第317話 猫耳少女、逃げない
「とりあえず狙われているのはそこの修道女。それは間違いなさそうだな」
腕組をするウォーターフォールの助けを借りて、病室の床でアイナとフィールが状況の整理をする。ただし思考の半分は、廊下の物音に耳を澄ませて神経を尖らせている。
僅かな足音がする度、鳥肌が逆立つ。
静寂だけが、安堵の証だった。
「あの……ここに来たって言う教皇の例外属性“母”ではない……んですよね」
「うん。あれは例外属性“母”、
恐る恐る聞いたアイナの疑惑を、フィールが確信を持って答える。
「例外属性“母”の力に当てられた人は、皆口々に教皇の事しか考えられなくなる。でも、さっきの人達は皆そうじゃなかった。
「だが教皇が関わってなくてもよ、現に暴走はしてんだろ。今のタイミングで、そこの修道女が狙われる理由は一つ。会談で“正統派”側が、ラック侯爵に対して有利に立ち回れるように人質にする……ってんなら、やっぱ暴徒を手足にしている“
ウォーターフォールの発言に、首を横に振る者はいなかった。
バラバラの目的にも関わらず、フィールを何故か捕えようとしている人間で溢れかえっているのは事実だ。
アイナでも簡単に導き出せる。
ラック侯爵の娘であるフィールを、ランサム公爵の息子であるハルトと人質交換させる気かもしれない。
だが、そうだとすれば。
つまり敵は晴天教会のツートップという事になる。
ただのメイドであるアイナに立ち向かえる筈もない。
そして使徒とはいえ、基本ただの修道女であるフィールが逃げ切れる筈もない。
「で、どうするよ」
俯いたまま、ウォーターフォールに判断を促される。
「その修道女を引き渡せば、お前は安全圏だぞ」
隣で、フィールの息が逆流して止まる。肌が泡立ち、顔から色が失せ始める。
「晴天教会の人間が、
「サーバー領の教えは、そんなものじゃ……」
「俺達にとっちゃ同じだ。同じ現人神を信仰している時点で。そんなものより、まだ金の方が人を救えて、美味しいものでお腹一杯にできるって信じられる。獣人も人間も、平等に。だから俺は、
ここで見捨てられる恐怖よりも、あくまで現人神を馬鹿にされたくないという信条の方がフィールの中では勝っていた。だがそれすらも分かったうえで、ウォーターフォールは、彼女が抱える神を否定する。
その二人の間で、アイナは立つ。
「心配ありがとう。ウォータ君」
動揺と同居した力強い微笑が、ウォーターフォールに向けられる。
「でもごめん。それはしたくない」
「会談の為か?」
アイナは首を縦に振る。
「でも、それだけじゃないと思う」
脱力するような溜息が、ウォーターフォールから聞こえた。
「兄貴に似たな。そういう所」
「うん。お兄ちゃんには叶わないけど……それにウォータ君だって、こうして結局フィールさんも助けたじゃない」
「そのフィールって女を守らないと、アジャイルって先輩が起きた時、色々言われそうなんでな」
「ウォータ君も昔と変わらないね。素直じゃない所」
アイナが肩を竦めていると、廊下から浸透する物音が激しくなり始めていた。
少女二人を手で制しつつ、扉越しに様子を見たウォーターフォールが、悪状況を示す舌打ちをする。
「虱潰しに部屋を探し始めた。ここが見つかるのも時間の問題だ」
一方、窓の外側に目を向ける。会談の噂で戦々恐々としてはいるが、誰かを血眼になって探しているようなそぶりは見えない。
「仮にフィールをつけ狙う“敵”がいるとして、明らかにこの医院に手先を集めてる。早くここから逃げた方がいい」
自分のベッドから、棒状のものを取り出しアイナに投げ渡す。
「とりあえず、これ持ってけ。護身用だ」
受け取ると、怪訝な目で少女二人がその棒を見つめる。
持ち手らしき部分は何となくわかるが、問題はその先端だ。刃が欠けた皮むき器にも見えるが、用途が分からない。
「魔導器“スタンガン”だ」
「“魔導器”!?」
“魔導器”という単語に、実在したのかと言わんばかりに驚嘆する。
後は、直接その“魔導器”を相手取ったことがあるクオリアから聞いたくらいだ。
しかし彼が過去に相手にしたものは、違法に作られたものばかりだと聞く。
