきなのに、どうしたらいいのか、分からないって」

「……」

「時折見せる下手くそな詩的表現は、そんな自分を隠すためのものでは? 『美しい』と言い聞かせていないと、世界が美しく見えなかったのでは?」


 押し黙った。過去の自分に嘘をつくことは、美しくなかったからだ。

 それ以上に、言われてぼんやりと霧の中に何かが見えた気がした。父と兄に権威と暴力で刻みつけられてきた“テルステル家三男”と、かつ“落ちこぼれ”として烙印を押されてきたが故の、誤魔化され続けてきた何かが。

 昨日から、意識すら混濁する程に精神を突き破る何かが。

 ラヴの声で、目覚め始めたと言わんばかりに。


 だが、そう簡単に人は変われない。

 認めない。


「……認めない。僕はユビキタス様の血を継ぐ者なんだ」


 ラヴの二の腕を掴み、持ち上げようとする。

 まるで人形のように、されるがままに腕が持ち上がる。だがラヴの体が立ち上がる事はない。


「来い。せめて最後くらいは美しく在りたいと思わないのかっ。往生際の悪さは、死後の罪として刻まれるんだぞ」

「死後って言ってくれるんですね」

「えっ」

「私、魔術人形ですよ。胸の古代魔石が取れたら、逝くところなんて無いです」

「……そ、そうだった。だが、罪は罪だ。異端審問で貴様は火炙りの刑に、しょ、処されるべきで……!」

「どこに行っても、結構魔術人形って何かを説明しただけで、結構人扱いされないんですよね。あの神父さんくらいかな、最近だと――それから、ハルト君。キミも、です」

「ぼ、僕も……!?」

「さっきから、力を感じないですよ。私を重い女扱いしてもダメです」

「えっ」

「私を連れてこうとする右手。それとも、女の子扱いは上手いんですか?」


 言われて、ハルトは自分より一回りも小さいラヴを、全く引き摺れていない事を理解した。

 柔らかい二の腕に、全く五指が食い込まない。


「……ま、まあ。女性は異端であろうと、紳士として接さねば」


 誤魔化せていない。

 狼狽して言い訳ハルトとは対称的に、精神的に打ちのめされながらもハルトを真剣に見ようとする視線は、昨日と変わらない。

 ラヴの催眠的な罠の可能性があるのに。

 その瞳へ警戒する余力すら、もうない。


 諦めた。

 気付けば、ラヴの隣に座り込んで、同じく膝を抱えていた。


「……離れないんだ。この前死んだときの家族の顔が。頭から」


 ハルトは初めて懺悔を行った。

 多分心からの懺悔は、初めてだった。キルプロの“教育”の最中ならば何回もやったけれど、しかしこの懺悔は自然と言葉が出るにつれて、何か喉につっかえていた小骨が、剥がれ落ちていく。


「あの時、僕がもっと早く行って、そして果物を与えていたら、もしかしたらあの娘は今日も生きていたかもしれない。もしかしたらあの娘は、美しく成長していたかもしれない」

「私もですよ」


 そこでようやくラヴが抱いていた横顔が、後悔であると悟った。

 

「神父さんや、信徒さん達を逃がせるチャンスは沢山あった。“あの時ああすれば良かった”で、正直頭がどうにかなりそうです……こればっかりは、中々慣れないですねぇ」

「君は晴天教会の教えを信じないのではなかったのか」

「“教えを信じない事”のと、“教えを信じる人と仲良くならない事”は別ですよ。信じるものが違くたって、人は理解し合えるんです」


 聞くと、ラヴは少し前から“第二王女”に暇をもらい、世界各地を旅しているらしい。“みんなが明日も笑える世界”を創る、そのヒントを探る為に回っているらしい。

 そして辿り着いたこの地で、あの神父と仲良くなった。晴天教会の教えに染まらなくても、“晴天教会の信徒の考え”を理解したかったラヴは、体験入信的で神父の説教を聞いていた。神父もまた、異教徒や異端など関係なく、ユビキタスの教えをその心にしみこませる事こそが自らの役割だと自負していたらしい。

 だからラヴにとっては、どこにも無かったはずだと主張した。

 あの神父が、異端審問で裁かれ、ましてや二度と復活の見込めない火刑に掛けられるなど。


「でも、私は立ち止まるわけにはいかない。あの人達みたいに、理不尽に殺されるような人を少しでも減らしたい。君がずっと悩んでる小さい女の子みたいに、何も美味しいものを食べられない子を減らしたい」

「無理だ。現世では無理だ。やはりこれが祈りの差なんだ。僕もそれに納得している」


 と言って、ハルトは世界を振り帰る。

 司教と領主の周りだけが、美しい。

 だから皆自分達に従って、悔い改めれば美しくなれるはずだ。


 こんな路地や、貧相な建物で行われる祈りは醜い。

 醜いものは焼かれるべきだ。


 そうすれば、世界には美しい者しか残らない。


「祈りも信仰も足りない連中は、醜く地獄に堕ちるのが当然だ……当然だ」

「……本当に?」


 その筈だ。

 その筈だ。

 その、筈だ。

 言い聞かせる自分の声で、頭がいっぱいになっていた事に気付く。


「本当にあの神父達は祈りが足りなかったと、女の子は祈りを欠かしていたと、どうして言えるんですか? そもそも、どうして祈りが足りなければ不幸になるのが当たり前なのでしょうか」

