第347話 人工知能、雨男の正体を知る①
「く、クオリア様」
背中を覆う布の感触と、妙な揺れがクオリアの意識を再覚醒させた。それでも、脳の消耗を雄弁に物語るノイズが、アイナの心配そうな顔に靄を掛ける。
「アイナ、説明を要請する、現状の説明を、要請する」
「寝ててください!」
困惑する騎士達に見守られながら、アイナに押されて再び担架に寝かされる。先程からずっと、騎士二人に担架で運ばれていたようだ。
物憂げな少女の顔が、クオリアの心に後ろめたさという信号を投影する事には、未だ慣れない。
「あなたも、フィールも損傷を受けている。
「回復したなんてとても見えないです! 私は……っ」
「あなたの挙動から、乱れが生じている」
「大丈夫、です」
マスが“丸暗鬼”で突いたアイナとフィールの傷は浅い。何故か後遺症が残る余地が全く無い手心が加えられていたものの、それでも刺傷であることに変わりはない。未だ十二分な痛みが二人を取り巻いている筈だ。普通の少女が膝に刃物を突き立てられて、何でもない事の様に歩いているのがおかしい。
強がりの応酬へと、フィールも痛みに顔を歪ませながら入り込んだ。
「あれから操られていない騎士が見つけてくれてね。もう直ぐ屋敷だから。そこでしっかり休もう」
フィールの言う通り、周りの騎士からは敵意は検知されない。ラックの屋敷へと繋がる門も直ぐそこだった。
改めてクオリアが現状を認識しつつ、頭を締め付ける例外属性“母”の余韻に抵抗している時だった。
辺りの屋根を伝う影を、認識した。
『Type GUN』
一切の予備動作なく、誰も止める暇もなく、クオリアの右手から
影が直線を躱しつつ、その余剰で建物からぐらりと自由落下を遂げるも、重力の法則を無視するかのように軽く着地して見せた。
その頃には、誰もが影の正体と名前を紐づかせる。
藍色の雨具。白い狐面。
その方に、僧衣の男。
「
「ランサム公爵を抱えているぞ!?」
辺りに居た数十人の騎士が、一様に武器を抜く。自然とクオリア達三人は後ろに追いやられ、
だが狐面の下では、クオリアを明らかに睨みつけていた。
「てめぇ、実は頭悪いだろ。状況判断出来てんのか? 今は戦う理由なんて無いし、何より明らかに、死にかけのくせに」
「ランサムを降ろす事を要請する」
クオリアは担架から降りつつ、フォトンウェポンを水平に構える。だがその動作が精一杯で、限界をとうに迎えていたクオリアの腕は、酷くブレていた。
「ランサムは、デリートに対する抑止力として、ラックとロベリアが所持している状態が望ましい」
「あの戦闘狂に人質をどうたらする理性はねえよ。弟であろうと、父親であろうと、“愉しみ”の邪魔になるなら容赦なく燃やす。故に奴は、人類最強で在り続けた……お前らの温い考えじゃ、最初から詰んでる」
「また、あなたはテルステルに所属する個体を、殺害する事を最重要事項としていた。あなたがランサムを排除せず、生命活動を維持した状態で運搬している事は、矛盾している」
「お前らと違って、この男の活かし方を知ってるんでな。こいつにはまだ、喋ってもらう情報がある」
「それは、
図星を示す硬直が、ほんの一瞬だけあった。クオリアの読みは、スクラップ寸前の回路でも十二分に冴えていた。
証左の合図として、具合の悪そうな舌打ちが響く。
「道を空けろ。こちとら時間が惜しいんだ」
「否決する」
「それとも、本当にその引き金を弾いてみるか。即ちそれは、今隣で必死に止めようとしているアイナへの裏切りだぞ」
突如話を振られたアイナの横顔を一瞥しつつ、再度
「説明を要請する。それはどういう事か」
「てめぇも知ってんだろ。そいつの兄、何故リーベが死んだのか、彼がゴーストとして彷徨う羽目になったのか」
「肯定」
晴天教会の枢機卿に断頭された等、わざわざ口にするつもりはない。それを想起させることは、アイナの心を鑢で削るとこととイコールであると分かっているのに、流れで口走る事はしない。
「その根源にいるのは、このランサムだ」
「元はと言えばこのランサムが、テルステル家が、何より晴天教会が2000年間、人間を煽り、扇動してきた。獣人は犬畜生だの、呪われた血だの、大咀嚼“ヴォイト”の眷属として人間を喰らってきただの、人間から信仰と一緒に理性と思考を奪ってきた。偽りの晴天経典を絶対の善とする為に、獣人を絶対の悪として生贄にしてきた……アイナはその典型的な被害者だ。“蒼天党”が生まれた根底にだって、その2000年の罪がある」
