第348話 人工知能、雨男の正体を知る②

 この時、雨男アノニマスは後悔していた。

 昨日地下室で得た直感に、アイナが自分の正体を看破するかもしれないという臆病に、もう少し向き合うべきだった。


「あ、雨男アノニマスの中身が……ハルト?」

「ま、待ってよ、あのハルト? あのナルシストのハルトが? 雨男アノニマス!?」


 後ろのロベリアとスピリトは疑寄りの半信半疑だ。他の騎士達も同様の反応を示している。

 無理もない。ハルトとはテルステル家の三男であり、流れるユビキタスの血に胡坐をかき、“美”を求めて“美”たらんとする道楽でしかないのだから。


 だが、その差に惑わされない二人がいる。

 自身の正体を言い当てたアイナと、明らかに自分を見る目が変わったクオリアだ。


「……確定ではないが、可能性は非常に高い」

「二人揃って目出度い花畑かよ。クオリア、アイナ」


 鼻で笑い、否定して見せる。


「仮に俺がハルトだとして、何故キルプロを殺害する。ランサムに敵対する。ハルトに何の利がある」

「それを聞かせてください」


 “雨男アノニマス”の中身と、個人として話す。

 真摯で一貫した方針に、僅かな誤魔化しさえ効かない。


雨男アノニマス。ここは、裁判所や異端審問じゃありません。そして私は記者でも、探偵でもない。ましてや知りたいのはトリックの全容でも、絶対の真実でもない。ただあなたと話をしたいだけ。私が死にそうな時に、助けてくれたあなたと、ちゃんと個人として話をしたいだけ。だから仮面を脱いでください。あなたのことを聞かせてください。ハルト」


 雨男アノニマスがハルトな訳が無い。そう先程まで嘲笑さえ出かかっていた雰囲気が、どんな刃よりも固くて鋭い心からの言葉に、しんと静まり返ってしまった。

 だが幾らでも言い逃れのしようはあると、口を開こうとした直後、クオリアに機先を制された。


「スイッチにてあなたと接触してから、ハルトからは、発言と挙動に、人間的反応が見られなかった。あなたの発言は、虚構のみだった。だからあなたをラーニング出来なかった」

「俺からすればてめぇが嘘ばかりだよ、クオリア」

「しかし、現在のあなたからは、ノイズが非常に少ない。“自然体”と定義される状態にある。だからこそ、現時点であなたに説明を要請する」

「何も話す事などねえ」

「否定。あなたは“話す”べきだ。あなたとラヴに、どのような事象が発生したのか。あなたは何故、雨男アノニマスとなって“虹の麓”を実行しようとしているのか」

「……」

「アイナを助けたあなたを、やはり自分クオリアは脅威として認識することはできない」


 ぺき、と。

 拳の調子を確かめるように、一人でに右指を鳴らした。


(流石にこの人数に“暗示”は無理か……)

 

 “暗示”の魔術により、地下室を守る守衛達は、『未だハルトが閉じ込められている』と考えている。だがここまで『ハルトが雨男アノニマスである』と疑念づけられては、この後地下室に行って痕跡を確認され、ハルト=雨男アノニマスである事は認識されてしまうだろう。

 それだけは、避けなければならなかった。

 ハルト自身が、雨男アノニマスとしてユビキタスの血を、晴天教会を、そしてテルステル家を終わらせようとしている等、知られてはならない。


 ハルト・ノーガルド=テルステルは。

 


(なら、やむを得ねぇ……世界の為の、生贄になってもらうしかねえ)


 故に、雨男アノニマスのやるべきことは決まった。

 頭に、最悪の未来予想図を描く。


「アイナもクオリアも、俺が助けたからどうとか、笑わせる」

「僅かな虚構を認識」


 殺しはしないまでも、アイナやクオリアが十分に傷つけば、自分の正体どころではなくなる。親しいロベリアやスピリトも同様だ。

 更に周りの騎士を一網打尽にすれば、“事を済ませて再び地下室に戻り、ハルトとして醜怪な姿を晒す”だけの時間が稼げる。


「じゃあその悔いを今断とうか。クオリアとアイナの命を喰い、絶つ事でな!」


 縮地と同等の速度。

 全員の視線を置き去りにして、クオリアとアイナの前に出現する。

 肩にランサムを背負ったまま。

 穿つ、もう片方の五本の牙

 既に瀕死のクオリアに、最早それに追いつくだけの余裕など無く――。



『ハルト。まったくもう、まったくもうなのですよ。それがカッコつけのつもりですか? うーん、センスが無い無い』

『なんだと!? 僕の美しきセンスが分からないというのか!? 嫌いだ! やっぱり君の事なんか、大嫌いだ!!』



 鏡でも見たかのように。

 クオリアに、かつてのハルトが重なった。


 走馬灯でも見たかのように。

 アイナに――かつての、ラヴを重ねた。


「ラ、ヴ」

『ガイア』

魔石回帰リバース


 迷いごと、ランサムごと、雨男アノニマスの体は空へと打ち上げられた。


    ■     ■


 スキルによる地面の槍は、雨男アノニマスの腹部にクリティカルヒットした。だが跳ね飛ばされた威力を利用して、そのまま屋根の上にランサムごと飛び乗るだけで終わる。

 クオリアとアイナは後ろを振り向く。

 エスが、胸の魔石を緑に瞬かせていた。

 

