第344話 夜明国王、とニコラ・テスラ

 枢機卿の刃を舞い落とし、赤く血色に咲いた掌は、細くとも深く根を下ろした宝樹のように力強かった。

 それ以上にサングラスの反対側で、仄かに光る盲目から放たれる視線は、聖剣のように鋭かった。

 威圧。

 体格差を覆すには十分だった。

 自分より一回りも小さい国王相手に、ランサムが思わずたじろぐ。


「馬鹿な……何故貴様がここにいる」

「ここは儂のだ。どこを散歩しようが勝手だろう」


 自分はここにいると示す様に、盲目を補う白棒で床をたんたんと叩いて見せる。

 たんたん、たんたん、たんたん、たんたん。


「あと、娘に寄生する馬の骨を、引き剥がしに来た」


 カァン、と。

 白棒が突如振られ、その先端でランサムの頬を打ち抜いた。


「のお、ランサム。儂から娘を奪っただけでなく、娘の命さえ奪おうとしたか。けだし10年前、“ブルーウォー”での失敗は、お前さんを殺しきれなかったことだ」

「殺しきれなかったぁ……殺せなかったんだろう? “聖剣聖”でありながら、使徒であるこの俺をよ。裸の王!」


 ぶら下がった片腕で、ランサムがもう一本の短刀を握るとヴィルジンへ翳す。


「俺も“ブルーウォー”で貴様を消しきれなかった事を後悔している。あれは失敗だった。だがあくまで幸運に助けられただけの事。ここで会ったが百年目。幸運は二度も続きはせんよ」

「魔力は残ってないようだが?」

「ヴィルジン如きを屠るに使徒の力は要らん。それに、俺が手を下さなくとも、仲良く娘ごと貴様は地獄へ落ちる!」

「何のことだ」

「“火劇作歌ラジオスター“ウォーレンシュタインが一万の軍を率いて、間もなくこのローカルホストを蹂躙する!」


 ヴィルジンの後ろで、ルートとロベリアが驚愕する。


「き、聞いていませんわ……!?」

「ええ。奥の手ですから」

「そこは変わらんな。ランサム。過剰な自信と、臆病な周到さを両立している。ユビキタスの血と勝利を絶対視しておきながら、自分が負けた時の保険も念入りに打っておく。昔から変わらないようで何よりだ。爪の垢を煎じて飲みたいくらいだ」

「余裕だな、おい。昔より随分と老けたが、頭の中も痴呆が進んだか? “火劇作歌ラジオスター“ウォーレンシュタインの恐ろしさを忘れたか?」

「忘れてはおらんよ。奴の下では一兵卒が万夫不当の豪傑に生まれ変わる。狂牛ミノタウロスの首を捻じ曲げたという話もあるくらいだ。この上なく警戒をしていた。しかしな」


 不敵に笑うヴィルジンに比例して、ランサムの顔が訝し気に冷めていく。


「それでも、所詮は人だ」

「は?」

「人は、人である限り、限界がある。使徒も例外ではない。人の本性は、弱さだ。支配と管理の傘を差しださねば、どのような万夫不当の豪傑であろうとも、悲劇の死へと真っ逆さまだ」