一つの単語ごとに、心臓を殴りつけるような重々しい言霊。晴天教会への恨みそのものが具現化したような雨具の少年からは、2000年分の獣人の悪霊に憑りつかれたかのような気配が霧のように放射されていた。
発する憎悪のみで、どの騎士も近づけない。それだけの迫力がある。
クオリアはアイナの方を見た。
今彼女は、どんな顔をしているのだろう。
「てめぇ銃を向けるべき相手は、
アイナは、俯いていた。
俯いて――何かに思考がぶつかっていた。
「アイナ」
けれども、決して恨み等という負の心は存在しなかった。
泳ぐ瞼の中で、その恨みという最適解を跳び越えた先にある、何かを探している。
■ ■
『奴は獣人の分際で!! 同種の汚らしい犬畜生を集めて!! 呪われた血に従って、人を食料にせんと悍ましく反乱を起こしたのだ!! そんなあいつに、確かに人類すべての敵にして、人間を喰らってきた大咀爵“ヴォイト”の力はお誂え向きだったろうな!!』
昨日、地下室で聞いたこの声が、アイナの中で反響した。けれど、昨日確かに感じた憎悪が駆動して、思考を焦がし尽くす事も無かった。
そんな憎悪よりも熱くて鋭い、それこそ
困惑。
余りにも驚嘆に値する真実を前に、まともな声を出す事さえ出来ずにいた。
「……そんな、ことが?」
「アイナ、あなたの挙動に異常がある。先程の戦闘の損傷が、重傷化したのか」
「いえ、違います……ただ、えっと……いや、そうだとしたら、私、私は、確かめなきゃ。確かめたい」
激痛を耐えるように強く、獣人の少女は握り締める。
「
晴天教会の信者の真ん中で、そんな言葉を言えば動揺と敵意の視線に晒されるのは当然の帰結だった。だが、陽光のように強く開く瞳に、敵対感情は浄化される。
「でも、私はあなたの言う事は、違うと思います。その考えは、一人一人に人生がある事を、物語がある事を、そして心がある事をあまりに忘れている」
「宗教の前では個人の心は無意味だ。簡単に心なんて押しつぶされる」
「その宗教を使って、ちゃんと人間のも、獣人のも関係なく、心を救おうとする人だっているんだよ」
アイナの視線は、晴天教会を心から信仰する少女へと向いた。視線の先で、フィールはぽかんと口を開けることしか出来ない。
「晴天教会って括りで一つにして、獣人って種族で一つにして、個人を見ようとしない行為を2000年間も繰り返してきたから、人間と獣人は分かり合って来なかったんだと思う……きっとそうやって、ちゃんと相手を見ない事が、心を一番心から遠ざける事だと思う! 一人で勝手に完結しちゃ駄目なんだよ! 相手を見なきゃ、ちゃんと相手と話さなきゃ、勝手に相手を悪と判断し続ける生き方してたら、心が死んじゃうから!」
心を口にしたアイナは、自分よりもずっと心を知っている。
自分が横にいると、安心させる必要さえ無い。
クオリアはふと、そんな風に思いながら、自分よりずっと強い少女の心からの声を噛み締める。
それは。
どんな魔術の詠唱よりも。
どんな科学の理論よりも。
どんな宗教の祈祷よりも。
鋭く貫いて、強く繋ぎ止める、心からの言葉だった。
「怖いかもしれないけど。痛いけど! 個人同士で見ないと。色眼鏡を外さないと。分からない景色だってある。分かり合えない人だっている。そして友達として、分かり合えて良かったと言える」
「何が言いたい」
「私は、“あなた”の事も忌々しい晴天教会の枢機卿としてではなく、一人の個人として話したい。狐面と雨具で隠している、あなたの中と話したい――私は、あなたが誰なのか分かった」
どよめき。波に呑まれたように、クオリアも呼吸する事を忘れていた。
「アイナ。あなたは
「はい。それなら納得行きます……
推測が確信へと変わるにつれ、マスから貰った、ヒントが反芻される。
『これは何の偶然かは知らないが、アイナ、君が
彼は、結局何者だったのか、アイナには最後まで分からなかった。
何故アイナの事をそこまで知り尽くしているのか、最後まで分からなかった。
彼もまた、晴天教会という括りで見ては分からない人間だ。
ちゃんと、個人として話がしたかった。
引き上げて、マスとは誰だったのか、真正面から話したかった。
念願が叶わなかったアイナに出来る事は、ヒントを無駄にしない事くらい。
「そうでしょう、
丁度その時、
彼女達もまた、アイナの口から語られた真実を聞くことになる。
況やクオリアも、重要なパスワードをしっかりと脳内に書き留める。
「ハルト枢機卿」
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