「医院で再起動した途端、アイナが危険な状態にあっている事を理解しました」

「ありがとう……」

「エス。“あり、がとう”。しかしあなたの疑似肉体ゴーレムは、まだ十分な回復をしていない」


 その指摘を裏付けるように、直ぐに魔力不全でエスの膝が折れる。アイナが抱き留めなければ、無造作に地面へ倒れていただろう。

 半開きになった瞳で、頭上を陣取る雨合羽の男を見上げた。


雨男アノニマスに、攻撃が効果を示していません」

雨男アノニマスの強度は、これまで観測したどの脅威よりも非常に高い。“最下層の魔物”をはるかに超越している」


 だが直後、仮面を抑えて居心地が悪そうに震え始めた。嘔吐の一歩手前にも見える。

 明らかにダメージ以外の理由で呻く雨男アノニマスの瞳には、仮面の向こう側で、彼にしか見えない色彩が見えている。


「“アリヴェロ”……“トピリス”……“スエ”……何で、何で君達が、出てくるんだ……」


 ぎょろ、ぎょろと。

 ロベリア、スピリト、エスを交互に見つつ、無関係の名を呟く雨男アノニマス。一人一人の名前を呼ぶ度、胸の奥で魔石が発行する。


「ラヴ……畜生、ラヴ、は、は、な、なんでも、するって、なんでもしてやるって、もう、今更、心なんて、要らないって、言ったのに、どうして、出て、出てきちまうんだ……!!」


 ロベリアが反応したのが分かった。

 ロベリアの親友であり、雨男アノニマスがヒマワリを添える――“虹の麓”の元となった魔術人形の名前。


 仮面の向こう側で、雨男アノニマスは。

 きっと、ヒマワリを見ていた。


「言ったはずだぞ、だからは、君の事が、そういうところが、全部、全部、だよ……! ラヴ……!」

「ハルトの値を認識……」


 心臓の様に脈打つ古代魔石“ドラゴン”が、代弁する。事情を知らないクオリアやアイナにも分かるように告げる。

 それこそが、ハルトの、心からの嘘。


 直後だった。

 雨男アノニマスが上空に消えたのは。


『Type WING』

「あ、クオリア様!」


 体中にバーニアを装着したクオリアは、疲労困憊の体をアイナの届かぬ場所まで浮かせる。それくらいの演算なら、まだクオリアでもできる。


雨男アノニマスを追跡する。雨男アノニマスの目的を理解しない状態で行動を無視する事は、後に重大なリスクにつながる恐れがある」

「でも、クオリア様の体だって――!」


 聞く耳を持たず、一人でに空の彼方まで浮遊すると、米粒になっていく雨男アノニマスを追って消えてしまった。

 とてもアイナで追いつける速度ではない。ましてや足を怪我している。

 居てもたってもいられず、クオリアを追いかけようとした時だった。


 路地の隙間から突如、白棒がアイナの視線を遮った。


「あ、あなたは」

「酷い怪我だねぇ。女の子はもっと奇麗でなくては」

 

 とてもそんな訳に行くか。

 飄々とした様子でアイナの前に立つヴィルジンだが、岩の様に動く気配が無い。そもそも目が見えていない筈なのに、何故アイナの位置が分かると言うのか。

 と、一瞬疑問に駆られたアイナだったが、動かそうとした足を白棒で突かれる。疼かないが、動かない。

 “点穴”。

 ふと、マスに貫かれた時の感覚を、痛み抜きで思い出す。


「それは駄目だ。アイナちゃん。君は帰りを待つべき側の人間だ。喩え愛しき誰かの為でも、戦場になんて行くものではないな」

「ヴィルジン国王……でも」

「まだ15歳の君には分からんかもしれんが、戦場に居ない筈の家族が、何故か戦場で死んでしまった時の悲しみは、本当に底知れない。よいか。君がしなくてはならないことは、何が何でも安全地帯で生き抜く事だ」

「……」

「……国王の言う事も、そうですが、でもクオリア様は」」

「ああ。アイナちゃんの心配ももっともだ。儂の部隊に回収させよう。その代わり今度、アイナちゃんの料理をよろしく――聞いたか? テスラ」

『気は乗らないけど』


 耳の中に入れているらしき何かで、“テスラ”と名乗る人間と何やら憎まれ口をたたき合っている。クオリアのコネクトデバイスのようなものだろうか。

 唖然とするアイナに、エスを抱えてフィールが近づいてきた。彼女もまた、何かを考えこんでいる。


「アイナちゃん。覚えてる? 雨男アノニマスがいった名前」

「ラヴ、の事?」

「そっちじゃない。その前に言った、三人の名前なんだけどさ……私、聞き覚えある」


 “アリヴェロ”。

 “トピリス”。

 “スエ”。


「確か、王都で起きた“半年前の革命”で死んだ修道女達だよ」

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