第350話 異世界の落ちこぼれに、魔術人形が声を掛けたとする~結果、ロストテクノロジーが魔術異世界のすべてを――①

 1年前。

 まだ、ハルトがハルトで居られた、“美しかった”頃。


 ハルト・ノーガルド=テルステルを乗せた馬が通ると、領民は全て平伏した。

 この街道は“げに素晴らしき晴天教会”の影響が濃い地域で、“正統派”の教えに芯まで浸る信徒によって、栄光の道になっていた。

 崇拝の眼差しを受けると、ハルトはいつも素直に高揚する。


(世界、美しイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィ。美しすぎる。輝いている。僕の人生、主人公!!)


 心地良すぎる。

 自分はユビキタスの血を引いた救世主としての実感がヒシヒシと感じられる。

 注目されるが故に、ハルトは自分の美に酔いしれる程に気を配っていた。清廉で勇敢で知的であろうとし続けた。

 その為に自らの先祖で、現人神あらびとがみのユビキタスの教えを率先してこなしてきた結果が、世界へ反映される。迷える信徒達の表情に、鏡写しとなって現れる。


(美、美、美、美! 神しか持ち得ぬ美。その一角である黄金比を実現する僕は、その美故に上位の存在へと高められる)


 丁寧に手入れをする海色の長髪も。

 体を纏う洗練されたデザインの聖衣も。

 顔や体に塗っている肌の質を保つ薬も。

 今日も今日とて、ハルトという名を押し上げている。


 だが、酔いしれるのも束の間。

 ハルトは群衆の中にとある少女を発見する。


「……うぅ、お腹空いたよぉ」


 世界の美を体現したハルトから目を逸らし、自身のお腹を摩る小さな少女。それを見てハルトが馬の脚を止めさせると、隣にいた母が蒼ざめた様子で必死に弁解を始める。


「申し訳ございません! うちの娘がとんでもないことを、不信仰でした」

「待ちたまえ。この子は目に見えてやせ細ってるじゃないか」

「最近は飢饉で、中々作物も取れず……お、お許しください」

「仕方がない。ならばこれを食べるがよい」

「こ、これはハルト様の……」


 自らが道中で食べようとしていた林檎を、少女に渡すのだった。大きく目を見開いて、一心不乱に少女は林檎を貪るのだった。


「親を困らせる事も、子を痩せさせることも、美しくない。神への祈りが足りない証拠だ。もっと精進したまえ」


 礼を言われながら馬に跨り、進行を再開するハルト。

 その顔には、先程までの“お調子者”としてのハルトは鳴りを潜めていた。代わりにどこか浮かばれない曇った顔をしていた。


(そうだ。神への祈りが足りぬのだ。ユビキタス様のように美しく在れば、あのように腹を空かせることも……)


 周りで同じく痩せ細った群衆から目を逸らす様にして、バツが悪いような顔を前へ向けていた。

 

 この頃確かに世界は美しかった。

 世界は、美しいと信じたかった。



 ――クオリアの意識は、その群衆をすり抜けながらも、一部始終を見ていた。

 また、少女のすぐ近くで、ラヴらしき人物がハルトを見ていた事も認識していた。



     ■     ■

 

「ハルト! 貴様先程、庶民に飯など与えよって!」


 屋敷の庭に、殴打の音が響いた。教育係である兄キルプロの折檻は、ハルトにとって日常茶飯事だった。

 魔術や戦闘の教育と称して当然の如く傷つけてくるキルプロを、ハルトは恨まなかった。恨めなかった。

 ユビキタスも言っていたから。苦難こそ成長の助走だと。


「我々はユビキタスの血を継ぐ、世界一の由緒を誇る一族だぞ! 使徒にもなれない分際で! 落ちこぼれの分際で! 泥を塗るような真似をするな!」

「ど、どこが間違いだったのですか、兄うぇっ!?」


 頬を蹴り飛ばされた。

 しかし死ぬことはない。重傷を負えば、例外属性“恵”で回復されるのだから。

 人前には傷ついている姿を見せないというのは、キルプロもハルトも同じ考えを持っていた。裏を返せば、キルプロと考えが合うのはそこだけだった。残りは、ハルトが無理矢理キルプロの考えに合わさざるを得なかった。


「我々はユビキタス様の美を強調する芸術として、人間の先頭に立たなければならん! 貴様に本来似つかわしくない宝石の衣服もその為だ!  それを下賤な羊の垢で汚す気か! この愚か者が!」

