第341話 人工知能、小休止
人間一人を喰らうには強過ぎる濁流のうねり。
後味の悪い余韻が、今も水飛沫の咆哮を上げて駆ける氾濫を見下ろす三人を浸らせる。
「あの傷で、こんな川に流されちゃ……助からないよ」
「肯定。マスの生命活動は停止した可能性が高い」
断言はできない。マスの身体能力は非常に高いと分析出来た。健常な状態なら、激流の暴力に晒されても、岸に手を掛けるまで息が続いていただろう。
それだけ、マスの傷は深かった。
即座に治癒が必要な、川で藻掻く等とても出来はしない重傷だった。
脅威と、認識していた。敵と、定義していた。
だからこそ、アイナを助けた理由を聞き出したかった。
自分達を庇い、再起不能の怪我を代替した理由を、教えてほしかった。
一体、何が彼をそうさせたのか。
どんな心が、彼をそんな矛盾へと駆り立てたのか。
昨日の雨で膨れ上がった川は、ただ怒号を喚き散らすばかりで、沈黙を貫く。
「マスって人……本気で、私達を捕えようとしていたのかな」
「え?」
黙祷へと移りそうな空気の中、アイナが口を開いた。
「もし、最初から本気で私達を捕まえようとしてたなら、あの医院で詰んでた気がするんです。何と言うか、上手く言えないけど、私達の事を試していたみたいな雰囲気がしていて」
試していた。成程、とクオリアは思った。
だとしたら何を?
恐らくはランサムの命令で動いていた筈だが、それすら無視して彼は何を知りたかったのだろうか?
演算がぐるぐると、出口も定義できないまま空転する。
「あの人が言った2つの“ヒント”も、気になるし」
「説明を要請する。どのようなヒントを貰っ……」
空転するのは、視界もだった。
曇り始めた色彩無き空と、周りで悶える事しか出来ない騎士が濁り合う。
重い頭に迸っていた激痛が、遂に許容範囲を超えた。
「クオリア様!?」
膝から崩れ落ちたクオリアを、アイナとフィールが受け止める。自立できない。為されるがまま、アイナの腕に後頭部を預けたまま、動けない。
何も考えることが出来ない。
アイナとフィールの憂慮の眼差しに見下ろされても、何もすることが出来ない。
けれども、もう考える必要も、動く必要もない。
マスは流れていった。“雑談”に洗脳されていた騎士も、完全に無力化されている。
安堵という時限爆弾は、二人の安全が確保されたことによって、どうやら作動したらしい。
「……エラー……演算部分に、異常が」
「酷い熱……!」
例外属性“母”により酷く消耗したクオリアの意識は、しかし潰える瞬間にある脅威を思い出した。
「クオリア様、クオリア様!」
まだ、デリートがいる。
■ ■
「やはりデリートには封印魔術が有効か」
確信を得たように、ラックが頷く。“封印魔術”は、浮き出る文字となって片腕のみとなったランサムを縛り上げている。
ラックの後ろで、スピリトは既に眠りについていた。“
だが何かあれば起き上がって斬り伏せると言わんばかりに、その右手にはフォトンウェポンの柄が握られている。
「あのデリートを、お前は確かに“幽閉出来ていたのだからな”。この十年間、どうやってデリートを閉じ込めていたのかは気になってはいたが、種が分かってしまえばなんて事はない」
「簡単に言う」
「勿論簡単じゃないのは分かっているさ。さあ、奴を封じ込めていた封印魔術の“祝詞”を教えろ」
「……いいだろう。俺としても、奴を捕えてくれるなら願っても無いことだ」
「父親の台詞じゃないな。仮にも」
現在ランサムにきつく巻き付いている言霊の数々――“祝詞”。構成する古代エニグマ語によって、封印魔術は形を変える。
正直に“祝詞”の構文を伝えながら、心中ランサムは鼻で笑う。
(だが、無理だ。十数年前は、奴も若く、偶々油断していた所を封印できたに過ぎん。それにしても)
先程、伝令が入ってきてラックに伝えたのだった。
アイナとフィールの無事が確保され、先程“確実に洗脳を受けていない”人間達に保護された、ランサムにとっての悪いニュースを。
また、主犯格であるマスは川に流され、現在行方不明というおまけ付きで。
(マスめ……しくじりやがって。トロイ第零部隊と豪語しておきながら……教皇もそうだ、どいつもこいつも、肝心な時に使い物にならんとは)
そもそも、自分はなぜマスをここまで信用していたのだろう。
そんな自分の迂闊さがここに来て腹立たしく思える。
(事ここに至っては、最悪ハルトさえも捨て置いて、俺はここから脱出する――だがその前に、全晴天教会の信徒が奮起する、訃報を一つ持ち帰らなくては)
ランサムはまだ諦めていない。最悪の息子の襲来を前にしても、仮にも歴戦の使徒だった男は可能性を模索する。片腕を失った驚愕にも耐え、その脳裏では着々と企みが完成しつつある。
(俺が生きている。俺が生きてさえいれば、晴天教会は、ユビキタス様が望んだ理想の世界は、この2000年という系譜は、誇り高く続くのだからな)
■ ■
辺りの木々を攫わん勢いの激流。
既にクオリア達がいた建物どころか、ローカルホストからも離れた下流において、蠢く奔流から飛び出した影があった。
ずぶぬれの雨具にも気に留めず、
そのシックスの肩からは、マスがぶら下がっていた。
「
「……即興で応急処置をしてみたが、上手くはいかんものだ」
シックスが肩を見やると、息を荒げながらマスが自らの服を引きちぎり、胴体に深く掘られた傷跡を露わにしていた。だが“丸暗記”によって作り出した針と糸によって、粗いが傷口は閉じていた。
とはいえ、激流の中で出来たことはその応急処置が限界だった。傷口を閉じ込める針と糸も、例外属性“土”で出来た脆いもの。水の圧力で千切れ、赤い液体に塗れ始めている。
「
『そうだ。死んでどうする。お前の本当の任務はまだ終わっていないだろう、マス?』
シックスの人工魔石から声がした。
その声の主に、マスは心当たりがある。
『シックス。人工魔石“マグマ”の熱で、そいつの傷口を塞げ』
「
「魔術人形、私からも頼む」
マスと
「……まったく。こうも死へ諦めが着かんとは。20年前ならどうという事も無かったのだがな。今は……私の役割を遂げんことには、死んでも死に切れん」
「……要求は受諾された」
『マグマ』
マスの体を横たえると、シックスの人工魔石が赤く輝いた。
「
『ああ。少し休んでろ。その間に、舞台は俺が創る』
マスは、細めた瞳で思案する。
人工魔石の向こう側にも、一つの未来があったのだから。喩え歪んでいたとしても。
『晴天教会のふざけた歴史に、止めを刺してやる』
老体の一部に、溶岩が覆い被さった。
死を超越した激痛の果てに、一つの役割が延びた。
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