第352話 異世界の落ちこぼれに、魔術人形が声を掛けたとする~結果、ロストテクノロジーが魔術異世界のすべてを――③

 その夜、絢爛豪華なステンドグラスに着色された月光と、金の燭台に灯された焔と、“美しい”装飾に身を包んだ聖職者に、ハルトは囲まれていた。

 父であるランサムは“げに素晴らしき晴天教会”の枢機卿筆頭であり、時折大聖堂にて神への祈りを捧げると、その後貴族としてのパーティーにて盛大に権威を示す。

 “形だけとはいえ”枢機卿であるハルトは、大司教や枢機卿からの千差万別の目線に晒される。しかし何れも権力者の息子への目線だ。

 警戒心を奥底に宿した強張った瞼。恩恵に与ろうとすり寄ってくる作り笑い。

 宛がわれた娘も、何もその胸に宿っていない、人形を相手にしているようで何も心躍らない。

 

 これまでは、全て包括して、“美しい”と酔いしれていた筈なのに。

 けれども今はそれら一つ一つの要素が、モノクロにしか映らない。

 豪華な御馳走。点在する宝石。テーブルを装飾する花。

 それらを見る度に、一つ一つ針が心臓を貫くような気分がして、ハルトは一人パーティー会場から抜け出ていた。


「おかしい……おかしいぞ、何もかも、何故か気持ち悪い……美しく、ない……」


 口に運んだ中に、酒でも混じっていたせいだろうか。

 あるいはランサムを妬む誰かが毒でも入れたか。

 足は一人でに動く。

 室内から、外へ。

 視線の先、気付けば床が大理石から砂に変わり、囲んでいた絢爛豪華な会場が寂れた路地へと変貌していた。


「う、あ……」

『貴方の言うユビキタスの教えに従っていれば、世界は本当に笑顔になると思いますか。それが不安だから、あなたはこうして街に飛び出してきたんじゃないですか』


 鐘が振動するように、何度も忌々しいラヴの問いが反芻する。

 同時に、とある母と娘の末期を連想する。

 いい加減水面に上がりたくて、いい加減トンネルから抜け出したくて、只管歩き続ける。


 歩き続けて。

 歩き続けて。

 歩き続けて。


 そして、月光しか頼れない暗闇だけがあった。

 朦朧としていた意識が鮮明になり始め、次第に“パーティーを抜け出してしまった”事へ不安を感じながら戻ろうとした所で、一抹の灯を見た。


「……教会か?」


 と確認をしてしまうくらいに、“教会”にはとても似つかわしくない廃墟があった。それを教会と呼べたのは中に晴天教会のシンボルである太陽のマークと、太陽に向けて膝を折る数人の信徒と、粗末な聖衣を纏った神父らしき人物がいたからだ。

 微かな灯を標に、晴天経典を読み上げる神父の言葉に、何故か胸を打たれる自分がいたことに気付く。それだけではなく、必死に両手を合わせるボロ布を纏った信徒らの後姿にも、釘付けになる。


「うつ、くしい……」


 自然と発してしまった言葉を押し戻す様に、口元を拭いた。

 だが、拭いた手首を戻す動作は緩慢だった。


 正直。

 今パーティー会場で“美しく”ある父達よりも。

 彼らの方が幸せになるべき様に、見えた。


 その最中に、ハルトは見つけた。 

 ラヴもまた、その中に混じって祈りを捧げているのを。


 立ち入ってみたかった。

 どうしてあんな姿に、それも悪魔のいる醜怪な空間に、美を感じるのか。


「違う、僕はあの女の事など、大嫌いだ……」


 けれど、今のハルトにはそんな勇気もなければ、結局そう呟いて去るのが関の山だった。

 パーティーに戻り役割を果たさなければと念じる心で一杯だった。案の定、その後キルプロに“教育”されたのは言うまでもない。

 

      ■     ■


「貴様にも異端の片づけ方を、そろそろ学ばせるべきだと思ってな――

 

 翌日、そう言うキルプロに連れられて来た“異端審問”の舞台。

 既に異端審問は終わり、焚刑は執行されていた。

 十字架の周りで轟轟と炎は唸りを上げ、天まで行き届かん勢いで猛っていた。


 空白に満ちた面持ちで、瞳に炎を映すハルトに、目前で巻き起こっている常識をキルプロが突きつけた。


「この者どもは、俺達に許しも得ずに、協会の真似事をした神父。そしてそれに付き従っていた似非信者どもだ」


 違う。

 絶句した喉の向こう側で、出掛かったハルトの声は留まった。

 何故なら皮膚や肉が融解し、黒焦げになって既に息絶えていた者たちは皆、昨日あの路地で必死にユビキタスへと祈りを捧げていた神父と、その信徒達だったのだから。

 

