第328話 人工知能、師匠から励まされる
一定周期の陽射しに誘われる様に、無音の廊下を駆け抜ける。
恐らく護衛の騎士は騒ぎを聞きつけて、会談の広場へ向かったのだろう。そこでランサムに根こそぎ殺されたのだろう。
だが、当たり前の様に散っていった生命に、想いを馳せる余裕はスピリトにはなかった。
目前を走っているクオリアからは、降り始めた雨のようにぽつ、ぽつと血が滴っている。目、鼻、耳。通常では考えられない箇所から出血している。
脳のダメージは未だ癒えていない。なのにこれから使徒と彼は戦おうとしているのだ。
そして満身創痍なのは自分も同じだ。
そう悟りつつ、スピリトもよろめく。
(ヤバ、案外ダメージ重なってるかも……)
――転寝の様に視界が一瞬ぼやけたかと思うと、そこは廊下ではなく開けた草原に覆われた丘だった。
ああ、これは記憶の再現だ、とスピリトは気付く。
何せ今は近くにいない筈の“師匠”が、足元で大の字になって転がっていたのだから。
『僕よりも速くなった。もう駆けっこじゃ勝てないねぇ』
『でも、まだ師匠に剣で勝てる気がしないけど』
『師匠なんて呼び名はよしてくれと言ってるだろう。僕は師匠や先生と呼ぶには何も知らなさすぎる。君と同じく、問いの途上さ』
“2年間の修行中”、師匠としてスピリトが従事した女性は、手で枕を創りながら日向ぼっこをしている。鼻の先に蝶々が止まってもお構いなしだった。
『そう。それでも、君よりも、勿論僕よりも、速い奴はたくさんいる……この先君が幾ら秘奥義を極めようとも、剣で上回る奴なんて幾らでもいる』
『じゃあ、どうすればいいのよ』
『時にスピリト。君は剣になって何を成したいのかな』
『だから、姉を守りたくて……』
『お姉さんを守りたいなら、他の手段でも良かったはずだ。魔術を鍛えるでも良かった。“縮地”を使えるくらいに基本属性“風”は使いこなしている訳だし、素質もあったはずだ。あるいは知識の向上でもよかった。交渉術を、弁論術を、人間性を高め、敵を味方に変える術を身に着けても良かったはずだ』
『それは……』
『いや、思考してはいけない。下手な思考は本質を曇らせる。人はフィクションな創作だけじゃなく、ノンフィクションな人生にさえ後付けの設定を盛れるからね』
煩いかけたスピリトを支えるように、“師匠”は制した。
雲と共に一緒に生きているような人物で、この世界で“自然”が一番似合う女性だった。星の化身と言っても過言ではないような雰囲気が、彼女にはあった。
『君が剣を選んだこと。それは君の心が、そうさせた。そこに君の本質がある』
『私の心が……そうさせた』
『だから君が考えるべきは、剣を極める理由じゃない。剣になるとはどういう事か。それを突き詰める』
『突き詰める?』
『いいところに引っかかった。思考じゃない。感じるんだ。君の中に問い続けろ。一つだけ、ヒントを教えよう。これは僕の“クニ”に残っていた言葉だ』
師匠は、アカシア王国の人間ではない。
そもそも“ワタヌキ”という名前も聞いたことがあまりない。似たような発音の名前が多いと、東の方にある“おにぎり”が有名な国が出身か尋ねたが、どうやら彼女の“クニ”は違う所にあるらしい。
『上善は水の如し――物事の根源となる
「――スピリト、応答を要請する。スピリト」
霧が急速に晴れたように、現実へと意識が戻ってくる。淡い顔付の下、心配そうにこちらを見てくるクオリアが、視界一杯に広がっていた。
よろめいた自分を、受け止めて支えてくれていたようだ。
「……ああ、ごめん」
「あなたの損傷具合はやはり非常に大きい。この後の戦闘は推奨されない」
「クオリア。逆の立場だったら、君はどうしてた? 尻尾撒いて逃げてる?」
と問いながら、クオリアの顔に纏わりつく血を拭う。脳の損傷の証を見せつけられると、クオリアは答えに詰まる。
「否定」
「私も同じよ。ランサムを放って犬死にを待つくらいなら、ランサムと戦って皆で生を掴む。君が今、それだけ脳に負担を掛けても戦うつもりなようにね」
「……“ごめん、なさい”」
目を逸らして謝るクオリアは、スピリトが最初に会った時よりも、ずっと子供みたいになった。時折見せる幼子のような目付きをされると、いつもの機械のような佇まいよりも、何故か安心して接していられる。
「
「本当よ。だから君を会談に出すのは反対だったんだってば」
「肯定」
「君がいなくなったら、私は誰にこれから教えればいいのよ。君がいなくなったら、私は誰と風呂で話すればいいのよ。君がいなくなったら……」
クオリアがいなくなったら。それを想像して、スピリトの視線が床へと落ちる。
もう、クオリアがいない世界を想像できない。
だから、クオリアがルートの操り人形になった時。これまで艱難辛苦を乗り越え“聖剣聖”と呼ばれるまでになった剣術は何だったんだと、役立たずの手首をいっそ斬り落とそうとさえ血迷った。剣を極めようとした二年前の自分を殺したいとさえ願った。
「でも、君は帰ってきてくれた。帰ってきてくれて、良かった。だから、今は自分を責めんな。ランサムを無力化して、アイナを助ける事だけ考えなよ」
「既にランサムを無力化するための最適解を構築中だ。
クオリアが頭を押さえて瞼を細めると同時、その瞼から血が再度滴った。やはり脳へのダメージは非常に大きい。スピリトから見ても、あまりに脳に無茶な負担を掛けたことが分かる。顔面のパーツから血が滴るほどに脳から出血が出ている時点で異常だ。はっきりいってスピリトよりも重傷だ。
クオリアも、人の事を言える立場にないのだ。
それでも、クオリアの元人工知能のCPUである脳は、同時に沢山の最適解を並行演算しているのだろう。
でも彼の心は、そこまで器用ではない。寧ろ、果てしなく不器用だ。
ロベリアやスピリトを傷つけてしまったこと。そしてアイナが今こうしている間にも殺されていやしないかという不安。負の感情に、喰われつつある。
「会談始まる前に、言ったよね」
悩めるクオリアを見て、スピリトは自然と口から出た。
「もしいざとなったら、君の剣になるって」
「肯定」
「だから二人で、ランサムなんて屑に時間を掛けずにとっとと倒しましょう。で、アイナを助けに行きましょう。二人で、無理でも何でも、気のゆくまでしようじゃないの。私達が心の底から守りたいもの、全部欲張って守ってやるためにさ」
そう言ってクオリアと共に再度駆けだしたスピリトの頭からは、“師匠”の夢を見た事は忘れていた。
剣を極める理由ではなく、剣になるとはどういう事か。
それすらも片隅に追いやって、自分と自分の愛する存在を剣らしく切裂いてやるという事だけに集中していた。
「どういう事だ? 教皇が遊んでいたはずだが?」
半壊した会談の場所に到着すると、桁違いの緋色の魔力に身を包んだランサムが、ラックの胸倉を掴んだままこちらへ振り返っていた。
「遊びは終わりよ。ここからは後片付けの時間ね」
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