第313話 人工知能、教皇と初対面する

「なんですの? この街、本当に人が住んでますの!?」


 怪訝そうに発した教皇の言葉が、同行していた従者マスと枢機卿ランサムにしか響いていないのは自明だった。目視まで出来るようになった街並みには、一切の人間影が見えない。

 教皇に相応しい、神聖な装飾が施された馬車を一目見ようと窓から飛び出す顔があってもいい筈なのに、とっくの昔に人間だけが滅びたような様相を呈している。

 気味が悪そうに眉をしかめるルートの隣で、ランサムは顎を摩りながら冷静に状況を見極める。


「どうやら早速ラックが仕掛けてきたようですな……教皇の“御力”を恐れ、市民を馬車の経路から避難させたようです」

「……教皇の意味を相当履き違えているようですわね」


 教皇を見物せんと近づいた先から、ルートの例外属性“母”の餌食にして、手駒とする事も考えていた。だが徹底して姿を隠されては、“抱擁信仰イニシャリズム”も効果を発揮できない。

 大掛かりな“対策”を見て、しかしランサムは表情を変えない。


「まあ、あのラックならこれくらいはやるでしょう。卑しくも強かで、大胆な男ですから。“正統派”にいた頃も、何かと教皇を蔑ろにしていましたし」


 車輪が回っていくにつれ、ようやく人影が見えた。十人にも満たないが、ランサムもルートも殆ど見覚えがある人間ばかりだった。

 横に秩序立って広がる聖衣の集団。 

 一番前で、そして中心で、ラックが待ち構えていた。


「お待ちしておりました。教皇。簡素な出迎えとなってしまった事、御許し頂きたく存じます。代わりに、滞在中は何一つ不自由させませんし、教皇に一指も触れる気はございません」


 ラックの常套句を耳にしながらも、ルートは“出迎え”の集団にあって、聖衣を纏っていない三人を発見した。

 内二人は、何も籠らぬ瞳でルートを見つめていた。ルートは視線のぶつけ合いを放棄し、自然な動きで視線を逸らす。

 ルート。

 そしてロベリアとスピリト。

 一応、姉妹である。これでも。


 憎き妹より、ルートの眼を引いた存在があった。

 ロベリアとスピリトの間に、佇んでいた少年。


 その少年の眼の動きが、心底侮蔑を禁じ得ないヴィルジンに似ていた。

 あの盲目の、ヴィルジンの様に。


?」


            ■      ■


「肯定。現在、“原因、不明の、病、に、より、目が、見えてい、ない”」

「……あのさ。もうちょっとこう、うまく話せないの?」


 世界で一番嘘だとわかる、ぎこちない発音の仕方だった。

 スピリトが小声で指摘するまでも無く、その場にいた誰もが確信した。現在クオリアは、途方もない隠し事を抱えている。


 だがあまりに突拍子もない嘘ではあるものの、“目が見えていない”という自体は嘘ではない。

 

 ただし病気なんて都合の良いものではない。

 ここに来る直前、5Dプリントで一切の視界をシャットアウトするコンタクトレンズを嵌めた。病気なんかより更に都合の良いオーバーテクノロジーだ。

 結果、“見ただけで強制終了”のルートの美貌を、クオリアは一切見ていない。


 そのメカニズムのメの字も理解していないものの、ひとまず目が見えていないらしい事だけが分かったルートは、少し拍子抜けした様子と見下した態度を同居させてクオリアへ迫る。


「そうですか。病とは。それは災難ですねぇ。あなたがクオリアかしら」

「肯定」


 “病”とは信じていない。だが敢えて話に乗っているような、虚偽の値が読み取れた。

 それでも聴覚、触覚、嗅覚のセンサーさえあれば。

 視覚で検知可能な量以上の情報を把握するのには事足りる。

 

「話には聞いていますわ。私の免罪符を撃った事。異端審問を滅茶苦茶にしてくれた事。そして、キルプロを殺害せしめた事。これだけの罪を犯しておきながら、寧ろ光が奪われた病とやらで済んだことを光栄に思いなさい」

「ディードスが提示した免罪符の事を指しているのならば、あなたがディードスの不正を援助した事が誤っている。スイッチでのフィールに対する不利益な行為を指しているのであれば、フィールの“美味しい”が消失しかけた事が誤っている。……エラー、“出産”については、その過程に着いてもラーニングされていない部分が多い。しかしあなたの年齢から計算した場合、そのような行為は不可能であることは判断できる。あなたは総じて誤っている」

