第325話 人工知能、一緒に考えたい姉へ。

 膝立ちのままロベリアの胸に寄り掛かる、クオリアの体に力はなかった。

 何かをしなければと演算を巡らせるが、ショートを起こした回路はまだ回復しない。体を動かさなければと意志を巡らせるが、赤子の様に自由に体を動かせない。

 体が自分のものではない感じだ。

 アンドロイドでは見ることが出来ない、悪夢を見ていた気がする。

 母親に全てを委ねた、甘美な悪夢を見ていた気がする。


「禁則、事項に」

「んな事いいからさ」


 額に前髪が密着する程の汗。

眼孔や鼻の隙間から滲む血。

朦朧とする意識ごと、ロベリアの胸にそれらを擦り付けていた。


 まだ自分が何をしているのか、クオリアは認識していない。

 ただ、心のどこかで、“ロベリアに不利益を与えている”という建前で、少年としての理性が乳肌から離れろと指示を出す。

 だが、後頭部にロベリアが手を添えていた。

 逃がさないように、ではない。いじめにあった弟の心に寄り添うように、優しく撫でてくる。


「ほんとさ、クオリア君。どうして、そこまで?」

「“母親に、指示され、るよりも、あなたと、一緒に、美味しい、を考え、たか、った”……“スピリト、と、一緒に沢山、学び、たかった”」


 座り込んだロベリアの太ももに頭を預ける。

 後悔しているかのように覗き込んでくるロベリアへ、短い息を連続させながら譫言を返す。一方のロベリアも、乳房の中心にクオリアの血や汗が付着している事にも、クオリアに全裸を晒している事も気に留めず、やっと口にするクオリアの思いに全力で耳を傾けていた。


「あなたは、世界の“美味しい”について、自分クオリアよりも、演算しているからだ。あなたに協力する事は、より多くの“美味しい”を創ることだと、クオリアは……“信じて、る”」


 クオリアの知る中で、一番世界の笑顔について考えている。

 そんな評価が重くて、ロベリアは謙遜してしまう。 


「それね、結局スピリトの為に……やってる事だよ。だから、あんまり胸を誇れることじゃないんだよね」


 一人じゃ美味しい思いは出来ないから。

 そう親友ラヴに教わっただけだよ、と補足するロベリアを見て、クオリアは首を横に振る。


「理由の是非に、問題はない」

「なんで? こういうの、ポーズだけで良かったのかな」

「それでも、あなたはずっと行動していた。より多くの“美味しい”の為に行動していた。自分クオリアは、知っている」


 たとえ、始まりはスピリトの事を守る為だったとしても。

 たとえ、ラヴという親友の夢を借りていただけだったとしても。

 クオリアは、その解をままごとと、貶める事をしない。


 知っているから。見てきたから。学んできたから。

 千差万別の世界中のあらゆる課題へ、彼女なりに悩んで悩んで悩んで、そして何でもないような無邪気な笑顔で我の強い貴族たちへの交渉戦いに臨む。オーバーテクノロジーも通用しない人の心が跋扈するテーブルに座る。

 クオリアはこの一か月間、ずっと見てきた。

 だから、その心が嘘だなんて、嘘でも言わせない。


「誤っていたのは、自分クオリアだ」


 クオリアは、ずっと後悔してきた。

 ロベリアを、そんな責任テーブルに一人で向かわせ過ぎた。

 その心に、もっと寄り添えたのではないか。


「今回も、あなたに酷く不利益を与えてしまった。一ヶ月前と同じく、あなたに不利益を与えてしまった」

「一ヶ月、前」


 シャットダウンへ兵器回帰リターンする直前。

 クオリアとロベリアは同じ追想をする。


「あの時あなたは、自分クオリアに生命活動の停止を望んでいなかった。それを、自分クオリアは読み取ることが出来なかった。それをあなたは、あなたに責任があると、考えてしまった」


 あの時、クオリアは兵器回帰リターンの承認をロベリアに求めてしまった。

 しかし、それは間違いだった。

 そんな重荷を一人で背負わせては行けなかった。

 クオリア自身の命の重さを、心の重さを後悔した結果、ロベリアはたった一人でローカルホストに来てしまった。

楽園を求めて、“虹の麓”を求めて、優しい最適解を求めて、スピリトもクオリアも皆が死なない世界を求めて。


「“あなたを、一人で、もう、戦わせない。だから、自分クオリアは、あなたの、敵に、脅威に、なりたくなかった。あなた達、家族、の下へ、帰り、たかった”」

「……」

「“昨日、あなたに、話した、通り、あなたと、一緒に考え、たい。“美味しい”の、創り、方を”」


 見上げるクオリアの頬に、零れる。

 もう乾いたクオリアの涙を代弁するように、ロベリアの両目から、エメラルドを思わせる碧の瞳から、何度も大量の涙粒が滴る。

 それでいて、クオリアの前髪を掻き分けの命一杯褒める。


「……クオリア君、本当に……優しいんだから……私の自慢の……」

「エラー」

「エラー……って、ん?」

「エラー……エラー……視覚情報の破棄、ふ、不可……」

 

 突如クオリアの焦点が合い始めた。5Dプリントによるメンテナンスが進み、脳の損傷の応急処置が進んだのだろう。5Dプリントでも抱擁信仰イニシャリズムを無理矢理解除したことによる脳の負担は長い時間を要するが、意識を鮮明にすることまでなら出来た。

