第297話 人工知能、“ゼロデイ帝国”に見られる。

 霊脈の中心たる洞穴内には、実は生き残りがいた。

 これから先の悪運を全て使い切ったのかもしれない、とローカルホスト担当の資源開発機構エヴァンジェリストの副リーダーは、引き笑いが止まらなかった。


「ひ、ひひ、ひひひひ……」

 

 戦場なんて無縁な彼にとって、目前に広がる惨憺たる光景が現実離れしすぎて、頭が認識の拒否を引き起こす程だ。

 先程までの“職場”は見る影もなく、あの紫の巨人が手当たり次第に破壊し尽くしたことによって、転がり落ちてきた洞穴の岩石に埋め尽くされていた。その下から、人間何人分もの血と、どこまでも汚い人間の中身が巻き散らかされていた。

 胸を抉るくらいに、常軌を逸している。

 死体は見たことが無いとは言わないが、ここまで残酷に破裂した肉塊は見た事が無かった。


 副リーダーは、尻餅を着きながら思考を停止した。

 目の前の地獄が、どこかの偉大な画家が遺した絵画のように思えてきた。

 絵の世界からでは届かない対岸で、ノーフェイスゴーストの暴走すらも掻い潜り、今自分は五体満足で生きている。


「生きてる、俺は生きてる。俺はあああ!! 生きてるううう!!」


 そのことが、最高潮の優越感を副リーダーの全身に巡らせた。


「あは、あははぁ………ははははははははは!!」


 暴走した魔術人形の事も言えないくらいに、彼自身もテンションを限界突破して、死体の上を駆け巡った。ぐちゃ、と肉を潰す音がしたが気にならなかった。

 先程まで、副リーダーは本当の本当に死ぬと思っていた。

 触手の群れから必死に逃げ、岩石の雨から必死に逃げ、逃げて、逃げて、逃げて――気付いたら、何も自らを脅かす者がいなくなっていた。


 結果、生きているだけで、楽しくなってしまった。


「アジャイルも……ウォーターフォールも死んでいれば……こんな事件、無かったことになるぅ!!」


 そんな事無いのは冷静になれば分かる筈だが、最早副リーダーを諫める者は誰もいない。

 呻き声すら聞こえない。全員即死で、洞穴の染みに成り果てた。


「あー、今なら何でもできる気がしてきた。ちょっと金借りたくらいで異端審問、異端審問ってうるさかったあの枢機卿も殺せそうだぁ……生きるぞぉ! 生きるぞぉ! 生きるぞ生きるぞ生きるぞ生きるぞ生きるぞ生きるぞ――」

「――ああ、副リーダー」


 世界の色が反転した。心臓が飛び出したかと思った。


「良かった、、生きてたんすね」

「……」


 反射的に顔を向ける。この声は、取り巻きの一人だった“技術責任者”のものだ。魔術人形に細工を施せる唯一の人間で、魔術人形“2.0”がアジャイルを無視する仕様に仕向けたのも、この男を利用して為した事だ。

 ちょっと飴を与えていれば、自分の思い通りに動き、ヨイショしてくれる。腰巾着がいるというのは、正直悪くないと思っていた。


「そ、そんな眼で見ないで下さいよ……! なんで俺のせいにしてるんですか! 俺、あんな風に魔術人形を化物みたいに作り変えられると思います!?」


 だが気の小ささは、一緒に居て腹が立つ。そもそも名前が覚えられなくらいには、顔がパッとしない。


「……」


 そう、この“技術責任者”は顔がパッとしない。

 顔がパッとしない。

 顔が。

 顔が。


「…………………………………………………………いや、待て」


 

 顔があった箇所に、ぽっかりと風穴が開いている。


「そうだ、お前……さっき、死んで、えっ、あっ、あのっ、えっ」


 熱くなっていた頭が、冷めた。

 否、凍った。


 