「まだ公式認可が下りた物じゃねえが、もうそんな事言ってる場合でもないだろ」
「ちょっと待って。でもどうやって使えば……」
「とりあえず適当に魔力を充てながらチューニングしろ。一から十まで説明してる時間はねえ」
『ライトニング』
「適当って魔力って……うわっ」
バチバチィ! と先端で迸った稲光に思わずアイナが飛び退く。今のが聞こえたか? とウォーターフォールが再度廊下に意識を向けるが、特に動きに変化はないようだ。
無意識に魔力が“スタンガン”へと流れてしまったらしい。取り扱いには相当要注意の代物だ。ここは説明してほしかった。
廊下に人が多くなってきた。あの中の誰が“敵”なのかは分からない。
無策で飛び出しては、思わぬ不意打ちに見舞われることは間違いない。
「合図でお前らは、ここを出ろ」
「ウォータ君は!?」
「あいつらの視線を引き付けるために、ここに残る。蒼天党の時、よくやってたろ」
少女二人の眼差しに、髪の毛を掻く。
「今更俺も死ぬ気はねえよ。それにこんなの、俺が知ってる蒼天党が滅ぼされた三年前と比べたら屁でも無い」
「……分かった」
渋々アイナも頷き、出ていこうとしたところでフィールも声を掛ける。
「あの、ありがとう」
「勘違いすんなよ。俺は昔の友人が困ってたから助けるだけだ。あとは先輩へ恩を売っときたいだけだ」
「……でも祈らせてもらうね。どうかあなたに、現人神ユビキタス様のご加護があられますように」
「どうも。あんたにも加護ってのがあるといいな」
あ、忘れてた、とウォーターフォールがアイナの方へと向く。
「アイナ、お前の所のクオリアとエスって奴に、言っといてくれ。うちの先輩助けてくれてありがとうってな」
「いや、それは言わないよ」
死なないで。
そう念を押す様に、どこまでも揺るがないような眼差しでアイナが返した。
「今度二人と会わせるから、その時ウォータ君の口からちゃんと言って」
「妙なところが律義なのも、変わんねえな……」
一呼吸置くと、ウォーターフォールが先に病室から飛び出す。
雑踏目掛けて大きな声を出す。“敵”かそうでないかの区別なんてしない。
「あっちにフィールを見つけたぞ!」
どよめきの直後、一様に人々が駆けてくる。アイナ達の出口から遠ざかるようにして、ウォーターフォールの指差した方向へと突き進んでいく。
彼らの背が見えなくなった当たりで、アイコンタクトのみで合図を放つ。
(また置いてかれたか)
と、頭に言葉を作るが、直ぐに掻き消された。
メイド服の背中を見送ると、置いて行かれている気が全くしていなかった。
変わらない。
幾つになっても、あんな格好をしても、“美味しい”を届けに行くのだろう。
蒼天党で一緒だった頃、空腹だった自分を見かねて料理を作ってくれたあの頃と――。
「
「ちっ」
だが、視線を完全に引き付けることはできなかったようだ。
あの暴走させてしまった魔術人形“2.0”と変わらない青年二人が、アイナ達が消えた方向へと一目散に向かっていく。
「ったく。早速実践かよ。責任の取り方っての」
立ちはだかるが、目前のウォーターフォールが肝心の
足を怪我している状態でも、抱き着いて一瞬時間を稼ぐ事ならできそうだ。勿論その後、二人掛かりでタコ殴りに合うだろう。それだけの覚悟を決めて、ウォーターフォールも前へ踏み出した時だった。
青年二人の体中に、ナイフが突き刺さった。
「ぐはっ……」
血塗れで倒れる青年を二人を後目に、一人の少女が歩いてきた。
ウォーターフォールは知っている。“魔術人形が暴走した例”――即ち
「感謝の弁は一応述べておくべきか。
「余計な自己紹介は不要なようじゃが一応言うておく。マリーゴールドじゃ」
老人口調の魔術人形とは思えないくらいに雄弁な少女は、青年二人を再起不能にしたナイフをウォーターフォールに向ける。
「じゃが助けたのはお主の為ではない。お前ら
“
だが、ローカルホストに来ていた
その疑念がウォーターフォールの中で、静かに回り始めた。
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