「いや出産って……そこ……?」


 完全に警戒モードに入っていたスピリトが、隣で力を一瞬抜かす。

 最後の話は母親は母親でも“義理の母親”というだけの話だが、まだクオリアはそこまでラーニングしていない。あまり人前で話すべきではない内容どうすれば子供が作れるかが含まれていた事についても、“その辺り”が児童の如く純粋なクオリアは気付いていない。


「最近少年を一人拾ったって聞いたけど、まさかこのような邪智蒙昧な子供そのものだったとは……いや、別段驚いている訳では無いのよ。ロベリアとスピリト。妾の腹から落ちたドブネズミには、確かにお似合いの盲人ね」


 一方ルートは失笑し、改めて姉妹を見下す。その視線の先に、乾いた目線で見返すロベリアが腕組をしていた。


「変わらないね。その自分が世界の中心にいるような、上から目線は。そうやって、何でも思い通りにしてきた訳だよね。“半年前”もそう。ルート、あんたはそうやって特等席から、人の大事なモノをいつだって奪いにかかる。人の自我も、尊厳も、そして生命も」

「慣れ慣れしく姉上とか呼ばないでもらえるかしら。最早貴方達とは形式上すらも姉ではないの」

「これは私なりの線引き。今この場は、動物同士が原始的に喰い合う荒野じゃない。自我と理性と知性と、そして心を持った人間同士が話し合う空間だから、礼儀で自分の襟を正してるだけ」


 ヴィルジンと相対した時は、常にロベリアの瞳は溶岩の如く焦げ切っていた。

 一方ルートと対峙した今は、正にロベリアの瞳は氷塊の如く霜が張っている。

 

 もしこの場が正式なものではなく、排除が許される荒野だったら、出会って早々刃を突き立てていたかもしれない。


 代わりに、宣戦布告をロベリアは突き付ける。

 誰でも竦むような、真っ黒に乾いた瞳のまま。


「けど。この会談の末に、もう呼ぶ必要がなくなったら“姉上”なんて呼んでやるもんか。その時は、私の唯一の妹であるスピリトをドブネズミ呼ばわりした事、私の弟同然のクオリア君を邪智蒙昧だとか馬鹿にした事、そして半年前、私の親友も巻き込まれた半年前の一件、それらを限りなく多くの人間の前で詫びさせてやる。あんたの尊厳を悪魔に売り渡してもらってでも」

「ロベリア嬢。王族の血を盾に、教皇に随分な口を利くではないか」


 割り込んできたのはランサムだった。


「努々忘れるな。そもそも君と教皇とでは、立っている場所が違う」

「脅威を認識――」


 ランサムの戦闘能力は非常に高い。そもそもハルトのキルプロの父親であるならば、テルステル家ならば、例外属性“焚”をふんだんに盛り込んだ“使徒”である可能性が極めて高い。

 こと戦闘になれば、一切の油断が出来ない。

 あらゆるリスクを頭蓋の中で演算し、最適解を算出し、フォトンウェポンを出そうとした瞬間だった。


 そのクオリアよりも早く。

 スピリトが腰の剣に手をやりながら、ランサムの前に立ちはだかった。


「私は知ってる。ルートがどれだけ怖いのか。そしてランサム枢機卿。あんたがどれだけ強いのか。だからお姉ちゃんにこれ以上近づくな」

「ほう。どちらかと言えば、スピリト嬢の方が私としては話がしやすそうだな」


 面白いと言わんばかりに、悦が入った反応をランサムが示す。スピリトと鏡写しになるように、腰の剣へ強調するように手を添える。


「それも当然か。


 “聖剣聖”。

 その言葉を認識して、クオリアの演算が一瞬制止する。

 聖が二つ並ぶ剣士の称号。それを有しているのは、スピリトの筈なのに――。


「説明を要請する。ランサムも、“聖剣聖”なのか。“聖剣聖”とは一体何か」


 答えないランサムに代わり、スピリトが苦そうな口ぶりで曖昧に補足する。


「正直、私にもよくわからない。“聖剣聖”なんて、あの王国剣術大会で優勝したら、周りから勝手につけられた二つ名だから」

「ほう。それは屈辱だ。本来“聖剣聖”は、斯様な剣術大会等という娯楽の懸賞ではない筈だ……それをヴィルジンめ……兎にも角にもユビキタス様の教えを、そこまで聖地たる王都から排除しようという魂胆か」

