第291話 人工知能、置いて行かない。

『ウォータ君? ウォータ君』


 雨で増水した川の激流に揉まれながら、記憶の彼方から聞こえる。

 懐かしい少女の声が、懐かしい自らの仇名を呼んでいる。

 もう戻ることは出来ない、少年蒼天党時代の走馬灯だ。


『お腹空いてるよね……? ずっと食べてないから……これ』


 同じ蒼天党に、アイナという少女がいた。リーベという親友の妹で、いつも自分達の後ろを、猫のように着いてくる少女だった。

 けれど、いつも仲間のお腹を満たす事を考え、時に無茶をしてしまうような少女で、色んな意味で放っておけなかった。


 その少女が、手作りのパンを渡してきた。

 ウォーターフォールは、そっと手で払いのけた。

 

『俺はいい……他の奴らに分け与えてくれ』

『でも……』

『いつ食料が尽きるか分からねえんだ。だったら、耐えられる奴は我慢した方がいい』


 しかしパンは、ウォーターフォールの目線に突きつけられたままだった。

 ムッとした顔で、アイナが促す。


『食べてください』

『……』


 根負けして、パンを手に取ってしまった。

 口の中に、優しい何かが広がった。

 空腹という調味料だけでは、ここまで温かい味は出せない。


『……“美味しい”』

『……えへへ』


 褒められた時のアイナは、いつも同じ反応だ。しおらしく頬を染めながら俯き、猫耳をピンと立てる。


『みんなが、これを毎日食べられる世界ならいいのにな』

『私も、そう思う……』


 残飯の寄せ集めだったとしても、アイナが真心こめて作る料理は、いつも美味しかった。

 あの“美味しい”を味わっている時だけ、生まれてきてよかったと思う事が出来た。


 こんな食事が、毎日出来たら。

 ウォーターフォールは、極貧の中でいつしかそんな風に思う様になっていた。

 しかし苦境にあった微かな幸せさえ、世界は無慈悲に奪っていく。


『頭を冷やせリーベ!! 盗む先くらい考えろよ!!』

『そんな事を言っている場合じゃないんだウォータ!!』


 走馬灯は、リーベとの最後の会話を映し出していた。

 生まれた時から一緒だった幼馴染を相手に、怒鳴り声で殴り合う。


『いいかリーベ、俺達がやるべき事は、この街から離れる事だ! あの枢機卿クソヤロウが支配するこの街じゃ、もう俺達獣人に生きていく道はない! 難癖付けられて趣味の拷問で廃人にされて、そのまま異端審問で死に様すら見世物にされる!』

『その逃げる為の食料が無いんだろ!? いずれにしても、安全な街に着く前に蒼天党は全員飢え死にだ! ウォータ、お前も……そしてアイナも……!』


 結局口論に決着はつかず、喧嘩別れとなった。

 その後、蒼天党が住処としているスラム街にて、今にも死にそうな仲間が目に映った。人間が捨てたゴミから掘り出した食料で何とか工夫し、仲間の口元へ食事を運ぶアイナの後ろ姿を見て、居たたまれなくなった。

 それから暫くして、事態は急変した。


『大変だ!! リーベが一人で枢機卿の家に盗みに行きやがった! 助けようとアイナまで行っちまったみたいだ!』

『なんだと……!?』


 悲報を耳にするや否や、ウォーターフォールもその枢機卿の屋敷に飛び込もうとするが、仲間達が数人がかりで圧し掛かってきた。


『やめろウォーターフォール!!』

『離せ!! 離せよ!!』

『もうあの二人は助からない!!』

『あの二人は俺達蒼天党を助けようとしてこんな無茶したってのに!! 見殺しにしろってのか!!』


 直後、騎士達の歩く音が猫耳に届いた。

 その方向を見ると、抜かれた刃が冷たく光っていた。


『おい見ろ! 進攻騎士団だ……遂に俺達、蒼天党を殺しにきやがった!!』

『ち、くしょおおおおおおおおおおお!!』


 それからの事は、よく覚えていない。

 自分だけがどうして生き延びてしまったのかも、覚えていない。

 当時の仲間だった蒼天党のメンバーは軒並み殺され、結局枢機卿の屋敷に向かったリーベとアイナも死亡した事を聞いて、たった一人、生き延びてしまった結果だけが残った。


 気付けば生きていく為に、盗みを働き続けた。

 しかしそれでは、いつかまた進攻騎士に狙われるだろうという考えから、気付けば金の盗み方だけでなく、稼ぎ方も心得た。

 紛争地帯に囲われ、食べる物も無く飢え始めた小さな街へ、大量の金と引き換えに食料を届けるという一仕事を終えた時だった。


 最初は、王国の人間が引導を渡しに来たと思った。

 しかしその諦めは、すぐに誤っていたと悟る。

 騎士に囲まれた、スーツを着用した青年はウォーターフォールを讃えだしたのだ。

 