 その結果、何が起きたのか。


 ぷるぷる震え、紅潮するクオリアから見える視界。

 涙を流すロベリアの笑顔を見ようとすると、穢れ無き豊満な二つの球体が視界の半分を遮っている。ちょっと動くだけで揺れる世界で一番柔らかい果実と額の差は一センチも無い。

 都合よく眩しい光が覆っている訳でも無いので、“女の子の胸”の全容をクオリアは当然見ている訳だ。


 胸だけではない。下もだ。

 現在ロベリアがぺたんと座っている太ももに、クオリアは頭を預けていた。つまり可愛らしい臍や、更に一番禁断のゾーンである下腹部もほぼ密着していると言っても過言ではない。


「し、視覚情報に、い、異常、不利益、あ、あああ、演算、不可、これは、例外属性“母”による異常では……の、ノイズが……!」


 それはそうだ。

 ロベリアはクオリアを救うのに必死で、全裸のままなのだから。

 結果、大量の色欲エラーがクオリアの中で、それは盛大に弾けた。


「さ、先程、クオリアは、あなたの胸部に顔面を……」


 クオリアが必死に視線を逸らそうとする。だが逸らした先で眼球が動き、たわわに動くロベリアの生乳を凝視してしまう。“美味しくない”挙動を取ってしまう。

 いつもの、女体が苦手な純朴少年がそこにはいた。


「おんやー?」


 ようやく起き上がってロベリアから距離を取ると、そこにはいつものクオリアでどう遊んでやろうと企んでいるいつもの顔があった。


「何か視線がまた頂けませんねぇ。今反応しちゃうところ?」


 だがロベリアも、眼を泳がせて徐々に胸や下腹部を隠し始める。


「やば、ごめん、恥ずい……あれ、私だいぶ、こういうの大丈夫だと思ってたんだけどな……準備、必要だったな……ごめん、クオリア君、やっぱり、ちょっと服着るまで見ないで貰えると……」

「……至急、あなたに服を着用させる必要がある。5Dプリントを起動する……!」


 ロベリア目掛けて掌を伸ばすと、五指から伸びた光がロベリアの肌を覆い始める。光がなぞった場所から、すぐ近くに落ちていた黒と青を基調にした衣服と同じものが生成される――それも、ロベリアが着た状態で。


「おお、こんな事も出来るのね」

「……視覚情報のノイズ、破棄完了……否、記憶媒体にロベリアの不利益な情報が入っている、即削除を……」

「ありがと。私はもう大丈夫だよ」


 クオリアに生成された衣服ごと、両肩を広げて示して見せる。しかし直ぐに違和感を感じたように眉を顰めると、スカートの部分に手を当て始める。


「でも、下着無いんだけど? 私今パンツ穿いてないんだけど? スースーなんですけど? あれ? タイツも無いね」

「し、下着、下着の生成」


 回路の演算がどよめいた。心臓部分が跳ね上がったかのように、クオリアの表情がまた崩壊し始める。

 小悪魔的に囁いてくるロベリアを見ると、猶更演算が乱れる。


「それにね、クオリア君。女の人って、胸にもブラっていう下着をつけるんだぞ? おっぱいの形が顕著になっちゃうから。まあこっちは今の服的に目立たないけど」

「む、胸にも、生成の必要が、ある。ぶ、ブラを登録……エラー、エラー」

「パンツもブラも無しって、クオリア君の趣向? まー中々面白い性癖に目覚めちゃってるねぇ。でもお姉さん感心しないなぁ」


 確かに元々ロベリアが来ていた服の近くに、丁度ロベリアの胸に相応しい大きい胸当ての下着が見える。更に水色の小さな三角形の布もある。


「え、エラー。下着の生成……エラー、ロベリアの下着と呼ばれる衣服についての設計図を演算しようとした場合、あなたの下着を作成する際、あなたの胸部と臀部と下腹部を視認した上で演算しないといけない為、そ、そ、そ想定外のエラーが……」

「へー、私の体見ると、そんな気持ちになるんだねぇ」

「……こ、肯定」

「このエロ人工知能さんめ」


 ロベリアが脚を曲げ、水色の三角布を足先に通し始めると、慌てふためいてクオリアは回れ右をした。

 一方スピリトもようやく座る事は出来たようで、近くに逃げてきていたクオリアを横から心のこもらない瞳で見つめる。


「やっぱ、おっぱいに負けてんじゃん」

「フィードバックする……“おっぱいに、負ける奴は、人生に、負け、る”」

「大丈夫。結局クオリア君、巨乳でも貧乳でも反応しちゃう子だから」

「貧乳言うな!!」

「それより、スピリト、あなたの怪我は大丈夫なの!?」

「肯定、あなたは中度から重度の損傷が散見される」


 大丈夫であることを示す様に、スピリトが立ち上がる。


「一応私が生きているようにランサムも手加減してたし。それに、鍛え方が違うの……大丈夫。お姉ちゃんの裸が全世界に公開なんてなるよりは、クオリアがずっとあの女の従僕として生きて死んでいくよりは、何百万倍もマシだから」

「エラー。あなたの損傷から計算して、“何百万倍”は確実に過剰であると判断できる」

「うっさい言葉の綾だっての! 師匠に口答えするな!」

「――な、なんでよ」


 まるで戦地から日常に帰ってきた様に、和んできた空間において。

 一人だけ、置いてきぼりにされていた教皇が居た。


「なんでよおおおおおおお!! なんで私の言う事聞かないのよ!? 私はあなたの母親なのよ!? 子は母親の、母親の言う事を聞くはずでしょう!?」


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