第344話 夜明国王、とニコラ・テスラ
枢機卿の刃を舞い落とし、赤く血色に咲いた掌は、細くとも深く根を下ろした宝樹のように力強かった。
それ以上にサングラスの反対側で、仄かに光る盲目から放たれる視線は、聖剣のように鋭かった。
威圧。
体格差を覆すには十分だった。
自分より一回りも小さい国王相手に、ランサムが思わずたじろぐ。
「馬鹿な……何故貴様がここにいる」
「ここは儂の
自分はここにいると示す様に、盲目を補う白棒で床をたんたんと叩いて見せる。
たんたん、たんたん、たんたん、たんたん。
「あと、娘に寄生する馬の骨を、引き剥がしに来た」
カァン、と。
白棒が突如振られ、その先端でランサムの頬を打ち抜いた。
「のお、ランサム。儂から娘を奪っただけでなく、娘の命さえ奪おうとしたか。
「殺しきれなかったぁ……殺せなかったんだろう? “聖剣聖”でありながら、使徒であるこの俺をよ。裸の王!」
ぶら下がった片腕で、ランサムがもう一本の短刀を握るとヴィルジンへ翳す。
「俺も“
「魔力は残ってないようだが?」
「ヴィルジン如きを屠るに使徒の力は要らん。それに、俺が手を下さなくとも、仲良く娘ごと貴様は地獄へ落ちる!」
「何のことだ」
「“
ヴィルジンの後ろで、ルートとロベリアが驚愕する。
「き、聞いていませんわ……!?」
「ええ。奥の手ですから」
「そこは変わらんな。ランサム。過剰な自信と、臆病な周到さを両立している。ユビキタスの血と勝利を絶対視しておきながら、自分が負けた時の保険も念入りに打っておく。昔から変わらないようで何よりだ。爪の垢を煎じて飲みたいくらいだ」
「余裕だな、おい。昔より随分と老けたが、頭の中も痴呆が進んだか? “
「忘れてはおらんよ。奴の下では一兵卒が万夫不当の豪傑に生まれ変わる。狂牛ミノタウロスの首を捻じ曲げたという話もあるくらいだ。この上なく警戒をしていた。しかしな」
不敵に笑うヴィルジンに比例して、ランサムの顔が訝し気に冷めていく。
「それでも、所詮は人だ」
「は?」
「人は、人である限り、限界がある。使徒も例外ではない。人の本性は、弱さだ。支配と管理の傘を差しださねば、どのような万夫不当の豪傑であろうとも、悲劇の死へと真っ逆さまだ」
「何を言っている……!?」
「“兵器”には勝てないと言っている」
「……!?」
「儂から一つ、お前さんに贈り物をやろう」
ポケットから取り出した、青く光る球体へランサムが注意を払う。そんな視線も何のその、自然な手つきでヴィルジンがその球体を投げた。
思わず掴み取ってしまうランサム。危害を加えるような代物には見えない。
ただの、水晶だ。
「
甲高くヴィルジンの指が鳴る。
途端、何の変哲もない廊下の直方体が、天井壁床分け隔てなく彩られていく。
「……!?」
展開される世界。
内から外へと、モノクロの廊下が夥しき死に着色された戦場の野原へと、上書きされていく。
「……!」
屍。
屍。
屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍――。
「うっ……」
“家畜”の屍を見慣れているルートも、スラム街で育ってきたロベリアも目を背けざるを得ない、鮮烈な屍の絨毯。
どの騎士も、圧倒的な魔物に蹂躙された直後の如く、原型を留めている者は誰もいない。生存者とくれば絶望的だ。誰一人として、生き延びていない。
「なんだこれは。何のまやかしだ!?」
まやかしだと、ランサムは決めつけるしかない。
遂五分前までは健在だった一万の援軍が全滅したと言われても、信じられるわけが無い。
ましてや、足元に転がっていた騎士の肉片を、自らの靴が通り抜けている。明らかに“そこにない”事は間違いない。あくまでイメージを映し出しているだけだ。