「“聖剣聖”の扱いについては私もヴィルジンに意見したいところだが、今貴様の目前にいるのは私だ。ランサム」


 ラックがクオリアとスピリトの前に立ち、ランサムと正対する。


「腰の剣を捨てろ。ランサム。ここから先は、帯剣を許さん」

「ほう。教皇を守るのが役目の俺に、旧とはいえ“聖剣聖”の俺に、剣を捨てろと?」

「教皇を守る役目は我らサーバー側とて同じ。教皇にはただ神の代理人として、この会談を見届けてもらいたいだけだ。指先一つとて教皇に触れないのは、先刻言った通り保証する」

「ラック。お前は昔から変わらず臆病だ。よく考えてもみろ。剣があった所で、俺一人でお前ら三人を仕留めることが出来ると思うか?」


 お前ら三人――ラック、スピリト、そしてクオリアを順番に見て、両肩を竦めた。


「俺も、ユビキタス様の血を継いだとはいえ、賜った力は限られている。かのヴィルジンと渡り合った智将ラック侯爵、“現”聖剣聖スピリト嬢、そしてクオリアを相手に、剣一つで立ち回れるとは思っていないさ」

「それでもだ。捨てろ」


 妥協を許さぬラックの物言いに、呆れた様子でランサムは剣を放り投げた。

 随分と軽く捨てるその様に疑念を抱くクオリアとスピリトの前で、サーバー領の兵士達が馬車に群がる。


「馬車の中も改めさせてもらう。教皇、枢機卿、そして従者であるマス殿に継ぐ“四人目”がいたり、“改宗”用の魔石が転がっていたりしては会談どころではなくなるからな」

「好きにしろ」


 更にこの後、“お浄めの沐浴”というクオリアには理解できない儀式建前を通して、ランサム達の身体検査実施する事になっている。

 ラックの用意は周到だ。会談における不意打ちの要素リスクを全て洗い流している。クオリアから見ても、これ以上の最適解は存在しない。


「……状況分析」


 しかし。

 何かを見落としている気がする。

 それに気付けぬくらいには、まだクオリアのラーニングは仕上がっていない。


 ただ、その違和感は――共に着いてくるランサムの従者、マスにあった事だけは分かっていた。

 だが、知覚できる範囲では、マスが何かを仕込んでいるようには見えない。魔力も特段おかしな点は存在しない。


 ただ、何かが。

 何かが引っかかる。


 ――何故この戦力にならないマスという男を、ランサムは敢えて三人目として連れてきたのだろうか。


「異常はありませんでした」

「分かった。では会談に向かうとする。教皇。こちらまでご足労願います」


 そして一行はラック侯爵の本館たる屋敷へと向かう。

 教皇と枢機卿と、明らかに凡人のマスという従者を連れて、平和的解決の可能性があるかもわからない会談というテーブルに向かう。


           ■        ■



 

 それも、クオリアの知覚可能範囲センサーが感じ取れる領域を弁えた上で、滞りなく会談へ向かう一行の背中を見届けていた。

 


「時間も無い。久々に“仕事”にかかるとするか。我が主の為に」

『ラック侯爵は価値観がやはり古い……昨日の霊脈の中心における事故も、ラック侯爵が霊脈を明け渡したくないと、“資源開発機構エヴァンジェリスト”を殺すための罠だったのだ……間違いない』


 マスの視線が移る。

 近くで、何か不満そうに陰謀論を呟きながら、路地を歩く青年二人組が視界に映る。


(事前情報の通り、“資源開発機構エヴァンジェリスト”に賛同していた若者たちか…………丁度良い)

「もし。そこの若いの」


 そのマスの姿は。

 傍から見れば、何も害のない老人に見えていただろう。


「ほんの少し、この老人とをしないか」


            ■        ■


 “”の後、青年二人は心ここに在らずといった表情で、人形の様な機械的な足取りで歩いていた。


「……このローカルホストを……俺たちが守るんだ……“資源開発機構エヴァンジェリスト”が成せなかった事を……その為に……ラック侯爵を引きずり下ろすためには……――」


 そして彼らの前には。

 

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