第289話 人工知能、魔術人形の怯えを見る
例えばケイが神妙な面持ちで入った部屋のベッドも、まだ使える。
ただ、魔術人形にベッドは必要ない。睡眠は、魔術人形の機能に含まれていないからだ。
「これケイ、“れでぃー”の着替え中に部屋に入るとは何事じゃ」
しかしその部屋で、丁度服を着ていたマリーゴールドはベッドに座り込んでいた。
先程まで、そのベッドにマリーゴールドは横たわっていた。“トリニティ”の発動により、彼女の“不具合”が進行した為に、一時的にベッドを使用せざるを得なかったのだ。
その修復の為に、一度彼女は服を脱ぐ必要があった。
「“不具合”は大丈夫なんか?」
特に“れでぃーの着替え中”に反応する事も無く、ケイは自身の首を忙しなく触りながら、小さく訊いた。
「ああ。
「そうか、悪かった」
短い言葉だが、ケイなりの罪悪感が込められている。マリーゴールドもそれを理解しながら、「フン」と鼻を鳴らした上で返す。
「その悪かったを言う為に、乙女の半裸を見るなどと言う罪を重ねおったのか」
「じゃあ、それも悪かった」
「……後者はともかく、前者は相手が違うわ。儂は正直、お主の行動にスカッとした面もあるからの。あまりお主に喧しく言う資格は無いんじゃ。けど、
「マリーゴールドに賛同する」
部屋の隅でずっと腕組をしていたシックスが、ケイを非難する。
「ケイ。私達のここでの役割は、
「……もし、また同じような行動をしたら?」
「あなたを危険分子と見なし、排除する」
「……お前が、一番魔術人形らしいわ」
若干の挑発にもシックスは反応せず、役割は済んだとばかりに部屋から退出する。クオリアを
その疑問符を読み取ったマリーゴールドが、ケイに声を掛ける。
「シックスだって分かっておるわ。同じ魔術人形が、あんな風に弄繰り回されて、平気でおられる奴は少なくともここにはおらん」
「……そうか」
ケイも部屋から出ようとした時、手を突っ込んでいたポケットから何かがはみ出た。
「待てケイ、何か落としたぞ」
床に転がった物をマリーゴールドに指摘され、ケイもそれを拾う。
“当たり”と書かれた、串だった。
「ああ、これは……」
「それ、あれじゃろ!? このローカルホストで買えるという、恋愛成就の、二串刺さっとるチョコバナナ!」
「……なんや、それ」
呆れるケイとは裏腹に、マリーゴールドが非常にキラキラしながら訊いてきた。体調はまだ万全ではないにも関わらず、かつ着替えも終わっておらず、黒い下着姿のままで身を乗り出してくるほどに興味を示してきている。
「お主、それ誰と食べたんじゃ?」
「エス」
「おお! エスか。ほー、魔術人形同士の恋愛か……」
「そんな感情を抱くのはお前だけや」
「それは違うぞ。お主だって、自覚してないだけで恋愛感情を抱いておるのかもしれん」
「大体、買ってきたのはエスだ。ワイはそんな事、今の今まで知らなかった」
「……で、味はどうじゃった? 儂、
「……まあ、美味しかったで」
そこで、エスには確か“不味かった”と答えた事を思い出した。しかし今更そんな矛盾はどうでもよく、適当に話を続ける。
「エスは……“美味しい”がどうとか。変な方向に自我を確立していたで。誰かと一緒に食べないと、美味しくないとも、意味不明な事を言うとったな」
「いや、儂はエスに賛同するぞ。好きな人と一緒に食べる物ほど、極上の物はないからの!」
「お前の言っている事と、エスの言っている事、多分食い違ってるで」
「そうかもしれん。ただ、やっぱりエスも“好き”って感情が根底にあって、“美味しい”という概念を創り出したんじゃろな、と思っておる……エスは、人に恵まれたようじゃな。クオリアもおるしの」
「……だから、エスは“虹の麓”を拒絶しとる」
「……
「お前は“虹の麓”を叶えたいっていうよりは、
「そうじゃ……儂はお前の様に、全ての魔術人形を救う為に戦うとかよりも、つい、
同じ
シックスは、完全に“虹の麓”を叶える事だけを目的として、淡々と動いている。
マリーゴールドは、ただ
ケイにとっては、“虹の麓”は最悪叶わなくてもよいのだ。
世界中で不当に扱われている魔術人形が、道具から生命に昇華出来ればいいのだ。
