第318話 人工知能、逆に交換条件を突きつけられる

 顔を布で覆う修道服の少女。 

 そしてその少女を先導する、猫耳のメイド服を纏った少女。

 ローカルホストという街に同化し、移動する二つの影。


マスは高所から、その背中二つを見下ろす。


「しかし、フィール一人ならば別荘である医院で一網打尽に出来たはずなのだがな……あのアイナなる娘も、戦闘力自体は無かった筈だが。見誤ったか」


 侮蔑の意は、そこにはない。

 高く感心しつつも、一方で彼女達の動きを看破する。


「行く先はラック侯爵本邸……敢えてランサム様もいる屋敷へ行こうというのか」


 リスクはあるが、行動としては悪くない。

 当然ながら会談の警備は厳重だ。マスも流石にそこまでは“雑談”で入り込めていない。その警備の中まで逃げ込まれたら捕えるのが難しくなる。


「こちらも手札を切らないといかんな」

「――ローカルホストの為に。サーバー領の教えの為に。ラック侯爵に退いてもらうために」


 マスの背後では、先程まで純粋にローカルホストを守ることを人生としていた熟練の騎士が、胡乱な眼差しで同じ方向を見つめていた。


「あんたが気づかせてくれた。我々が今、身命を賭してやるべきことを」

(流石にベテランの彼らと“雑談”するのは時間がかかったが……やはり練度は大切だ。、特にな)


 マスの“雑談”は、今隣に並んでいるように年齢を重ねた人物相手だと完了に時間がかかる。先程のような資源開発機構エヴァンジェリストを始めとして、他人や自堕落に身も心も依存しがちな若者の方が“雑談”に嵌めやすい。

 だが、マスならば多少信念を持っていようとも、

 “雑談”で、


「あの獣人の娘、厄介だな。殺しておくか?」

「いや、殺すな。あの娘も生きた状態で捕える」


 迷わずマスが答える。


「あのアイナが“要注意人物”クオリアの弱点であることは知っている。寧ろこの状況は最大限に利用するべきだ。最優先はラックの弱点であるフィールだが、クオリアの弱点も握っておけば盤石だ」

