第349話 人工知能、ラヴの魔石共鳴を受ける。

「……例外属性“詠”による暗示が掛けられているわね。それも、酷く強力な」


 ハルトが閉じ込められていた。人質たる少年を強奪しに来た侵略者から守るための門番として、人質たる少年の脱出を防ぐ看守として配置していた数人の兵士達は、誰も無人の地下室に気付いていなかった。

 それどころか、心ここに在らず。

 いずれも目を開けたまま、夢を見ているかのように無反応だった。


 既に数人の騎士が先行する地下室の扉を、ロベリアは開く。

 昨日までは、間違いなくここにハルトがいた。


 地下室は、当然のように無人だった。

 騎士達が隅々まで探そうとも、虚勢を張る事しか出来なかったプライド高き少年が忽然と消えた事実を覆せない。


「……信じられない。あのハルトと、雨男アノニマスが同一人物だなんて」

 

 だが、ハルトが半年前に王都に居た事実は覆らない。

 王都で、“革命”の切欠として暗躍していた裏付けは取れている。

 瞼を閉じると、ラヴの遺骸が鮮明に蘇る。


「だってハルトは、ラヴを……」


 尚もハルトが雨男アノニマスだったと、心から思うことが出来ない。


「……まさか」


 ノイズの様に蘇る、一ヶ月前にラヴの墓前で雨男アノニマス言葉SOS


「あれは、本当の事を言っていた……!?」

「――手を伸ばせば簡単に届く真実にも目を背ける。だからお前のやる事はままごとなのだ」


 背後から憎たらしい男の声が、ロベリアの神経を逆撫でする。

 “血だけは繋がっている”父を見ると、自然と質問が喉から飛び出る。


「あなた、どこまで知ってんの」

「さあな。儂が知っている事など、物事のひとすくいに過ぎん。何でもかんでも知っていれば、この世界を平和にすることなど容易いのになぁ」

「いつもの韜晦はいいから。質問に答えなさい。あなたは雨男アノニマスが……ハルトが、本当は一体何なのか。知っている事全部吐きなさい」

「カカッ、人生を一文で語れとは何たる傲慢。ロベリアよ、他人は人生の無い舞台装置では無いのだぞ」

「あんた……いっつもそうだよね」


 話が一向に前に進まない。何でもかんでも往なされてしまう。

 舌打ちをして目を逸らすと、やれやれと娘に呆れた様子でヴィルジンが語り始める。


「確かに彼は、ラヴのに関わっている」

「破壊じゃなくて、死亡よ」

「少なくとも一年から半年前までは、君の知るハルトであったよ。間違いなくな。世間一般の認識通り、美意識だけが取り柄の、儂も特に警戒していなかった道楽息子だった。舞台でいえば、主人公の踏み台となる“小物”と言ったところか」

「……なら、なんで」

「正直儂も想定外じゃった。その小物が、世界すら喰らう程に化けるとはな。人間は誠に分からんものよ。心は、時に神とやらの設計など軽々と越えていく」


 既にハルトが飛び出した鉄格子が、寂しく開閉の摩擦音を連続させる。


「彼は、。半年前の革命によって。その生命も、心も――今は、何の因果か備わった古代魔石“ドラゴン”によって動いている人形に過ぎんがの」

「壊れた。それってまさか、ラヴの死のせいで?」

「ラヴの破壊が止めとなって、な」

「……破壊じゃなくて、死亡」


 白棒を叩きながら進んでいると、止まったのは小窓から差し込む十字の影。眼は光を認識しない筈なのに、ヴィルジンは丁度その影で立ち止まる。

 ただし、光は弱い。

 ローカルホスト上空では、雨の黒雲が呼ばれてもいないのに立ち込めていた。

 