 触手で、頭部を貫通された筈だ。

 顔面を破壊され、脳が後頭部から噴き出て、間違いなく死んだはずだ。

 死んでなければおかしい。人間でも、獣人でも、魔術人形でさえもあり得ない。


 なのに――


「いやまあ、落ち着いてくださいよ。どうしたんですか。疲れてるんなら飲みましょうや」

「く、くるな」

「おしっこ漏れてますよ。なんだ、そんな事も我慢できない大人だったんですかぁ。幻滅しちゃいましたねぇ」

「くるなああああああああああ!!」


 どんな醜態を晒したところで、もし第三者がいれば許してくれるだろう。

 頭が破裂した肉塊が歩いて来るなんて、絶対に起きてはならない怪談だ。


 にも関わらず、血を断面から時折拭かせながら、口も無い筈なのに声が聞こえる。

 まるで真ん丸に空いた風穴が、新しい口を代替しているかのように、飄々とした口調で話しかけてくる。


 怖い。


「……嘘だって。幻滅なんかしないって。人間って、やっぱり弱く創られてるから。そんな粗相をしちゃうのも止むを得ないんだよなぁ」

「お前……何者だ……何なんだ……」

「えー。知ってるくせに。さっきまで一緒に仕事してたじゃない」

「……知らない、お前みたいな奴は、お前みたいな、頭吹っ飛んでも動く化物は」

「いやいや、あのね。さっきから化物呼ばわりしてるけど、この身体はちゃんと人間ですから。ただちょっと“端末エンドユーザー”化した際に、ちょちょーっと、肉体を弄ってるくらい?」

「“エンド……ユーザー”……?」

「いやー。本当に君達資源開発機構エヴァンジェリストに潜り込んで正解だった。“我々”も、……しかも、魔術人形達が、ノーフェイスゴーストになってくれたし……!」


 多分、このぽっかりと空いた風穴は笑っている。

 顔が無いから分からないけれど、笑っている。

 右手で掲げた“霊脈の最深部で欲しかったもの”――容器の中に入っているが、霊脈が僅かに毀れている。

 もうそれが何なのか、簡単な考察にさえ頭が巡らない。


 血の断面を見せながら、何か笑ってる目前の怪物が、不気味すぎて。


「助、け、て……」

「……さっきまで、沢山人の死喜んでたのに、自分だけは命乞い、ねえ。ウケる」


 後退ろうとした副リーダーの脚を、踏んだ。

 ぎっ、と副リーダーの顔が歪む。顔の無い空洞は、ケラケラケラケラ、と笑い声を立てた。


「ごめんねぇ。この“端末エンドユーザー”、あんまり外国で表沙汰にはしたくないんでねぇ。この“端末エンドユーザー”を、他にもこのローカルホストでやっときたい事、あるし」

「……あ、ああ、ああ……」

「じゃあ一個だけ礼として、自己紹介しましょ、そうしましょ」


 ドーナツの様な風穴が、広がった。

 頭部の拡大と共に、空洞が大きくなっていく。

 

 絶叫を散らす事も、竦んだ脚を動かす事も、垂らし続ける涎を止める事も、今自分は悪夢を見ているという現実逃避を止める事もできないまま、副リーダーの頭を風穴が囲う。

 ギロチンの様に。

 膨張した環は、副リーダーの首を捉えた。




「どうも。“”です。


 空洞が収縮すると同時、副リーダーの首はあっさりと飛んでいった。




「んー、それでそれで? まさかの実験台となってくれたノーフェイスゴーストちゃんはどんな塩梅かなぁ」


 元の大きさに戻った顔面に、“ピエロ”の仮面を括りつけると、端末エンドユーザーはそのまま魔術人形の視界を映す“人工魔石と連動した”水晶を見た。

 ゴーストになっても、ぐにゃりと歪んだ視界ではあったが、ノーフェイスゴーストが見ている景色が水晶に映し出されていた。


「あ、アジャイルだ。これ、死んでる……いや、生きてるかも。いやどっちだ?  やっぱ死んでっかも」


 凄まじい破壊の痕跡が、林道のあちこちに凄まじく残っている。

 その真ん中に、血塗れで倒れているアジャイルが見えた。


 “左腕が、無い”。


「あーあ。ま、いいんだけど……で、もっと暴れてるの見たいから、街の方までいってくれないかしら……ん?」


 ピエロの面がぴく、と震える。

 水晶が、二人分の影を追加で映し出した瞬間、“端末エンドユーザー”はまたケラケラと笑い出した。


 否。

 遠隔地その向こう側にいる存在は、笑った。


「おやおや。なんという事でしょう」


 アジャイルを庇い、クオリアとエスが仁王立ちしている姿を、水晶は真正直に映す。


が、釣れた」

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