「何を言っている……!?」

「“兵器”には勝てないと言っている」

「……!?」

「儂から一つ、お前さんに贈り物をやろう」


 ポケットから取り出した、青く光る球体へランサムが注意を払う。そんな視線も何のその、自然な手つきでヴィルジンがその球体を投げた。

 思わず掴み取ってしまうランサム。危害を加えるような代物には見えない。

 ただの、水晶だ。


水晶ディスプレイ夜明起しアカシアバレーの新製品だ――投影」


 甲高くヴィルジンの指が鳴る。

 途端、何の変哲もない廊下の直方体が、天井壁床分け隔てなく彩られていく。


「……!?」


 展開される世界。

 内から外へと、モノクロの廊下が夥しき死に着色された戦場の野原へと、上書きされていく。


「……!」


 屍。

 屍。

 屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍。屍――。


「うっ……」


 “家畜”の屍を見慣れているルートも、スラム街で育ってきたロベリアも目を背けざるを得ない、鮮烈な屍の絨毯。

 どの騎士も、圧倒的な魔物に蹂躙された直後の如く、原型を留めている者は誰もいない。生存者とくれば絶望的だ。誰一人として、生き延びていない。


「なんだこれは。何のまやかしだ!?」


 まやかしだと、ランサムは決めつけるしかない。

 遂五分前までは健在だった一万の援軍が全滅したと言われても、信じられるわけが無い。

 ましてや、足元に転がっていた騎士の肉片を、自らの靴が通り抜けている。明らかに“そこにない”事は間違いない。あくまでイメージを映し出しているだけだ。

 だがすべてが幻覚とも拭いきれないランサムの狼狽を、ヴィルジンは見逃さない。


「まやかしではない。現実だ。全滅したウォーレンシュタインの部隊を映している」

「……」

「顔や鎧が残っている者もあるが、それを見ればお前さんなら判別が着くのではないか」

「貴様が用意したイカサマを信用するわけが無かろうが!」

『――あ、ヴィルジン君。娘さん、間に合ったんだ』


 ランサムの呼吸が固まった。

 真隣でしゃがみ込みながら、草原に何か赤い光で囲われた6×13マスの正方形を、巧みに指を動かしながら、叩いている少年がいた。

 とても屍血山河の中で蹲っているには、とても似つかわしくない風貌だった。

 何せ、寝癖で入り乱れた紫色の髪の下には、まだ10歳に到達したか否かのあどけない顔が見られた上、草地に張り付く程に裾の長い白衣を纏っていたからだ。


「“プログラム中”だったか?」

『うん。まあさっきの“運用試験”、及第点は達してるけど、幾つか無視できない不具合があってね。至急でパッチ作って、当ててる。まあ仕方ない。ロールアウト直後は阿呆みたいなバグがしこたま潜んでいるものさ』


 少年は仮にも国王相手に、特に振り返る事さえしないまま、忙しそうに指を動かす。その目前には、ランサムも、ロベリアも、ルートも眉を顰めざるを得なかった異形が聳え立っていた。


「“兵器”を紹介しよう。魔術人形“D1.0”――“”。1.0や2.0のような、だ」


 その魔術人形は、人の形や色さえしていなかった。

 灰色の液体が、無理矢理上半身を象っているようにしか見えなかった。

 下半身も、そして表情も、存在しない。


「何よこれ……」


 故に、“魔術人形”と言われても、ロベリアは首を横に振るしかなかった。

 だってこの魔術人形“D1.0”からは、心があるようには見えなかったから。


 更に、後ろから大勢の足音がした。そのいずれもが、ヴィルジンを見掛けるや否や平伏し、その従順さを示した。


『国王様。恐れ入ります。現在“プログラム”中に伴い、“パワードスーツ”を着脱しないまま視界に入る事をお許しください』

「カカカ、慣れない服装で大変だな。こちらこそ変な実験に付き合わせてしまい済まない」


 翳した手でヴィルジンが了承を示す。その手で、現実廊下にいる三人へ平伏を続ける部下たちを紹介する。

 正確には――その部下たちが頭から足先まですっぽりと着用している、甲冑とは決定的に毛色が違う、特殊な素材による外殻で構成された“パワードスーツ”と呼ばれた鎧を示していた。


「二つの魔導器。一つは、衝撃吸収と戦闘補助を実現する最新鋭の防具、“パワードスーツ”。今回はこれの耐久試験が出来なかったことが心残りか。そしてもう一つの魔導器は――」

「あれは……」

「――“フォトンウェポン”。ロベリアには見覚えがあるかもしれんな」


 “パワードスーツ”の右手に握られたものを見て、絶句したのはロベリアだった。

 ロベリアは、その魔導器を知っている。

 “フォトンウェポン”を、知っている。

 

『ロベリアちゃん、久しぶりだ。6年前の84日と17時間31分43秒前に、3分34秒話したきりなのに、よく覚えてくれていた。健康的に成長したようで何よりだよ。そして、健康的に寿命へと向かっているようだ』


 ロベリアは、手先を器用に動かしたまま視線も合わせない一方で、活舌良く再会を祝福する少年の名を呟く。


「……ニコラ・テスラ」


 彼こそが、事実上夜明起しアカシアバレーで最も力を持つ、”ニコラ・テスラ”。




 ちなみに、これはあくまでも噂としてしかロベリアは認識していないが。

 

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