「“嘘の怪物”」

「え?」

「ハルトを、即ち雨男アノニマスを呼ぶのに相応しい名だ。それとも“狼少年”と呼ぼうかの。そうやって嘘をつき続けて、奴は全ての心を殺さんと活動してきた。世界中の全生物の心を。そして自分自身の心を」


 クオリアが心を生かそうとする戦士ならば。

 ハルトは心を殺す怪物だな、と。

 雨男アノニマスは劇を堪能する部外者の様に、他人事の如く小さく笑う。


「儂も断片的に各地に潜り込ませていた“エージェント”から聞いたに過ぎん。そこまで聞きたいのなら、正しさは保証せんが話してやろう。ハルトが、何故雨男アノニマスとなったのかという、バッドエンドの物語を」



     ■       ■


『Type GUN METAL MODE』


 ローカルホストから離れた森にて放たれた銃声に呼応して、辺りの木々から鳥たちが飛び出した。雨宿りをしていた鳥達も、慣れぬ破裂音に驚愕したらしい。

 だが、撃たれた側の雨男アノニマスは射線を見切り、特に回避行動を取らない。

 結果、螺旋の回転で突き抜ける弾丸は、雨男アノニマスの狐面を剥ぎ取るに留まった。


 続いて着地したクオリアは、霞む視界の中、フォトンウェポンの先に露わになった顔を見た。

 海色の瞳。髪も同じ色だが、今はフードに隠れていて見えない。

 

 しかし、十分だった。

 雨男アノニマスをハルトと断定するには、その風貌だけで十全だった。

 

「……あなたがハルトであることは、確定した」

「ああ、そうだ。よかったな。正体が見抜けて」


 とシステム通りのログを喋るクオリアの口が、何故か強張った。例外属性“母”による脳の金属疲労ばかりではない。

 雨の中で忽然と佇むハルトの表情が、今回は鮮明だったからだ。


「そうだ。俺が雨男アノニマスだ」


 今まで“嘘”を通してしか見えなかった、臆病者のハルトは。

 こんなにも世界を憎んでいる事が分かるほどに、とうの昔に壊れた眼をしていた。

 こんなにも自分自身へと殺意を抱いている事が、痛いほど分かるほどに――。


「ある意味てめぇらに正体がバレたのは、この場に限っては僥倖だったのかもしれねぇな。“ハルトを演じていた”時とは違って、からな」

「以前の最適解は、有効ではないと認識」


 “ハルトを演じていた頃”とは真逆で、今のハルトは使徒にならない。“焚火ドレッド”による火力こそあったものの、裏を返せば火力頼みで、それを貫く銀の弾丸には手も足も出なかった。

 勿論今のハルトも、“焚火ドレッド”を出すことが出来るだろう。

 だがクオリアの予測上、緋色の鎧を纏う未来は見えなかった。使徒特有の、クオリアには読めないブラックボックスの魔力。その気配が微塵にも感じられない。


 一方で、今のハルトは身体能力を惜しみなく発揮できる。

 音速程度の弾丸など、軽く見切って動いて躱すだろう。


「最適解は無駄ではないとわかったら、さっさと尻尾撒いて帰るんだな。俺も時間が惜しいんだ。今から俺は、“ハルトを演じて”肩でくたばってる男から色々引き出さなければならないんでな」

「要請は否決する」

「あっそ」

「そして、あなたはハルトだ。“ハルトを演じる”という発言は矛盾している」

「矛盾してねえよ。そもそも、ハルトという害悪など、存在しちゃいけなかったんだ。“ハルト”は半年前に、生命だけは生き延びやがったが、もう人生としては終わっている」

「あなたは誤っている。あなたは終わっていない」

「終わっている。無論、このランサムも。晴天教会そのものも」


 肩にぶら下がった父親へ、虫でも見下すような乾燥し切った目線を放つ。

 ランサムから“原典ロストワード”について引き出そうとしている。その上で、殺そうとしている。その予測を終えたクオリアが、今にも崩れそうな足を必死に制御しながら訊く。


