第307話 人工知能、半年前の「革命」を知る
今から12時間前の昼――クオリアが
幸い襲撃に際して死者は出なかった。護衛していた門番は“何故か前後の記憶がない”と語っていたために情報は不鮮明だが、結論ハルトは
つまり、
……
「半年前までは、王都は
だがロベリアの口から語られるのは、
半年前の話だ。
「
「……そうだ。愚に愚を重ねた愚かしい行為に手を染めたあの男は、天罰が当たって当然なのだ……っ!?」
格子の向こう側からの、ハルトの喧噪。だがロベリアが静かに睨むだけで、ハルトは恐る恐る後ろへと沈んでいく。
ロベリアの眼差しに、『父を侮辱された』なんてヴィルジンへの家族愛など微塵も混合していない。ただ『話の腰を折るな』という無言の圧だけが解き放たれている。
「ま、信仰心に疎い私には、その是非の程は分かんないけどね。
「エラー。怒りは“買う”に当たらないが、ここでは優先度が低いものとして処理する」
「いや、大事だよ。怒りはたぶん、心の中で最も強い感情だよ。自分が何をしているか分からなくなるくらいに。そして怒りが集まれば、一国が跡形もなく消え失せるのは、“革命”の歴史が証明してる」
「……同意する」
そう小さく呟いたクオリアの視界を、黒いイメージが遮った。
演算回路も、神経も血管も全てを黒く染め上げた怒りを、クオリアは覚えている。
かつてバックドアの上で、その頭蓋が破裂するまで殴り続けた手の感触は、憤怒の炎で黒焦げになったまま取り残された心の冷たさは、今でも忘れようもない。
“怒り”。
それも含めて観察対象の“心”なのに、クオリアはその感情を酷く忌避する。
「……半年前より少し前頃から、例えばアカシア王国の各地方で、枢機卿とか偉い司教とか関係なく、晴天教会の人間が殺され始めた。それが晴天教会の、怒りの発端だった……何でもない教会が燃やされた。真面目に教えを説いていた神父が、拷問の末に教会と一緒に燃やされた。献身な修道女が……凌辱の果てに、裸で吊るされたり……串刺しにされていた」
腕組をしていたロベリアは、狼狽している様子はない。ただ純粋に『そういうことがあった』と観察することに徹して、心の水面下で蠢く嫌な気分を上手く隠していた。
腕を掴む少女の掌に、力がこもり始める。修道女の非業なる末路を口走ったところで、ロベリアの“女”としての部分に痛みが走ったように見えた。
クオリアとしても、その反応は酷く頷ける。
もしロベリアが、アイナが“そんなこと”になったら。想像することだけで、砂煙が演算回路を削る痛みを覚える。
思い出す。
ああ。そうだ。これが、怒りだ。
想像だけで、心を食い散らかしそうだ。それほどに、元人工知能でもコントロールが効かない怪物だ。
「……しかし、そのような行為は、ヴィルジンの行動経歴から逸脱している」
だが、幸いにも演算には余裕がある。クオリアは早速その話の矛盾を見つける。
ヴィルジンが過去、10万人の虐殺を実行したことは知っている。あの暴君は必要ならば、人工知能よりも迅速に、的確に命の選別を成し遂げる冷酷さを持っている。
だが、教会の大火を風物として余韻に浸る暗愚ではない。
だが、拷問の苦痛を傍観して留飲を下げる暗君ではない。
だが、凌辱の瞬間に満足して気分が昂る悪王ではない。
ヴィルジンにしては、いくら何でも短絡的すぎる。
「……実際にヴィルジン派の重鎮が、主導していたという証拠もあったのよ。その中には国王派でカーネル
言い回しから、ロベリアも“いがみ合う父相手とはいえ”、咎無き聖職者達を必要もなく嬲殺しにした、とは本気で思っていないようだ。
「問題はね、ヴィルジンが晴天教会に取り返しのつかない、酷い仕打ちを行った、世間的に思われたこと。それを信じた世界中の晴天教会の人間が、改めてヴィルジンへ怒りを向けた。そして、引き金となる事態が発生した」
「それは何か」
「このハルトが、ヴィルジンの手先に連れ去られ、そして王都で公開処刑されるって話が流れたの」
