第298話 人工知能、“死の救済”を阻止する。
子供のころは、雨が好きだった。
中途半端な小雨よりも、大地が沈むくらいの豪雨に打たれて、体を洗うのが好きだった。
遊びで熱くなった体を、冷ましてくれるから。
体の汚れが、全て流れ落ちた気分になるから。
その後に、母が両手のタオルで包み込んでくれるから――。
「……………………………………………………ああ」
子供時代にタイムスリップした気分になってから、数秒か数分か、どれほどの時間が経ったのか、アジャイルには判然としなかった。
まるで全身の血が抜けたようにクリアになった思考が、諭す。
今自分は、仰向けに倒れている、と。
豪雨に満身創痍の体を晒している、と。
左腕が。
どこかに、飛んでいってしまった、と。
「…………今、俺は冷静なんでしょうか」
しかし思ったより痛みは無い。
こんなに血塗れなのに、痛くないなんて事があるのだろうか。
もしかしたら、昼から体に無理をさせ過ぎて、肉体が死に始めているのかもしれない。
「いやまあ、冷静さを失っているからこそ……もう、何が何だか分からなくなってるな……これは」
『ア、ジャイル様!! 成果!! 出ソウデス!!』
反対方向に首を向けると、ずしん、ずしんと紫色の巨人が四足歩行をしていた。
こっちに向かってくる。
「そんな成果を大便みたいに言われても……というか、何が魔導器ですか。全然効いてないじゃないですか……適当な仕事、してくれちゃって……」
ちなみに魔導器“
ゴーストは、かなり苦しんでいた。
だが、顔面から“かつて魔術人形だった頃の”スキル13個の放出を許してしまうくらいには、やっぱり効き目は薄かった。
人体が数十メートル吹き飛び、左腕が吹き飛び、生き残る可能性も吹き飛ぶくらいの衝撃波を出させてしまうくらいには、魔導器“
もうアジャイルには何もできない。
右腕も、神経が通っているかさえ分からない。右腕の魔導器“
「ああ、そうか」
更に挙動がおかしくなったノーフェイスゴーストを見て、死に向かっている感覚を自覚すると、不敵にアジャイルが笑った。
「なんだ。“死は救済”と唱えなくても、意外と怖くないじゃないですか。かあ、さん」
自分でも驚くほど、死に際が穏やかだった。
『進化!! 進化!! 進化進化進化進化成果成果成果成果成果成果!! 成果!! 成果!! ソノ為ノ!! ソノ為ノ!! 排除ォォオォォォヲヲヲヲヲヲォォォォオォ!!』
「……進化を進化を、成果を成果をって言いますけどね……すみません、そういう切った張ったの世界は、好きじゃないんですよ……」
もうすぐそこでノーフェイスゴーストが雄叫びを上げていても、慄く事さえ無い。何だか心地よい。
「でも、世界が豊かになれば、人は正しい事をやっていられる……金が、食料がちゃんと人数分あれば、母さんは死ななかった……俺達はずっと……一緒に居られた、筈なんですよ……」
眠くなってきた視界に、ふとフィールの顔が浮かぶ。
“使徒”になって、命を削って、死にかけていたフィールから得た冷たい体温も、一緒に思い出す。
必死に、それを頭の中で書き換える。
晴天の下、芝生に座って、子供達に囲まれて、幸せそうに晴天経典を読む姿に、塗り替える。
「……フィールさんも……今のままの、貧しい世界じゃ、いつか……フィールさん……」
結局、いつも横顔しか見る事が出来なかった。
彼女の平穏な横顔は、アジャイルがいない世界でしか見る事が出来なかった。
遠くから見守るので、精一杯だった。
『えっ、各地の孤児院にこれだけ寄付をして頂いているって事、フィールさんに伝えてないんですか?』
『ええ。そして伝えないで下さい。私が勝手にやってる事なのに、伝えてしまったらフィールさんとは対等な関係で居られなくなる』
でも、それでよかった。
孤児院への寄付なんて気紛れにやっている事、フィールに聞かれたらかっこ悪い気がしていたし、それにフィールにどんなに嫌われようと、霊脈のエネルギー化は止めるつもりは無かった。
(そうだ……俺は、正しい事をした)
正しい事。
他者と衝突してばかりだったが、それでも間違った事をしてきたつもりはない。
(正しい事……不足ばかりのくだらない世界に、やっと恵みの雨を降らせた事)
別の地方でエネルギー事業に成功した事も。
更に大きな成果を上げて、生活の基盤を整えるエネルギーを世界に循環させようとしてきた事も。
間違っていない。
(正しい事……金を奪いあうしか能のない世界で、金が無くても生きていける仕組み作りに貢献した事)
魔術人形を揃え、道具として扱ってきた事も。
ローカルホストの若者を扇動し、エネルギー化の反対派たるラックにプレッシャーをかけた事も
霊脈の中心へ、強硬調査した事も。
間違っていない。
(正しい事……食料が行き届かない世界から、“いつでも美味しいものが満腹に食べられる世界”に近づけた事)
ある少女に、母親を重ねた事も。
初めて全力で恋した事も。
正しいと信じて、その少女に嫌われた事も。
(正しい事……母さんも、フィールさんも、死なない世界に、少しは出来た事)
間違っていない。
間違っていない。
(……全部、正しいと、いつか歴史も証明する筈だ……)
世界が豊かになるには絶対に必要な事だったし、フィールがフィールらしく生きていくためにも、必要な事だったから。
(まあでも一度だけ……一度だけ……)
しかし、想像してしまう。
“もしも”の世界で、フィールがこちらに笑いかけてくるのを。
フィールと一緒に、子供達に揉みくちゃにされている芝生の上を。
(栄光なんて、いらないから)
しかし、上空が塞がれた。
雨が、突然降らなくなった。
ノーフェイスゴーストのパーツ無き紫の顔面が、雨空を隠したからだ。
顔面から飛び出した掌。
26個。
それらが、13の色に別れて、スキルを同時発動する。
死の救済が、やってくる。
『栄光ヲ、栄光ヲ、栄光ヲ、
そんなものは、いらなかった。
アジャイルが欲しかったものは、そんな眩しい光では無くて。
仄かで、温かな光だったのだから。
(何にも憂いの無い“豊かな世界”で、あなたと肩突き合わせて、孤児院の子供達と戯れていたかった)
『Type SWORD BARRIER MODE』
13の光が世界を呑み込むと同時、二つの影が割って入った。
うち一人は、右手に持っていた銀色の柄を掲げ、傘のように青白い光を展開した。
その
余波の振動を心地よく感じながら、アジャイルは力なく笑う。
「……ああ、クオリア君ですか」
「アジャイルを認識。非常に大きな損傷を確認。至急、“治療”の必要がある」
「はい。左腕の喪失により、生命反応が消失しかけています」
一緒に居た魔術人形のエスが、隣のクオリアから“出力”されたベルトを手に取ると、左腕を圧迫した。今更止血など、焼け石に水の様な気もするが、されるがままでいるしかなかった。
「……時間稼ぎが精一杯でした……ウチの失態で、迷惑かけて、すみませんね」
「誤っている」
クオリアは、ノーフェイスゴーストを見上げながら淡々と言った。
それを聞いて責められるのも止む無しと、アジャイルも眼を閉じた。
ようやく、このまま死ねそうだ。
「……ええ……このリスクは……想定外でした……。対処しきれず、すみません……」
「まず、あなたが“死ぬ”事が、誤っている」
……そこですか。
と、呟く気力さえ無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます