第316話 猫耳少女、逃げる

「……!!」


 フィールには抵抗するだけの十分な力も残されていない。片方の男に口を塞がれながら羽交い絞めにされ、更にもう片方の男に足を担がれ、もはや何をすることもできない。


資源開発機構エヴァンジェリストの意志を継ぐために……あんたには犠牲になってもらう!」

「な、なんの、事……」


血走った眼を見ながら、しかし為されるがままに運ばれかけた時だった。


 火の玉が飛んできた。


「魔術!?」


 と青年が一驚する。

 だが放物線を描き、微風に揺れるカーテンの直ぐ傍に転がった焔の正体に、全員がすぐに勘付く。

 魔術ではない。丸まった服らしき布が、ただ橙色に燃えているだけだ。


「煙が……!?」


 手品の正体よりも、舞い上がる煤に目が行く。量こそ多くないものの、見る見るうちに充満していき、窓の外へも広がっていく。

 誰がこんなことを。

 青年達は心底苛立った様子で、廊下へと目を向ける。


 丁度アイナが、今まさに叫ぼうとしていた所だった。  


!!」


 直後、甲高い声で叫んでいるアイナ以外にも、疎らながら人が集まり始めていた。しかも逃走経路だった庭にも、黒煙を見て人が駆け付けている。

 青年達の凶行が露見していた。


「く、くそっ……!」


 諦めた青年達が逃げていく。

 それと入れ違うようにして入ったアイナが、部屋に置いてあったピッチャーや花瓶ごと炎へ投げ込む。粉砕した陶器から飛び出した冷水や土は、燻りかけた炎を鎮火させるには十分だった。

 黒焦げになった自分のカーディガンを見ることも無く、アイナがフィールに駆け寄る。


「大丈夫ですか!? なんともないですか!?」

「え、ええ……ありがとう……」


 群がり始めた数人の修道女や騎士達も、事の次第を理解したらしい。フィールが連れ去られそうになった事を、皆口々に呟き始めていた。

 

「それにしてもどうやって火をつけたの? 火属性の魔術なんて使えたの?」

「いえ、魔術はからっきしなので……在り物で何とかしました」

「あ、在り物で火を……?」

「はい。幼少時代、外で寝泊まりしてて、とにかく火をつけて暖を取らないと凍え死んじゃうこともあったので……」

「にしても何でここまで……」


 もう着ることのできないカーディガンを見つめ、フィールが問う。だがアイナはまるで日常茶飯事の様に、慣れた口調で返す。


「助けてって叫ぶよりも、火事って事実を聞いた方が人は来てくれるので……人が集まれば、あの人達も諦めると思って」


 事実、人は集まった。廊下にも、庭にも集まった。フィールを捕えようとしていた青年二人の撃退に成功した。

 『これ、昔私を助ける時に、お兄ちゃんが使ってくれた手なんですけどね』と言いかけた所で、針に突き刺されたような神経の暴走が胸に走る。

 晴天教会を現す修道服を纏った少女に、晴天教会に断頭された兄の話をするだけでも抵抗が走る。

 否――神経に電流を迸らせたのは、左胸ポケットに入れているフィールの太陽のペンダントかもしれない。返すタイミングを完全に逸した。早く返したい。

 だが今は、どう見積もってもそれどころではない。


「それにしても、さっきの人たちは一体……」

「分からない。資源開発機構エヴァンジェリストがどうこうって言ってたけど……」


 未だに自分が狙われている理由に思い当たらずにいると、二名の騎士がフィールの元へ駆けつける。


「何かは知りませんが、”正統派”の奴らが何か仕掛けてきたのかもしれません。今は特に何があってもおかしくない時です。フィール様、こちらへ。別室にて、護衛を強化してお守り致します」


 渋々頷いて、騎士二人に先導されていく修道女の背中を見て、アイナは思い返す。確かにアイナも資源開発機構エヴァンジェリスト云々と、青年が言っていたのを聞いていた。

 資源開発機構エヴァンジェリストは晴天教会と相容れない間柄だった筈だ。故に、今ローカルホストに来ている教皇達が何かできるとも思えない。仮に何かしていたとしても、クオリアから事前に聞いていた例外属性“母”による洗脳とは、何か違うような気もしている。

 

 そう思考しながらも、何気なく角の向こう側に消えたフィールを見送ろうと、離れへと繋がる庭道を覗いた時だった。


「えっ」


 アイナは見た。

 

 思わぬ血飛沫に、無傷なフィールが思わず腰を抜かしていたのを。

 

 血に塗れた刃を、今度はフィールに突き付けて騎士が口にする。


「この街の未来の為、着いてきて下され。フィール殿。悪いようにはしません」


 背筋に冷たいものが走ったのは、アイナも同じだった。

 しかし、今動けるのは自分だけ。近くに別の騎士はいない。

 かといって、憎き晴天教会の修道女を、そして身を挺してローカルホストを守った修道女を、アイナは見捨てることが出来ない、


 こんな時。

 リーベなら、どうした?