「あなたは何故、そのような行動を取っているのか」

「知る必要はねえよ。知った所で俺の邪魔をすることには変わりねえだろう。てめぇには何回も言っているが、邪魔をするなら容赦はしない」


 と言い終えた時には、雨男アノニマスは零距離にまで到達していた。

 鋼鉄をも引き裂く右手が、一気にクオリアへ伸びた。


「最適解を、変――」


 予測は出来ていた。

 だが、もう体が最適解をこなせない。これ以上、戦闘を続行できない。

 それでも、とフォトンウェポンのトリガーを引かんとする――。


 途端、雨男の中心が虹色に瞬く。


「なっ!?」

「想定外の魔力を、認識……これは、古代魔石“ドラゴン”と判定……え、エラー」


 光の狭間に、何かが映っている。

 一人の魔術人形たる少女と、今まで見てきたような傲慢不遜で臆病なハルトが見える。

 温かい。

 だが、光は焼き付く。無理矢理脳の中へアップロードされていく。


「エラー、情報が、強制インストールを……!?」

「古代魔石が……クオリアと魔石共鳴ハウリングを起こしただと……!?」


 記憶の混乱さえ起きかねない景色の濁流に。

 意識の喪失さえ招きかねないデータの嵐の中に。

 クオリアは改めて一人の少女を目の当たりにする。


「ラヴ、お前は……!」


 クオリアは認識した。

 映像の中心にある、この銀髪で眼鏡をかけた明朗快活な少女こそが――ラヴ。



      ■      ■


 クオリアは、地面に伏していた。

 先程の魔石共鳴ハウリングは、クオリアの脳内に古代魔石が魔力を媒介にして、無理矢理記憶を焼き付けるものだ。

 今のクオリアは脳を消耗した状態だ。そこに未経験の記憶を大量に詰め込まれれば、ショックで意識も失う。


 無防備に気絶した顔を見て、ハルトが冷酷に腕を振り上げる。

 このまま正拳を叩き込めば、人体など意図もあっさりと破裂する。

 ディードスも、キルプロもそうやって仕留めてきた。


 だが、再び古代魔石が虹色に光る。

 同時に全身の神経に激痛が走り、ハルトの動きが固まる。


「ちっ……ラヴ、お前なのか」


 後退ると、痛みは消える。

 胸の奥で、何かが叫びたがっている。この古代魔石“ドラゴン”に残滓として残る、ラヴの微かな魔力。それが邪魔をしているのだと、ハルトは考えた。


「何故だ。ラヴ。お前の夢の邪魔する、奴なのに……!」

「ぐ、う……」


 右肩でランサムがそろそろ目覚めそうだ。

 その前に、ハルトは完全に“ハルトに戻る”必要がある。


「ちっ。時間切れか……命拾いしたな」


 返事など最初から期待していない。クオリアは未だ倒れていたのだから。

 

      ■      ■


 起きている時に見る“夢”は、どんな無謀な理想さえも内包する。

 ならば寝ている時に見る“夢”は、どんな残酷な現実さえも想起させる。

 今クオリアの脳が整理がてら見ているのは、後者の夢だった。

 ハルトも意図せぬ魔石共鳴ハウリングによって、無理矢理クオリアの心へと忍び込んだ答え合わせ。無限に広がる、とある二人の半年間。

余すところなく、特等席からクオリアは際限なき再現を眺める事になる。


 もしかしたら、ハルトは主人公として何もかもうまくやっていたかもしれない。

 もしかしたら、ラヴはヒロインとしてハルトの隣に居続けたのかもしれない。

 だけど、そうはならなかった。

 そうはならなかった。

 誰にも、なれなかった。

 主人公は壊れた雨男となり。

 ヒロインは一つの魔石として、鼓動することしか出来なくなる。

 今からクオリアが見るのは、虹なんてどこにも広がらない、そんな黒歴史である。


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