ロベリアが再度睨む。
格子の中で、舌打ちしながら視線を逸らすハルトを。
「……少なくとも“正統派”の人間とってハルトは、即ち
ついに、話は“半年前の一件”にまで辿り着いた。
ロベリアは指を二つ立てて、概略を説明した。
「規模の晴天教会の信者が、蒼天党の様にヴィルジン派の貴族や騎士団を襲った事。そしてただの第一王女だったルートが王都のど真ん中で教皇への就任を宣言したという事」
「前者の襲撃については、
ロベリアの説明が無くとも、半年前の日付で記録されている“王都における晴天教会の革命”の結果は、クオリアはラーニング済みだ。
王都の上層に聖職者達が集結し、手際よく有力者達を一方的に屠り始めたのだ。
一応は、当時ヴィルジンとカーネルが王都を留守にしていたものの、守衛騎士団の対応自体は悪くなかったとクオリアは評価している。だが“晴天教会の重鎮はそれまで王都に入れない政策をとっていたにも関わらず、何故か王都にいた”晴天教会の枢機卿達が、その革命の指揮を執っていただけに王都の騎士達は劣勢に追い込まれた。
結果、ヴィルジン側の有力者たちはその半分が殺されたという。
それでも数や地の利はヴィルジン達にあり、最終的にはヴィルジンとカーネルの帰還もあり、何とか王都の壊滅までは免れる事ができた。一方で、晴天教会が完全に支配をする区画も出来上がってしまい、王都の各地に晴天教会の重鎮が跋扈する事態になってしまったのだ。
それは即ち、ヴィルジンは酷く力を削がれ、一気に晴天教会との力関係が不安定になったことを意味する――ヴィルジンの完敗とも呼べる結果である。
「説明を要請する。ラヴはその革命の中で、生命活動を停止したのか」
ロベリアは浅く、無言で頷いた。
革命の戦火は無関係な国民にも及んでいる。“正統派”が異端として忌み嫌う獣人だけでなく、無関係な人間さえも戦火は容赦なく食らいつくした。
その中に、ラヴも組み込まれてしまったのだ。
「その時のルートについては、クオリア君はどこまでラーニングしてる?」
「晴天教会の攻撃開始と同時に、ルートは自身が教皇の役割を取得したことを各地に公表したと認識している。だが、多くの矛盾点が存在する。アカシア王国と晴天教会は完全な晴天教会と敵対関係にある。それにも関わらず、アカシア王国第一王女の役割を持つルートが、教皇に就任出来たことは、矛盾している」
「……ルートの母方は、元々晴天教会の教皇を代々輩出してきた凄まじい家系でね。20年以上前、
「力とは、ルートの持つ例外属性“母”の事か」
「知ってたんだ」
「肯定。スイッチにて
「確かに例外属性“母”も、ルートが怪物である理由だよ。だけどルートの“
「それは何か」
「さっき、
「肯定」
罪無き聖職者たちが、燃やされ、拷問され、凌辱され、各地でその遺体まで見世物にされたことを言っているのだろう。晴天教会のフラストレーションが最高潮にまで高まってしまった、ヴィルジンらしくない虐殺の事を言っているのだろう。
「テストに出るからよく聞いて。これ、十中八九ルートの仕業。自作自演って奴」
「……それも矛盾している。ルートは晴天教会の人間だ。しかし不利益な行為を実行したのは、ヴィルジン側の人間と認識している」
「操ったんだよ。例外属性“母”による、
「晴天教会の憎悪を、
「状況理解」
「……怖いのは例外属性“母”だけじゃない。ただ敵を殺すだけの
それは力というよりは、心だろう。
あまりに人でなしが過ぎる、異形の心だろう。
どのように育ったら、そのようなことが出来るのかクオリアには分からなかった。
「……そして、ランサムと協力して、こんな状況も作り出して見せた。いや、ランサムと……ここにいるハルトが協力したって言うべきかな?」
「何のことだ!?」
心臓を揺らされたように、一瞬体が揺れ動いて困惑を示すハルト。明らかに何かを隠している。“
「さっき言ったじゃん。晴天教会の革命が始まる切欠として、