「しかし、あの少女の空腹を、ユビキタス様は……!」


 最後まで話させてくれない。転がっていた所、腹を踏みつけられる。


「貧困が奴らの運命だ。奴らは信仰の浅さ故に、前世で罪を犯した為にあのような罰を受けているのだ! 何故それが分からぬ! さては“晴天経典”の内容を忘れたわけではあるまいな!?」

「いえ、そんな事は――」

「ならば二度とあのような真似はするな!」


 叩かれ殴られ蹴られ魔術に焼かれ斬られ凍らされ――毎日の繰り返されている虐めは、それから三日三晩続いた。

 だが親の鞭を想うのも、兄の鞭を想うのも、晴天経典の教えにある。キルプロを恨むことはない。


 すべては落ちこぼれの、自分が悪い。

 ユビキタスの血が流れているにもかかわらず、“使徒”に未だなれない自分が悪い。

 自分の美を高める事しか能が無く、美の中身さえも無い自分が悪い。


 次の日、騎士達に囲まれながら街道を凱旋していると、あの時の母親が大泣きしているのが見えた。傍らに、少女の遺体があった。

 キルプロに嬲られている最中も、母の泣き顔と空腹で餓死した少女の冷たい顔が頭から離れなかった。


(おかしい……こんなに神に祈りを捧げているのに、世界が美しくならない。あの子が亡くなったのは、本当に信仰が足りないせいだろうか。祈りが足りないせいだろうか。いや、世界は美しい筈だ。世界は完全な筈だ。完全であるユビキタス様が救った世界も、また完全な筈だ。ならば、祈りを怠ったのだ。だからあの母娘の不幸は運命だったのだ)


 気付けば少女と母親がいた場所に訪れていた。ただしこの街にとって崇拝の対象であるユビキタスの血、それを引き継いだハルトが歩いていると面倒なので、余興で購入した狐面を被る。

 生き延びてしまった母親と、死んでしまった娘は路地にはいなかった。もしかしたら娘まだ生きていたかもしれない。あの時果物を渡していれば、という気の迷いから持ち出してきた行き場のない林檎を、齧った。


「……不味い」


 ハルトは、もう一度周りを見渡した。

 やはり痩せ細った連中ばかりだ。ふと見えた聖職者は肌の艶が良かったものの、彼が現れた途端に溢れかえった乞食は、別人種のようにさえ見えた。

 再び林檎を齧った。


「不味い」

「――そりゃそうですよ。こんな美味しくない景色を見ながらじゃ、どんな御馳走だって不味く感じますって。一人で美味しい思いしようとしてもね、そりゃムリムリカタツムリってもんです」


 隣に並んだ少女が、突如ハルトに語り掛けてきた。流石に突然すぎて、ハルトも固まった。


「というか、その狐面しながらだと食べにくくありません? くん?」

「待て、その名を言うな……!!」

「ハルト様!?」


 流石にどよめいた。

 今ハルトはお忍びで街に出てきている。その為に狐面まで付けてきたのだ。

 だが銀髪に眼鏡をかけた、無垢が服着て歩いているような鮮やかな少女は、真珠のような瞳で自分の正体を見破ったばかりか、公言までした。

 人違いだと叫びながら、少女の手を引っ張ってその場から逃げ出した。


 人気の少ない場所まで逃げ切ると、息を切らして蹲る。少女も目線を合わせながら、何故かキラキラした瞳でぶつけてきた。


「おお、殿方と手を繋いで逃避行なんて私初めてなのですよ!」


 眩しい。ハルトは目を背けた。

 

「お前のせいだ……! 僕が無闇に外に出ているとバレたら面倒なんだよ! この美しさはただでさえ目立つというのに」

「別にいいじゃないですか。というかナルシストだったんですね」

「お前……僕がテルステル家だと知って、馬鹿にするのか!」

「テルステル家が何だってんですか。こちとら第二王女の手取り足取りの面倒を見てきたんですけど?」

「第二王女……ロベリア姫?」

「はい。ロベリア姫は私の親友です」


 突如出てきた“敵対すべきアカシア王国の王族”を、胸に手を当てて親友呼ばわりする少女は、「それよりも」と顔が近づいてくる。狐面の内側まで見透かされる程に近づかれる。


「で、今はロベリア姫にお暇をもらって、世界を旅してる最中なんです。人間も獣人も魔術人形も、笑って明日を迎えられる世界にするためにはどうしたらいいかって奴を考えて」

「は、はぁ?」

「でも中々とっかかりが見えなくてですね。という訳で、ハルト君。ヒントになるかもしれないので、君の話を聞かせてください――私はラヴ。皆で“虹の麓”を見るのが夢です」





 ――それが、ハルトとラヴの出会いだった。

 ――クオリアの意識は、二人に気付かれることも無く、ただ見ていることしか出来なかった。

 


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