第296話 人工知能、“なでなで”をする。

 エスの顔が、ゼロ距離にまで近づいていた。

 夜闇にも関わらず、エスの無表情が良く読み取れた。


「エス。あなたの挙動に異常が生じている」


 異常だらけだった。

 何故か上半身を左右にぶんぶん振っており、かと思えば両腕を無知の様に脱力した状態で上下に振って、かと思えば突然ぴょんぴょん跳び出して、かと思えば突然両手で頬を何度も吊り上げていた。

 しかしエス曰く。


「これは挙動確認です。異常ではありません。お前の観察能力ならば分かる筈です」

「否定する。過去のラーニング内容と異なる挙動をしており、またノーフェイスゴーストの影響から脱したばかりの状態である点を考慮すると、あなたにまだ、異常があると推測してしまう。不要な行動の停止を要請する」

「要請は受諾されました」


 元人工知能に何もかもを求めすぎな少女は、疑わしき行動を停止した。

 しかしクオリアは直ぐに、エスが“うずうず”している事に気付く。

 せっかく自由になった疑似肉体ゴーレムを、存分に動かしたいのかもしれない。外見年齢通り、外で遊び足りないのかもしれない。


「ノーフェイスゴーストを無力化したら、あなたの要求に応える」


 エスが無表情ながらに、雨夜の灯火となるくらいに晴れた顔で見上げた。


「みんなと一緒に、色んなものを食べたいです。チョコバナナ、チョコバナナが気に入りました!」

「あなたはこのローカルホストに入ってから既に5本食事している。“飽き”と呼ばれる状態にはなっていないのか」

「お前は誤っています。既に8本食べています。まだ、飽きていません」


 時々エスは、元人工知能の演算を以てしても計り知れない。

 返答の演算に詰まりながらも、クオリアはまるで霊脈を見た時の様に、なんだか落ち着いてくる。


 そうだ。

 これが、エスだ。


「ありがとうございます。この“なでなで”は、とても評価出来ます」


 そう思ったら、クオリアは“なでなで”していた。


「はい。先程から、“クワイエット”の魔力が常時、私の人工魔石の中に入り込んでいます。それが、ノーフェイスゴーストの魔力を妨害しています」


 エスの左手で、魔石が鼓動する様に、何度も輝いている。

 まるでリーベが“向こうの世界”から舞い戻って、魔石“クワイエット”に宿ったかのように。


 ノーフェイスゴーストが圏内にいるにも関わらず、エスは再び暴走する事も、無理矢理体を動かされる事も無くなった。もう顔面のパーツが消失する事も、緑の人工魔石が黒に侵食される事も、“怖い”に支配される事も無い。


 魔石“クワイエット”の魔石共鳴リハウリングの光が、エスの人工魔石に入り込んで、干渉しようとする黒い魔力を“真赤な嘘ステルス”で妨害しているのだ。

 つまりエスを、守っていた。

 エスを救えたのは、“彼”とエスが戦った物語があったからこそだ。

 クオリアにも、しかと伝わっていた。


「しかし、あなたの人工魔石に対するダメージは、完全には回復していないと認識。今日時点では、スキルの使用に制限を加える事を要――」


 と口にすると、エスが突然クオリアに抱き着いてきた。

 倒れ込むように、寄りかかってきた。


「エス」


 クオリアの胸にくっついた額。

 腰に回された、エスの腕。

 それが震えていたのは、この雨で体が冷えたからではない。


「クオリア。しかし、私はまだ、“怖い”です」


 “人工魔石に対するダメージは、まだ回復しきっていない”。

 そのダメージは、二つに分けられる。

 一つは、破壊され、狂わされた人工魔石“ガイア”の魔力構造。これは少なくとも数時間は自然治癒を要するだろう。先程から元気な様に見えて、節目に疲弊している値が見受けられたのはこのせいだ。

 もう一つは、“怖い”。心に対する、ダメージだった。


 『いつか魔術人形は、全てがノーフェイスゴーストのような化物になる』。

 『即ち、エスにも怪物になる素養がある』。

 『人の手から離れて成長して、脅威になる可能性がある』。


 しっかりエスの認識に焼き付いて離れない、突拍子もない概念。

 自分の、あり得るかもしれない未来。

 それに怯えて、震えていた。


 気のせい、と割り切らせる事も、人によっては出来るかもしれない。

 そんなことは無いと、一刀両断した方が良かったのかもしれない。

 最適解は分からない。


 しかしクオリアはどちらも選ばなかった。

 抱き着かせたまま、後頭部を“なでなで”した。


 ノーフェイスゴーストの討伐はこの後直ぐにやる必要があるが、今はまだエスの“心”を見守った方がいい。そうクオリアが、優しく判断した時だった。


「う……あ……」


 クオリアとエスが茂みから呻き声を検知したのは、その時だった。

 向かってみると、獣人がうつぶせで倒れていた。

 過去の認識記録から検索する事、僅か0.1秒。朝、霊脈の中心で魔術人形に無茶な指示を出した獣人の少年と重なった。


資源開発機構エヴァンジェリストのウォーターフォールと認識」

「お前……クオリア……」

「あなたの左脚に重度の損傷が見られる」


 ウォーターフォールの左脚に、かなり広範囲に抉られた傷跡があった。このまま出血させていると命が危ない。そう判断したクオリアは5Dプリントを起動し、ウォーターフォールの左脚を圧迫するベルトを生成した。