「……」

「それが分からないから、あなたはこんなに苦しんでいる。自分の周りだけがなぜこんなに美しいのか。でも一歩外に出たら、何故こんなに美しくないのか。そんな温度差で、今にも死にそうになってますけど。顔が」

「……」


 ラヴの言葉は、一々心を読んだように的確だ。心そのものを触られているで、どこかくすぐったい。


「探しませんか。その答えを一緒に。私も分からなくて、ずっとむずむずしてます。だからどうすれば良いのか、君の力を借りたいです」

「ま、待て。そんな誘いに乗れるわけが無いだろう。つまり僕にテルステル家としての生活を捨て、異教徒共の地に行けと?」


 ラヴは頷いた。

 流石に笑って吐き捨てるしかなかった。


「論外だ。あまりに幼稚に過ぎる。僕の役目は絶対に美の象徴たるユビキタス様の血を持つ者として、この地から世界を統べる事だ。その為にヴィルジン国王から神聖アカシア王国を奪い返す。その役割を無視したら、それこそ見るに堪えない汚物となる。そして晴天経典を体現し、太陽の様に美しい標となり、人を導く……!」

「でも、晴天経典を実行しても、あの女の子は救えなかったでしょう。導けなかったでしょう」


 強がれば強がるほど、次々にラヴに論破されていく。

 次第にその理由が分かった。ラヴは一切迷いが無いのだ。自分の夢に対して妥協しない。だから異教徒の中にも簡単に潜り込める。

 自分のようも、14年間の惰性に固執する事など無い。


「晴天経典に、間違いはない」

「こう考えたらどうですか。例外属性“詠”では、読めない部分もある、と」

「……そんなものはない」

「本は実践してみなければ分かりません。仮に晴天経典に世界を救う方法が乗っていたとしても、実際にやってみなければ分からない所だってあると思うんですよ。世界中を旅して、いろんな話を聞いて、自分で沢山うんうんと考えてからじゃないと読めない本だってあると思うんですよ――出せない答えだって、在ると思うんですよ。ハルト、教えてください」


 ラヴが立ち上がり、後ろ髪を引かれるような苦しさをにじませながらも、真正面からハルトへと問う。


「あなたはこんな世界が、本当に美しいと思いますか」

「……」

「ここには、あなたの父上も、兄上もいません。だから仮面ペルソナを被らないで、女の子に果物を渡したハルトは、本当に美しいと感じますか?」


        ■         ■


「ランサム様、ハルト様が街のどこにもいません!」

「何?」


 突如の報告に、自室でランサムも眉を顰めた。丁度その隣には、先程焚刑を完了したスーホドウが腕を組んでいた。

 面白そうだ、と一瞬顔に余裕さを醸し出した直後、スーホドウは立ち上がる。


「私が探してきましょう。見つけた場合は……」

「いや、まず見つけたら俺に報告しろ。そのまま着かず離れず観察するのだ」


 一方のランサムは、息子の喪失に特に心は揺れていない。驚きこそはすれ、冷静に計略を張り巡らせている。


「ヴィルジン国王の所の“エージェント”みたいな事をするのですか」

「俺が間違ったことはあったか」

「いえ」


 一睨みを受け、スーホドウは引き下がる。


「上手くいけばあの落ちこぼれも、役に立ってくれそうな気がしてな――役に立たなければどうでもよい。ユビキタスの血を継ぐ者として、キルプロもいるしな」


       ■            ■


「こ、こんな所で寝るというのか!? ベッドは!?」

「そんなのある訳ないじゃないですか」

「大体、体を洗う湯浴み場はないのか!?」

「そんな一週間くらい入らなくても問題はないですよ」

「夜闇が過ぎる……こんな時に魔物に襲われたら」

「だらしないですねぇ。男の癖に」

「く……やはり貴様、僕を、陥れようとしたのか!?」

「ふふふ、そうかもしれませんね。でも君くらいの地位ある人間が、何の垣根も無く食べ物を渡せるようになったら、少しは世界を美しく出来ると思ったのは、嘘じゃないですよ?」

「この際だから言っておく。僕が街を出たのは、外に僕が納得する“美”があると思ったからだ! お前のようなサキュバスについてきた訳ではない! 僕はお前の事なんか大嫌いだ!」

「なら乙女の着替えを覗こうとするのはどうかと思いますが」

「の、覗いてない! 貴様が逃げようとしていないかをだな……って、うわっ!? は、破廉恥な姿を!」

「嫌ですね、水着ですよ水着。この先に沢があったんで一緒に入りましょうよ。体が汚れてるの嫌なんでしょ?」

「ば、売女め! 僕はその手には乗らな……」

「その割にはおっぱいやら、お尻やらに視線が行ってますが。ちょっと男子ー。ま、いいや。私一人で行ってきまーす」

「ま、待て、こんな危険な所で僕を一人にするな!」



 ――クオリアは僅かな“美味しい”を、その夜闇の会話から感じていた。

 とうにハルトがいた街からは、相当離れていた。

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