だがすべてが幻覚とも拭いきれないランサムの狼狽を、ヴィルジンは見逃さない。
「まやかしではない。現実だ。全滅したウォーレンシュタインの部隊を映している」
「……」
「顔や鎧が辛うじて残っている者もあるが、それを見ればお前さんなら判別が着くのではないか」
「貴様が用意したイカサマを信用するわけが無かろうが!」
『――あ、ヴィルジン君。娘さん、間に合ったんだ』
ランサムの呼吸が固まった。
真隣でしゃがみ込みながら、草原に何か赤い光で囲われた6×13マスの正方形を、巧みに指を動かしながら、叩いている少年がいた。
とても屍血山河の中で蹲っているには、とても似つかわしくない風貌だった。
何せ、寝癖で入り乱れた紫色の髪の下には、まだ10歳に到達したか否かのあどけない顔が見られた上、草地に張り付く程に裾の長い白衣を纏っていたからだ。
「“プログラム中”だったか?」
『うん。まあさっきの“運用試験”、及第点は達してるけど、幾つか無視できない不具合があってね。至急でパッチ作って、当ててる。まあ仕方ない。ロールアウト直後は阿呆みたいなバグがしこたま潜んでいるものさ』
少年は仮にも国王相手に、特に振り返る事さえしないまま、忙しそうに指を動かす。その目前には、ランサムも、ロベリアも、ルートも眉を顰めざるを得なかった異形が聳え立っていた。
「“兵器”を紹介しよう。魔術人形“D1.0”――“戦闘特化型”。1.0や2.0のような、人間生活の支援を前提に創られた個体とは、全く趣を異にする破壊兵器だ」
その魔術人形は、人の形や色さえしていなかった。
灰色の液体が、無理矢理上半身を象っているようにしか見えなかった。
下半身も、そして表情も、存在しない。
「何よこれ……」
故に、“魔術人形”と言われても、ロベリアは首を横に振るしかなかった。
だってこの魔術人形“D1.0”からは、心があるようには見えなかったから。
更に、後ろから大勢の足音がした。そのいずれもが、ヴィルジンを見掛けるや否や平伏し、その従順さを示した。
『国王様。恐れ入ります。現在“プログラム”中に伴い、“パワードスーツ”を着脱しないまま視界に入る事をお許しください』
「カカカ、慣れない服装で大変だな。こちらこそ変な実験に付き合わせてしまい済まない」
翳した手でヴィルジンが了承を示す。その手で、
正確には――その部下たちが頭から足先まですっぽりと着用している、甲冑とは決定的に毛色が違う、特殊な素材による外殻で構成された“パワードスーツ”と呼ばれた鎧を示していた。
「二つの魔導器。一つは、衝撃吸収と戦闘補助を実現する最新鋭の防具、“パワードスーツ”。今回はこれの耐久試験が出来なかったことが心残りか。そしてもう一つの魔導器は――」
「あれは……」
「――“フォトンウェポン”。ロベリアには見覚えがあるかもしれんな」
“パワードスーツ”の右手に握られたものを見て、絶句したのはロベリアだった。
ロベリアは、その魔導器を知っている。
“フォトンウェポン”を、知っている。
『ロベリアちゃん、久しぶりだ。6年前の84日と17時間31分43秒前に、3分34秒話したきりなのに、よく覚えてくれていた。健康的に成長したようで何よりだよ。そして、健康的に寿命へと向かっているようだ』
ロベリアは、手先を器用に動かしたまま視線も合わせない一方で、活舌良く再会を祝福する少年の名を呟く。
「……ニコラ・テスラ」
彼こそが、事実上
ちなみに、これはあくまでも噂としてしかロベリアは認識していないが。
ニコラ・テスラは、太陽系第三惑星“地球”という異世界から転移してきた、らしい。
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