 と、アイナが目を向けたのは庭を構成する砂だった。


「うっ……!?」


 返り血に塗れた騎士は、今度はアイナが投げた砂を目に浴びる。怯んで距離を取った騎士を横切り、フィールの手を取って一気に走り抜ける。


「一体どうなってるんですか!? さっきから……!」


 壁に隠れて騎士が来ないことを確認しながら、呼吸を整えるアイナ。その後ろでフィールも『分からない』と苦々しく顔を歪める。


「でも、明らかに私、狙われてる……!」

「とにかく、クオリア様に伝えないと……」

「あっ」


 今度は先に気付いたのはフィールだった。漏れた声でアイナも気づく。

 遂先程逃げたと思っていた青年二人組が、こっちに来ている!


「さっきの二人組……!」

資源開発機構エヴァンジェリストの意志を、根絶やしにしてたまるか! この世界の為に、あのラック侯爵を引きずり下ろすためにも、あんたが必要なんだ!」

「こっち!」


 コネクトデバイスを発動する余裕も無く、フィールの手を引いて再び逃走劇が始める。


「はぁ、はぁ……」


 しかし、満身創痍の身体に鞭打っているフィールの足取りは重い。そもそも昨日まで血反吐を巻き散らして死にかけていた少女なのだ。例外属性“恵”による治療がどこまで進んだかは分からないが、フィールの病状が更に悪化する可能性だってある。

 ずっと逃げ続けることは得策ではない。

 どうしよう、と迷っていると、駆けてくる自分達に驚いた給仕が見えた。もうここまでくるとその給仕も疑わしく見えてくる。


 だがアイナが着目したのは、給仕が運んでいるワゴンだった。


(油……!)


 ワゴンの上にあった油入りの容器を手に取るや否や、後ろにぶちまける。

 その液面に青年達の足が重なり、滑ったのは直後の事だった。


「う、うわっ!?」


 見事に後頭部を打ち、起き上がる気配がない。青年達のノックダウンを見て安心したのも束の間、前から歩いてくる修道女を見てブレーキを掛ける。


「……ナイフ!」


 ナイフだけではない。その修道女は明らかに敵意を持った赤い瞳を、フィールとアイナへ向けてきている。穏やかな様子は一切見られない。


「フィールさん……我らが晴天教会の未来の為、あなたには捕まってもらう……!」

「あの子、仲間の修道女なのに……!」


 一緒に孤児を助けてきたのに、と暗雲の様にフィールの面様が曇っていく。

 そんな同じ釜の飯を食ってきた修道女が何故ナイフを振り上げながら迫ってきているのか、その疑問を解消する事も無くアイナは再びフィールを引っ張って駆ける。

 


        ■           ■


 修道女が追いかけた先はT字路の廊下だった。

 その真ん中で、病人服で脚を引きずっている獣人が佇んでいた。


「フィールさんはどっちに行ったの!?」


 大の男でも後退る形相で修道女が尋ねると、心底面倒くさそうに獣人が左の方向を指す。


「ああ、何か血相抱えてに行ったが」


 修道女は礼を言うことも無く、獣人が指差した左側へと駆け抜けていった。

 後ろ姿が見えなくなると、獣人は逆の右側へと進み、二番目の部屋の扉を開く。

 その獣人が――ウォーターフォールが先程まで眠っていた病室だった。


 部屋の中心で、アイナとフィールが息を切らして座り込んでいた。


「とりあえずは撒いたが……何でお前が追われてんだ」

「ウォータ君……!」

「久しぶり……とか言ってる暇はねえな、これは」


 現、元人工知能の侍女、アイナ。

 現、資源開発機構エヴァンジェリスト、ウォーターフォール。


 ただ獣人の少年少女達が身を寄せ合っていた頃の蒼天党メンバーは、その頃も日常茶飯事だったトラブルの中で再会する。

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