『面白い仕事をしていますね』

『別に。金と食料を交換しただけの事だ』

『いいえ、センスがいい。あの街には無駄な金はあったが、必要な食料が無かった。その本質を見抜いた君は、皆が幸せになる面白い仕事をしたのです』

『……たまたまだ』

『ところで、君は何を目指しているのでしょうか?』

『何も目指してはいない。ただ、明日食うもんに困りたくないだけだ。悪いか』

『いいえ。金を稼ぐことは、悪い事ではありませんから』

『ただ――』

『ただ?』

『――“いつでも美味しいものが満腹に食べられる世界”になったらいいとは、思う。そんな世界だったら、俺の仲間は死ななかったから』

『……ならば、その世界に至るヒントを、私は知っているかもしれません』

『ヒント?』

『世界全体を豊かにする。そんな仕組み作りの一角を担うお仕事です。君の探している世界の作り方、その参考にはなるかと』

『……あんたは?』

夜明起しアカシアバレー資源開発機構エヴァンジェリスト、アジャイルと申します。君をスカウトしに来ました。その慧眼を、世界を豊かにするために使ってみなさい』


 アイナが実は生存していて、リーベは自分の知らない蒼天党のトップとして世界に反旗を翻していると知ったのは、その後だった――。



       ■         ■


「ぶっ!! はっ、はっ、はっ、はっ……」


 霊脈の中心から外に続いていた川の激流に溺れ、一瞬意識を失いかけた。

 だが幸運にも川岸にアジャイル諸共辿り着けた為、少し咽たくらいで事なきを得た。


「……ぐっ、あっ」


 先程ノーフェイスゴーストに、触手で脚を削られていた。激痛が再度ウォーターフォールを襲う。

 何とか立ち上がるのが精一杯で、満足に歩く事さえ出来ない。


「互いに……酷くボロボロですね。折角のスーツがお釈迦ですよ」

「ああ。あの時、あんたに着いてくるんじゃなかったよ」

「なんですか? 私と会った時の走馬灯でも見てましたか? 照れるじゃないですか」

「……もっと昔の事も、思い出しちまったよ」


 こんな時に軽口を叩き合えてしまうアジャイルも回復した様だが、やはり立つと足元がふらついている。木に手を着いて、ようやく落ち着けると言った感じだ。


「ウォーターフォール君。見なさい、あれを」

「……ゴースト」


 霊脈の中心たる洞穴は丘の上にあるが、自分達はそれなりに下方まで流されてしまったようだ。

 その洞穴の入口を見上げると、元は13体の魔術人形であった筈の紫色の巨人が見えた。


 実はクオリアが一度荷電粒子ビームで倒した後の、再構築された姿であることは知らない。

 二人の視界に映っているのは、奇声を発しながら、巨大な赤子が四つん這いで街に向かっているという事実のみである


「私達には気付いていないようですが……このままだと、街に行きますね」

「街に行ったら、どうなるんすかね?」

「間違いなく、大量の死者が出るでしょう」

「そうっすよね」


 ウォーターフォールも簡単に想像できていた事だが、何となく聞きたくなった。

確認を終えると、左腕に巻き付いていた腕時計型の魔導器“害虫時計デバッカー”をアジャイルに掲げた。


「なあアジャイルさん。害虫時計これ、使えないか?」

「……可能性はありますね。確かゴーストは、結局のところ魔力の塊だった筈です。相手が魔石か魔力か。その違い程度なら、確かに“害虫時計デバッカー”は有効かもしれません」