 エスも同じ意見だったようで、ベルトが出来るや否や、すぐさまウォーターフォールの出血部分より少し上に結ぶ。


 それを見て、ウォーターフォールが血の気の引いた顔で、エスを見た。


「お前……今度は俺を助けるのかよ……」


 止血の様子を見守るエスと、やっと座り込むことが出来たウォーターフォールが一度会っている事はクオリアも知っている。ケイを救出しようとしたエスを、ウォーターフォールが腕時計型の魔導器で無力化しようとした事も、認識している。

 半日前までは、敵対さえしていたのに。

 そう言いたげなウォーターフォールは、額に手をやって譫言の様に呟く。


「本気で、分からねえよ……お前らの事。ゴーストになったり、自分で意志を持ったり……魔術人形って、一体、なんなんだ」

「私も、良く分からなく、なりました。“怖い”です」


 エスはようやく立ち上がった。

 僅かに溢れていた震えが、ぴた、と止まった。

 エスが、“怖い”に打ち勝ち、止めたのだ。 


「でも、それは私が見つけるべき事です。私は、私の役割を、私の意味を、私の要求を、定義し続けます。“私”を、知りたいです。だから、この“怖い”を、私は克服します」

「“3号機”」


 “3号機”と呼ばれる情報までは、クオリアは認識していない。しかしエスはそれが何を意味するか、分かっている様子だった。


「3号機に、チョコバナナを渡していたら、お前みたいになっていたの、か」

「それは、分かりません。ですが、“美味しい”は、取得するべきだと思います」

「……やっぱり、分からねえ……」


 木に背を預けるウォーターフォールに、クオリアは尋ねた。


「説明を要請する。あなたはノーフェイスゴーストに攻撃されたのか」

「ああ。俺とアジャイルさん以外……副リーダーは知らんが……全滅だ」


 脚の状態は酷いにも関わらず、ウォーターフォールはガバっと立ち上がると、そのままクオリアとエスの方向に倒れてきた。

 クオリアが支えると、耳元に必死な願いが木霊する。


「頼む……アジャイルさんを助けてくれ……」

「説明を要請する。アジャイルが現在、どのような状態なのか」

「アジャイルさんは……一人で……俺を置いて……責任を取るって……あの、化物を……止めに……!」


 ウォーターフォールの視線の先には、巨人がいた。

 丁度、顔面から噴き出した虹の様な光で、大規模な爆発を引き起こした所だった。


「状況、分析……」


 ここでクオリアはようやく、『何故ノーフェイスゴーストが、足止めされていたのか』を理解した。

 もし、ノーフェイスゴーストが“足止め”も無く近づいていたら、干渉が強まり、エスは救えなかったかもしれない。

 その恐怖を思い出しながら、出力した。


「仮説。アジャイルが、あのノーフェイスゴーストを止めている」

「クオリア。私は、アジャイルに助けられた、という結果になります」

「……肯定」


 

 アジャイルに当然、そんな意図は無いだろう。 “責任”というものを取りたいだけだろう。

 彼が、魔術人形を道具としてしか見ていないのは、クオリアも知るところなのだから。


 それでも、クオリアもエスも、そんな男を見捨てる様には作られていない。

 何より一度、フィールを救っている。


「守衛騎士団“ハローワールド”はこれより、当初の目的であるノーフェイスゴーストの排除を実施する。アジャイルを救出する」

「はい。私も賛同します」



       ■           ■

 

 飛んでいく二人を見て、また置いて行かれたと思った。

 だがそんな衝撃は、すぐにウォーターフォールの中から消え去った。


「……あれは」


 痛みのせいだろうか。

 霊脈のせいだろうか。

 ウォーターフォールには、三人分の背中を見た気がした。


 クオリアと。

 エスと。

 あと、誰?


「リーベ?」 

『大丈夫だ。待ってろ』


 ……三年前。

 蒼天党の崩壊の日、聞きたくても聞けなかった言葉を。

 あの日、ずっと親友に言ってもらいたかった言葉を。

やっと、耳にした気がした。


 ウォーターフォールはこの後、後続の騎士達に発見され、保護された。


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