第343話 悪枢機卿、Video Killed the Radio Star

 一人の女性から、鍍金が剥がれ落ちる。

 24時の鐘で魔法が解けてしまった御伽噺の如く、ルートはただの女性に成り下がる。


 断崖を掴むかのような視線で、ランサムに縋る。

 そのランサムから、凶刃を首元に突き付けられているというのに。


「どう、どう、どうして、ランサム、貴方……!?」

「そこで“どうして”等と本気で口にしてしまえる純粋さ。それ故に、私はあなたを担ぎ上げてきました。史上最高の例外属性“母”も申し分ない。だが貴方は、底を露呈してしまった。教皇に必要なのは、信徒が熱狂する程の光なのに、貴方は先程クオリア相手に霞ませてしまった。貴方に教皇としての価値は最早ない」

「そんな……」


 躊躇い無き殺意を覗かせるランサムに、一層ルートは色褪せる。

 思わず抱擁信仰イニシャリズムが拡散した。


 だが、効いていない。

 抱擁信仰イニシャリズムが効いていない。


「何故……?」

抱擁信仰イニシャリズム相手には幾つか裏道が存在する。例外属性“母”の本質は誘惑だ。ならば邪な思いなど感じないレベルに、抱けばいい」

「……!」

「しかし教皇。あなたの体は、俺がこれまで味わってきた雌の中でも、とびっきりの極上でしたよ」


 ランサムの家系に例外属性“母”の一族がいるから、という血縁由来の耐性だけではない。

 ルートと婚姻する事で、更には深い肉体関係に溶け合う事で、免疫をつけたのだ。


「それでも、私は教皇ですの……私は教皇ですの! 私に従うのが筋でしょう!?」

「歴史に学びなさい。臣に殺された王など、枚挙に暇が無い」


 素っ気なくランサムが続ける。


「そもそも、私が忠誠を誓っているのはユビキタス様のみだ。教皇などという、所詮は人が選択する肩書等に意味はない。考えてもみなさい。思い出してもみなさい。教皇とは、我々枢機卿団の総意によって決まるのです。所詮は人に創られた、羊共の視線をひとところに集める為だけの、神意には一切届かぬ茶番でしかない」


 そこでランサムは握る柄に力を込めたが、直後何かに肌を擦られたように、ぴく、と眉を顰めた。


「む? この例外属性“母”の魔力は、教皇のものではありませんな」

「これは……ルートの腹の中にいる……」

「そうですわ……あなたの子が、私の中にいますの……!」


 ここで自らの子を思い出したルートは、一瞬動きの止まったランサムへ、未だ現実を直視し切れていない面持ちでルートが懇願する。


「教皇では無くとも、私を、私を愛しているのでしょう。私はあなたを愛しています。その結晶がこの子ですわ」

「ああ。やはり女子か」


 あまりに軽い反応だった。

 新しい命の父親になった表情からは、まるで面倒な兵卒が一人増えた程度の感慨しか見られなかった。知っていた、というものだけでは説明できない。


「しかし、生まれるのが娘では意味が無いな。もし男ならハルトの控えとして使えたものを」

「何言ってんのあんた……!?」


 決してルートを擁護するつもりなど無いロベリアだったが、思わず声を漏らさざるを得なかった。

 実際に腹の中の命ランサムの娘からの例外属性“母”が、“父親だから”一切通用しない事実を目の当たりにしつつ、その娘を代替品の成りそこないかのように扱うランサムを、同じ人間としてみることが出来ない。


「良いですか。私に必要なのは絶対的な信仰心と、ユビキタス様の教えで未来永劫世を統べる行動です。その為にはこの例外属性“焚”を、緋色の魔力を、ユビキタス様がこの世に唯一の遺した誇りを、即ちユビキタス様の血を、また全魂が復活するであろう予言の日まで守り通さねばならない」

「……」

「女性の戦士等、ユビキタス様をおいて他にはいない。証拠にこれまで生まれた女子は誰一人として、みな例外属性“焚”を持たなかった。男に傅き、男を慰め、そして子を産む舞台装置でしかない」

「最低だな。私がこれまで会った男の中で、一番最低だよ!!」


 完全に希望が潰えたルートの目前で鳴り響くランサムの高笑いに、ロベリアの呪詛が混じる。

 先程まで殴り合っていたルートの前に立ち、絶対零度の双眼で釘付けにしながら、噴火する言葉を浴びせる。


「何がユビキタス様の教えとやらだ! てめぇがそんな事しなくたってな、ユビキタスの伝説は世界中でこの2000年間、人間達の胸を躍らせてきた! 寧ろその悪行三昧がユビキタスの光を貶めてるって何でわからないの!? ユビキタスが守りたかった笑顔を、ユビキタスが守りたかったものを、あんたが踏み潰してるって何で気付かないの!? 最初からてめぇの頭にあるのはな! 信仰心でも教えでもユビキタスの血を継いだ人間の誇りでも何でもない! この世の全てが自分の物だと勘違いしている、ガキ以下に質の悪い空腹感だけだ!」