「了解した。あんたの意見は最大限尊重するよ。爺さん」


 洗脳とは違う。騎士達は“雑談”によって唆されたとはいえ、自発的に動いていると自覚している。

 その自覚を操るのは、マスの専売特許な訳だが。


 騎士達がアイナとフィールの追跡を開始すると、マスは一人“会談”の方を見つめる。


「さて、そろそろ“情報”は行き届いたか? 部分、ここが重要な訳だが。ラックはどう動くか……そしてクオリアはどう動くか」


 特に表情一つ変えず、マスもアイナとフィールを捕えるための行動を開始する。

 その為にまず、高所から何でもない事の様に、飛び降りた。


「“ウッドホース”の野望を食い止めたあの少年が、果たしてどの様に立ち振る舞うかは正直興味の尽きない所だな」


 マス。

 25

 “雑談”という人の心を“目覚め”させてしまう話術も、“裏”の経験に根差すものである。



         ■            ■


「ラック様……フィール様が」


 切羽詰まった顔付きで会談中にも関わらず報告と、クオリアの耳孔内でコネクトデバイスが鳴ったのは同時だった。

 同じく通信を聞いていたスピリトも不快を露わにしていたが、隣で亀裂が走ったような蒼白な形相をしていたクオリアに比べれば、まだ自分を保っていたのかもしれない。


「フィールと……あ、アイナが、生命活動において危険な状態に陥っている」

「ランサム、貴様!」


 ラックが立ち上がり、微笑を浮かべるランサムへ指差し苛烈に責め立てる。


「何をした……! 私の娘に一体何をした……!」

「それが人の子供を人質にしている人間の台詞か?」


 歯軋りがクオリア側の席から聞こえる。


「そもそも、フィール嬢を狙っているのはお前達ローカルホストの人間なのだろう? 人のせいにするなよ。領主としての器も大したことが無いな」

「待て。何故貴様がそれを知っている。我々の街の人間によるものだと何故知っている? 今私に来た報告は聞こえていない筈だ」

「さあ? そんな気がしただけだ。当たったか?」

「貴様の差し金か……」

「何の事だ?」


 あくまで白々しく白を切るランサム。対してラックはで土気色染みた焦燥を顔に漂わせた。


「教皇の力を悪用し、例外属性“母”を悪用し、我が領民を手駒にしたのか」

「おいおい、教皇がその御力を行使できないことはラック、お前が証明しているではないか」

「何だと?」

「お前達はローカルホストの入り口で我々に何をした?」

「それは……」


 ラックが講じた例外属性“母”、抱擁信仰イニシャリズム対策。ローカルホストの人間をルートの支配下に置かれないように、馬車や屋敷までの道から人々を避難させていた。

 領民を想ったが故の対策が、逆手に取られてルートとランサムのアリバイ証明になってしまった。


「しかし、我ら“正統派”ならば止められるかもしれんな」

「教皇の御力を使ってか」

「さあな。だが今お前の娘に降りかかっている災い。それを我々ならば止められるかもしれんな」


 ランサムの眼が、確かに証明している。

 この状況を創り出したのは、やはりランサム達だ。

 やはり“正統派”が何かを仕掛けたのだ。それは例外属性“母”による洗脳ではないにしても、領民の心を自在に操るような手品を振りまいたのだ。


 その手品の正体は分からない。

 分からないが、今確信できることは――ランサムの掌の上で転がされ始めたという事だ。


「さあ、会談の続きをしようではないか。今度は我々“正統派”側が要望を言う番だな」

「要望だと?」

「そうだ」


 まるでこれまでの話し合いを白紙に戻す様に、羊皮紙を何も書かれていない裏面へとひっくり返した。


「無条件でハルトを連れてこい。それだけでいい」

「……」

「すると、もしかしたらお前の娘は助かるかもしれんな……」

「ランサム……!」

「さて。先程ラック、お前は何と言ったか。その心は、晴天におわすユビキタス様に捧げている、だったか?」


 試している。ラックで遊び始めている。

 自身の息子の命が人質に取られている状況にもかかわらず、ランサムは笑っていた。


「貫くのだよな? 天秤にかけるまでも無く、娘よりもユビキタス様を優先するんだよな?」

「貴様……!」

「私だったら、迷わずそうする。この世界に、ユビキタス様に変えられるものなど無い」


 今にも崩れ落ちそうな、神を呪いかねない苦悶の表情を浮かべるラックよりも、更に氷に閉じ込められた表情をしていた元人工知能がいた。

 アイナが、フィールと一緒に逃げている。

 即ち、アイナも狙われている。


「どうしたの? そんな母親とはぐれてしまったような可愛い顔をして」


 砂で出来た城をつつく様に、そっと優しい声が真正面から及んできた。

 それをトリガーにクオリアは無言で立ち上がる。

 居ても立っても居られない。

 

 また。

 アイナが。

 アイナが。

 血の中へ。

 もう帰ってこれない世界へ。


「まさかこの会談を放棄する気?」


 呆れたような声で、ルートが口にした。


「クオリア君。構わない。君はアイナさんと、出来れば……娘も頼む」

「そううまくいくか?」


 ラックの助け船も、ランサムが断ち切る。

 

「ローカルホストはかなりの広さだ。ラックの別荘である医院もそれなりに遠くにあったな。君が間に合えばいいのだが」


 よし、とランサムが手を叩く。

 ルートと一度アイコンタクトを取った上で、悪魔の取引をクオリアに突き付ける。

 演算回路を冷たく押しつぶすノイズに見舞われ、呼吸さえままならないクオリアへと囁く。


、君の大事な人が助かるように計らうとしよう。勿論人間、獣人の区別はこの際つけん」

「駄目だよ! クオリア君!」


 ロベリアが立ち上がり、クオリアへ叫ぶ。


 ランサムの提案が嘘か誠か以前に。

 ランサムもクオリアの視力無力化が嘘であると見抜いている、という以前に。



 

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