「そうだ。今でも思い出すよ……ヴィルジンは正面から晴天教会を滅ぼす力がないから、卑怯にも大勢で騎士を連れ、しかも僕の寝込みを襲った。これ程に極まった醜さがあるだろうか!? いや無い!! 君の父親は卑怯で出来ている。獣人すら可愛いくらいに穢れた血を継いだ君も!」
「うん。私もそこは同意。
舞台の上にいるかの如く、これ見よがしに両手で悲劇を演出するハルトと対照的に、ロベリアは水を打ったように静かだった。
それでも、クオリアには彼女の瞳の温度が下がっていくのが見えた。“敵”をとことん地獄にまで突き落とさんとする、容赦のない絶対れ殿の双眸に変遷していく。
「でも、騎士をただ差し向けて物量で君を物言わすなんて、それは
「なんだと……!」
「“攫われた”なんていうのは、自作自演だったんだよね。半年前の革命で、王都で君が発見されるまで、王都のどこかに身を隠していただけでしょ」
反論しようとしたハルトが、硬直した。
それだけ格子に顔を擦り付けるロベリアの顔は、“怒り”に満ちていたからだ。
「これでも裏はしっかり取ってるんだよ。半年前、帰ってきた私が真っ先にやったのは、“革命”の正体は――ラヴを殺したのは一体全体何だったのかを、ちゃんと特定する事だったんだから……!」
「う、裏を取っている、だと!?」
「意外と優しい枢機卿もいてね……仲良くなって、酒に酔わせて、ちょっと話を聞いたら、内容物と一緒に全部吐いたよ。君についての
落胆の溜息に続いて、灯として静かに猛る焔のように、ハルトへ宣言する。
「ルートも、ランサムも、そして君も。私は許さない。毎日必死に祈っていた信徒達から、明日と笑顔を奪った君達を。何事もなく王都で過ごしていた人々から、革命のついでに明日と笑顔を奪った君たちを。私の親友の明日と笑顔を奪ったてめーらを」
「……ぼ、僕を、僕を、僕をどうする気だ下賤な生まれの売女があああああ!!!!」
「私は、笑顔を奪う奴らを許さない。再起できないくらいに叩きのめす。明日はそのターニングポイントだ。とりあえず君がここから出ることはないから覚悟しておいて」
――深海すら揺らすようなロベリアの意志を聞きながら、クオリアはほんのわずかに取得していた。それは覚悟を決めたロベリアの背中からではなく、周章狼狽して格子に手を掛けながら塞ぎ込むハルトからの、取得だった。
ほんの僅かすぎて、クオリアも誤差と判断してしまうレベルの代物だった。
それでも――ほんの僅かだけ、笑った。
決して逆転を確信する希望に満ちた笑み等ではなく、まるでロベリアの言う通りに自身の滅びに期待した、乾いた笑みだった。
「……エラー」
と、呟いたのは、その時だけではない。
“気持ちの整理”と“宣言”を終えたロベリアと一緒に、地下室から出た時だった。
また、誤差と確信するレベルで、妙な魔力がハルトから流れてきたのだった。
俯いていたハルトから、そこはかとなく流れてきたのは。
“土砂降りの中、雨曝しになって茫然と少女の躯を眺めていた姿のイメージと共に”、
「これは、誤差と、判断」
と、口にしてロベリアに着いていくしかなかった。
とても魔力と呼べる程に整ったものではない。自然に流れる魔力で、
そもそも、クオリアはスイッチで、『ハルトが
だから、そんなはずがない。
「……ノイズを認識した」
何かを。
何かを――見落としている気がする。
“半年前の革命”。そこから始まった一連の流れについて、ラーニングしなければいけない何かがある気がする。
■ ■
「……俺も同意だよ。王女様」
クオリアが去った独房の中で、
「……?」
だが、その壊れた笑みが凍らざるを得ない事態が発生していた。
定期的に
特に――“ケイ”に関しては、一切の信号を受信できない。
「おい。マリーゴールド、シックス――応答しろ。ケイに何があった?」
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