「ロベリア嬢。強い言葉を振りかざして、大人の間に割り込むままごと遊びを覚えてしまったようだな」


 ランサムの顔に怒りは無かった。ただ、ロベリアを異端認定した、魔物へ向けるような鬱陶しさと、呆れだけが広がっていた。

 刃がルートの首筋から、ロベリアへ向かう。

 その先端と向き合って尚、ロベリアの眼光に陰りはない。


「もう、ままごとでも構わない。でも、てめぇみたいな世界中の笑顔をしたり顔で奪う奴は許さない。んで、そんな悪鬼から逃げる私も許せない。この意地の為なら、私はやっぱり幾らでも命を懸けられる」

「……君の妹には一杯食わされた後でね。そして十年前は、君の父に私は全てを奪われた。妹の恨みも、父の恨みも、君に晴らすとしよう。ただでは殺さん。教皇に代わって、尊厳の全てを崩壊せしめる程に甚振ってやるよ」

「やってみなよ。尊厳オールインしてやっからよ」


 後悔なんて、ロベリアの中にはなかった。ただ、これがロベリアの選んだ戦いだった。

 きっと、このやり方は悪手だろう。ロベリアがすべきだったのは、ルートなんて見捨てて、一人逃げる事だろう。ランサムの狙いはルートを殺し、その罪をサーバー領に擦り付ける事で、ラック達へ全兵力を向けられる免罪符を手に入れる事だ。ロベリアが逃げた所で、ランサムは追いはせずに妻と娘をその手に掛けていただろう。


 しかし、ロベリアが犠牲になる事で得られるメリットもある。追手が来れば、片腕を失い魔力も残っていないランサムは、即座に囚われの身になる。挑発に挑発を重ねた結果、ランサムの嗜虐的な瞳からは、その程度の理解さえ真っ白に消えている。ロベリアの尊厳を破壊させることで、ランサムから時間を奪う。ランサムから、勝ちを奪う。

 

 という計算等、もうロベリアの頭にも存在しない。

 ただの、我儘だ。

 一度、クオリアと同じ場所に立ってみたかった。

 自分の精神を破壊されて尚、ロベリアを庇い続けてルートと対峙したクオリアと、同じ場所に立ってみたかった。


 そうして初めて。

 自分は、クオリアと何気ない日常を過ごす資格ができるのかもしれない。

 自分は、ラヴの十字架に花を添える資格ができるのかもしれない。

 

 クオリアの笑顔。

 ラヴの笑顔。

 二つの笑顔は、凶刃がその身を引き裂くまで、残照として瞼に焼き付いていた――。


「……な!?」


 幾ら待っても、ロベリアの体を刃は引き裂きはしない。

 刃を、血塗れの掌が握り締めていたからだ。

 ランサムも、唖然としながらその掌の大本を辿っていく。



「………………ヴィルジン……何故、ここに……!?」



 ヴィルジンの掌は、遂に刃を割り潰した。



       ■        ■


 丁度同時刻。

 ランサムを救出するために出陣した援軍――使徒“火劇作歌ラジオスター“ウォーレンシュタインの一万の兵力は、壊滅した。


 


(馬鹿な、今、何が……起きた)


 使徒回帰リライトを、惜しみなくウォーレンシュタインは発動していた。自分の一万の部下達は、今や地形さえ変える事のできる怪物の集団へと変貌していた筈だ。

 故に、理解できなかった。

 その一万の部下が地面に紛れるまで、自らもまた瀕死の状態になるまでの一分間、一体何があったのかを記憶する事さえ出来なかった。


「――あー、あー、ヴィルジン聞こえるー? 今丁度取り込み中? 取り込み中っぽいね。耳だけ半分聞いておいて。“火劇作歌ラジオスター“、だっけ? ビデオに殺されそうな名前してる奴。無事57秒で全滅したので“”も滞りなく完了した次第でーす。家族に肩入れするのはいいけど、一応君はキングだからね。詰まれチェックメイトされないように」


 自分を見下ろすは、誰と会話しているのだろう。ヴィルジンなんて超重要人物、いればウォーレンシュタインもすぐにわかるはずだが。

 そもそも纏っている白衣は、一体何の仮装なのだろう。夜明起しアカシアバレーの人間は、皆僧衣と真反対の俗世の最先端を往く服装をしていると聞くが、彼はまた妙な上着を纏っている。


「き、君は一体、だ、誰だ、一体、何をした」


 少年の周りに影が群がってくる。

 そのが、身動きのできないウォーレンシュタインに向けられる。



夜明起しアカシアバレー“開発局”局長



 銃口と並行に、屈託のない笑みが視界一杯に広がった。


「新製品への“”へのご協力、どうもありがとう」

「新、製品……」

「魔導器と、魔術人形。僕らの“悲願”を達成するための、第一歩だよ」


 光があった。

 ウォーレンシュタインは、跡形もなく消え去った。

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