第324話 人工知能、母親に抗う
「何をしているの!? 何故、私の言う事が、聞けないの!?」
母が呼んでいる。行かなければいけない。
全てを捨てて、母を優先しなくてはならない。
もう、この衝動に抗う事ができない。
クオリアの脚がルートの方向へ向く。
だがその前に、崖へギリギリ指を掛けているように頭皮へしがみ付く五指から、5Dプリントの光が全開放されている。
光は明らかに、頭蓋を貫通して脳へと突き刺さっている。
発光直後、ルートへ向かっていた脚が縫い付けられたように止まる。
「あなたの魔力は、クオリアの脳部分へ悪影響を及ぼしている……ならば、あなたの悪影響を受けた部分を、5Dプリントで書き換える事で対応できる」
「脳を……書き換える!?」
「肯定……
その場にいた誰もが分かった。ルート以外は思い知った。
ハッキングの度に戦って、苦悶している。発されるクオリアの声に、悪戦苦闘の激痛が搭載されている。
今までクオリアは、5Dプリントによる緊急メンテナンスによって肉体を直してきた。しかし、脳を直接弄った事はない。演算能力をラーニングによって向上させることはあっても、自身のCPUやメモリそのものを別物質に置き変えるなど、人間には到底成し得ない。
それこそ
「が、ああ、ああああああああ!!」
最早痛みという次元も、人が想像しうる領域も超えたあらゆる負の反応がクオリアを襲っている。
「従いなさい! 私の、母の言う事が聞けないの!?」
愛の嵐が再びクオリアを包む。直後、母の
心を、揺り篭から開け放つ。
「どうしてよ……!」
ルートもようやくクオリアが謎の光によって例外属性“母”を都度無力化している事に気付いた。だから例外属性“母”による
「バックアップの5Dプリント……全、起動……! ぎ、ぐ」
だが、今度は全身から5Dプリントの光を放出する。次の瞬間には、ルートの両肩で息をしながらも、ルートの“保護下”から解放されていた。
演算の歯車を火花が散るほど回しながら。
脳内の血液を沸騰するように泡立たせながら。
脳内出血を、何度も繰り返しながら。
「あなた、の例外属性“母”……
「らー、にんぐ!?」
「母親関連の欲求を異常に暴走させる波長を認識……ならば、この波長による感情の変化を超える、更なる感情で上書きすれば暫定対応は可能だ……!」
「クオリア! 血が!」
「“美味しくない”という感情の強さを、クオリアは既に認識している。クオリアが利用するのはそれだ」
スピリトが気付いて、顔を歪ませる。
一次回答を用意したクオリアの瞼から、涙に混じって血が泥の様に溢れている。
瞳が、充血している。
赤くなった視界で、クオリアは投影する。
自分も死んでしまいたいくらいに絶望した、果てしなく増幅した“美味しくない”を。
マイナスの世界を、人間としてラーニングしてきたからこそ。
クオリアは、負の方向へも振り切れる。
5Dプリントで、脳内に“悲劇の想像”を揺さぶり起こすことが出来る。
「ひっ……!?」
「“よくも、スピリトを、ここまで、傷つけたな!”、“よくも、ロベリアに、ここまで嫌な、こと、させ、たな!! お前、を、許さない!”」
自身の顔面を掴む、指と指の隙間。
充血と血涙でいっぱいになった眼光は、最早人の物ではなかった。アンドロイドのカメラでさえない。
ゴーストのような、世界全てを憎んだ怨霊のような、緋色の瞳。
金縛りに晒されたように、ルートの体が硬直する。
「“それだけ、じゃ、ない! よくも、エスがノーフェイスゴースト、に浸食され、黒く、なる瞬間を、思い、出させ、たな! フィールが、火炙り、され、燃え、て、黒く、なる瞬間、を想像させ、たな!」
ルートへの決定打を、自身への致命傷を、クオリアは投影する。
体を支えるので精一杯な足元。
一番思い出したくないあの悲劇を、クオリアは無理矢理脳内のみで再現する。
ナイフが胸に突き立てられたアイナが、今のクオリアには見えている。
「“よくも、アイナがこんなに、血がいっぱいで!! 血がいっぱいで!! 血がいっぱいで!! もう、ずっと、話せなく、なるって、アイナを、あの時を、再現させ、たな! 人間、には、バックアップ、が、ないんだ、ぞ!! 命も、心も、一つしかないんだ! [N/A]、[N/A]、[N/A]!”」
鼻からも、耳からも、血が止めどなく零れている。
それは、まるで。
クオリア自身が、自分への罰として、拷問を課しているようにさえ見える。
クオリアが、一歩進む。
ルートが、一歩退がる。
クオリアが、二歩進む。
ルートが、二歩退がる。
少年が、母親へ近づく。
母親は、子供だった少年から遠ざかる。
「あなたを、排除……[N/A]……無力化、する」
「やめて……ば、ばけもの!!」
例外属性“母”は発動していない。最早仮初の子供とさえ思うことが出来ない。
ふらついて、頭部中の至る穴から血を流し続けるクオリアに、ルートは抱きしめる事も寄り添う事もしない。
委縮したまま、手で払うことしか出来ない。
代わりに。
一人の少女が回り込む。
「クオリア君」
ロベリアは――ありのままの体で、クオリアを受け止める。
その胸の真ん中に、血塗れのクオリアの頭を埋める。
泣きながら、力なく膝立ちになったクオリアの後頭部へ手を回して、抱きしめる。
「いいんだよ。もういいんだよ。そこまでして、君の脳がしっちゃかめっちゃになってまで、頑張る必要なんて無いんだよ」
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