 あの時の神父の顔に。信徒たちの跪く背中に。

 ユビキタスへの心は、確かにあった。

 あった筈だ。


「キルプロ様、いらしたのですね」

「スーホドウか」


 恰幅の良い銀色の甲冑が、キルプロとハルトを待ち侘びていたように両手を広げて近づいてきた。進行騎士団の中でも、大きな権力と実力を誇り、ランサムの右手とも呼べる存在、スーホドウ。

 彼もまた“使徒”であり、テルステル家を除いた晴天教会の騎士の中では、最強の呼び声も多い。

 古い裂傷を帯びた左瞼は開かないままだが、代わりに右目の三白眼からは見ただけでハルトを竦ませる迫力があった。

 だがキルプロは昔からの友のように、屈託なく談笑を繰り広げる。隣で神父と信徒たちの肉が溶けていく、壮絶な火炙りが敢行されているにも関わらず。


「出来れば異端審問はもう少し待ってほしかったがな。この弟にも、そろそろ学ばせたかったのだ」

「これは失礼。何せ余計な事を喋る前に、早急に片づけておきたかったので」


 スーホドウとキルプロが顔を近づけ合い、機密性を確保した上で囁き合う。


(“今回のショー”も、観衆を引き締めるいい機会になりました。偶にはと、私も勘が鈍るもので。そうしたら)

(それは良いが、たまには俺の“改宗”の為に残してくれてもいいじゃないか)

(御冗談を。キルプロ様の“改宗ストック”は多すぎると、父君がぼやいてましたよ)


 決して二人へと顔を向けず、しかしハルトはそれを聞いて直感した。

 スーホドウは、なのだ。

 キルプロも、異端の末路を領民に示し、かつ憎悪を向けさせる為にを処刑した。現に狙い通り、爆ぜる炎の渦と黒煙に、市民は石を投げていた。罵詈雑言と一緒に、疑いも無く全力で石を投げていた。

 石が垂れていた頭に当たり、ぐちゃ、と地面へと転がる。

 眼球も溶けた眼窩が――暗闇が二つ、ハルトを睨む。


 たった二人の利己心の為に、非業の死を遂げた、醜怪な躯。

 後退った。

 異端の焼却こそ、穢れを世界から浄化する手段だというのに。


 美しさが、どこにもない。

 

「しかしハルト様。ご心配なく。またお目に掛かれますよ、異端審問は」

「……」

「ハルト、貴様この程度のお遊びで狼狽えるとは、情けない奴! この落ちこぼれめ!」


 “教育”の一撃を受け、ハルトが地面へと倒れる。砂に塗れた事で、“異端”の頭部と近くなる。

 何故こうなる前に、止めなかった。

 永遠に笑顔になる事のない黒い骸骨は、殺意さえ抱いているように見えた。



         ■         ■



『実は一人逃げだした少女がいるようで、現在捜索中です。この手の“おあそび”は、徹底的にやらなければ。大丈夫。ハルト様にも、あの愉しみが分かる時が来るでしょう』


 スーホドウの恐ろしい一言の後、ハルトは隙をついて逃げだした。

 その“少女”に心当たりがあったからだ。


 その少女は悪魔だ。人を惑わす、神話上のサキュバスたる存在だ。ユビキタスに代わろうとする異端だ。迷わず焚刑に処されるべき異物だ。

 かといって、放っておいてもスーホドウの手先が見つけて、淫靡な肉体ごと燃やしてくれるだろう。

 にもかかわらず、どうして自分は走っているのだろう。


(僕は、どうしてしまったんだ……)


 本当にこの数日間、自分は変だ。

 やはり何か催眠を受けているのかもしれない。ユビキタスは今の自分に天罰を下すかもしれない。テルステル家の神聖な血を汚す行為ばかりしている。

 美しくない。こんなに汗まみれになって、泥まみれになって、庶民の様に忙しく走っているなんて美しくない。


 なのに。

 何が、この14歳の心を突き動かすのだろう。


 辿り着いたのは、昨日の路地だった。

 あの少女と話した、路地だった。

 その路地に、ラヴが蹲っていた。 


「やはり、異端審問から逃げた女ってお前の事か」

「……もうちょっと強ければよかったんですけどね」


 上げた顔は、既に覚悟を決めていたようだ。逃げた事を後悔していたようだった。

 ハルトにこのまま異端審問へと引き戻されて、火炙りになる事を予期していたように。


「それで。私を、連れ戻しに来ましたか」

「……分からない」


 ハルトは自分が何を言っているのか、理解していない様子でもう一度口にした。


「ユビキタス様の美しい教えは絶対なのに、僕は、僕がどうしたらいいのか、分からないんだ」



 ――その行く末を、クオリアは見届けていた。



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