 しかし、あくまで可能性の話。

 有効ではない可能性だってあるのだ。

 有効だったとしても、程度の問題が残る。消滅する程の効き目の可能性もあれば、ちょっと動きを封じて時間稼ぎが出来るくらいの頼りない効き目だけかもしれない。


 所詮、“害虫時計デバッカー”は護身用。

 そしてこれを身に着けているのは、戦闘経験豊富な騎士ではなく、戦闘経験ゼロの事業家。

 あのゴーストの直前に飛び出したところで、触手に巻かれて死ぬ公算の方が高いのだ。


「やるしかねえか」


 それを理解した上で、ウォーターフォールは足を引きずり始めた。

 元は魔術人形“2.0”の怪物を、止めるために。


「ウォーターフォール」

「もう株主の期待仕事の範囲外とか言ってられねえよ。俺のせいで、街が一個滅びそうなんだぜ」

「確かにそうですが」

「あと、あの街にはタイミングの悪い事に昔の知り合いがいる。俺は会ってねえけど。今更会って、アイナあの子の世界を壊す気にもなれねえけど」

 

 バチ、と背中から音がした。

 振り返ると、いつの間にか密着したアジャイルの手に、魔導器“スタンガン”が握られていた。


「ががががががが、がががががががががががががが!!」


 ずぶ濡れの体を、高電圧の魔術が焼いていく。一切体を動かす事さえ叶わないまま、数秒間の拷問の末、ウォーターフォールは雨でぬかるむ土に塗れた。


(“スタン、ガン”……いつの間に、俺のポケットから……がっ……!)

「……流石は“開発局”製……互い濡れていても、こちらまで漏電で痺れる、なんて欠陥仕様はありませんでしたか」


 何とか首だけ上に向けると、力なく笑うアジャイルがスタンガンを捨て、こちらに手を伸ばしてきていた。


「ウォーターフォール君。役割を弁えなさい。この資源開発機構エヴァンジェリストのリーダーは私ですよ。

「アジャイルさん……何を……」

「かってに俺のせいにしないでください。の、せいです」


 ウォーターフォールの左手を掴むと、“害虫時計デバッカー”を外し、自らの右手に装着した。

 これでアジャイルは、“害虫時計デバッカー”を両手に装着した形となる。


「あのノーフェイスゴースト暴走品を止められる可能性は、少しでも高めておきたいもので。失敬」

「待て……まさか、アンタ」

「……先回り出来るくらいになら、回復したみたいです。運動は苦手なんですが、意外と私の体も頑丈だったって事ですかねぇ」


 小さく笑ってはいるが、いつもの営業スマイルではない。真剣な顔つきに戻っている。


 アジャイルは

 資源開発機構エヴァンジェリストが所有する魔術人形のせいで街が滅ぶ、そんな目も当てられないシナリオを回避する為に、自ら体を張るつもりだ。


 命を、ここで落とす事になろうとも。

 仕事を、最後まで果たす気だ。

  

「覚えてますか。ウォーターフォール君。私と君が、初めて会った時の事を」


 ネクタイを解き、ベストを脱いでその場に捨てた。

 少しでも身軽になる気だ。


「君は確実に、あの街を豊かした。自分だけでなく、周りのお腹を満たそうとした君のやり方を見て、私は君をスカウトしたんです……怒りっぽいのが玉に瑕ですが、今でも私の眼に狂いは無かったと思ってますよ。“いつでも美味しいものが満腹に食べられる世界”。少しは、この仕事がヒントになったなら光栄です」

「待て、待て……!」


 ウォーターフォールが手を伸ばすが、遠くなっていくアジャイルの背中には届かない。ノーフェイスゴーストが進撃するであろう地点に、満身創痍の足取りで向かっていく先輩恩人は、もう止まることは無い。

 死という闇へ、自ら突き進んでいった。

 また、ウォーターフォールの目の前で、暗闇に消えていった。


 


「どいつもこいつも……俺を……置いていくな……!!」


 その背中に、闇の中へ突き進んでいく獣人の兄妹を重ねた。

 あるいは、“3号機”という魔術人形の少女を重ねた。


 いつも、置いて行かれてばかりだ。


「俺を……置いて……ちく、しょおお……ちくしょおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ……!!」


 雨に掻き消され、なけなしの叫びも、もう誰にも届かない。



        ■          ■



 一方その頃、クオリアはエスの中に入ったハッキングした


「13の脅威ウィルスを検知。これがエスに異常を発生させている。これより除外する」

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