そんな世界ならば、チョコバナナをエスの前で“美味しい”と言う事だって、出来た。
“3号機”のように、道具に成り果てた魔術人形を破壊しなくて済んだ。
その目的の差が、ケイを単独行動へ導いてしまった。
「まあ、こんな物を食べている暇はない……後で捨てたるわ」
“当たり”と書かれた串を後で捨てるつもりで、ポケットに入れた。
直後、ケイが部屋を出ようとした際に、マリーゴールドから心配そうな声がかかった。
「あまり気に病むでない。お主は馬鹿じゃが、同時に真面目すぎるわ」
「……正直、無理や。今でも夢に出る」
「どんな夢じゃ?」
「ワイが創られた時の事。当時は何かの不具合かと思うたが……見えたんや。掌が」
「掌?」
「スクラップになっていく、他の魔術人形達の掌が、見えたんや……『生まれたかった』って、ワイに縋ってくる感じやった」
「……それは、在り得ない話じゃの……在り得ない話じゃが」
「そうや。在り得ない話や。不具合や」
何か思う所のあるマリーゴールドの話を、ケイが打ち切る。
「ケイ」
「分かっとるわ。“虹の麓”さえ成功すれば、そんな悪夢ともオサラバやって。今は無理すべき時やないって」
ケイは扉を開きながら、不安げな面持ちで見つめてくるマリーゴールドを見返すことなく、ただ迷いを言葉に乗せた。
「分かっとる」
扉閉めるときも、自分に言い聞かせるように繰り返し呟いた。
「分かっとる」
部屋を出て、廊下を歩くケイ。
雨水に濡れた窓ガラスを見ながら、一人、思案に耽る。
「分かっとる、けど……最近は、
「そもそもワイらは、何が切欠で、
切欠を、記憶の風景に照らす。
それは、初めてケイ達魔術人形が、
魔術人形達は、“自我を持つ切欠”を、古代魔石“ドラゴン”を通して与えられた。
決して“2.0”の様に恣意的に強制された訳ではない。自分で考える切欠を与えられ、その上で“虹の麓”について説明され、魔術人形自らの意志で
自我が出来た時、ケイの中にまず起こったのは、魔術人形を道具扱いする世界への恨みだった。
“虹の麓”ならば、その世界を変えられると、ケイも納得した。
だからこそ、ケイは今
「せやけど、あの切欠すらも、
小さな疑問が、雨粒のようにケイの中に滴っていく。
滴って、堆積する。
闇が、膨らんでいく。
『仲間だろ』
だが、その闇に溺れる事が無かった理由もまた、直前の
エスとクオリアに敗北した、数時間前。
“自らがハルトとして潜伏していた”にも関わらず、アドリブ効かせて時間を作り、リスク覚悟でケイを助けに来た背中が、脳裏に焼き付いて離れない。
「ワイらは」
疑念と信頼。
生命と道具。
人工魔石の中で、天秤が揺らいでいる。
「結局のところ、一体“何”なんや」
その自問に応えるように、破壊音が鳴り響いた。
「なんや!? あの爆発の方向……“霊脈の中心”か!?」
雨の中にも関わらず、炎と黒煙が霊脈の中心から舞い上がっていくのが見えた。
雨粒が走る硝子越しに、更なる詳細情報を得ようと凝視する。
辺りの木々が薙ぎ倒される轟音もする。
何かがいる。
その何かに、眼球のフォーカスを合わせる。
「あ」
ケイは、その何かを見つけた。
否、見つけてしまった。
霊脈の中心から向かってくる、紫色に膨れ上がった巨人。その中心に嵌められた、漆黒の人工魔石。
「ああ」
調査しなくとも分かる。分かってしまう。
同じ魔術人形だからこそ、理解してしまった。
「嘘や」
しかしその情報は余りにも残酷で、途方もない衝撃をケイに与えた。
ピシ、とケイの何かにヒビが入る。
平常心で、いられなくなる。
「嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や」
立っている事さえ出来ない。
しゃがみ込むケイの眼は、致命的に揺れていた。
「あれが、ワイらと同じ、魔術人形やなんて」
もう一度見る気さえ起きない。立つ気力さえ起きない。
起きているのに、悪夢を見たから。
だって掌が沢山、こちらに伸びていたから。
「あれが、ワイらなんて」
■ ■
同じ衝撃を、クオリアの隣でエスも受けていた。
「あれは、魔術人形です」
霊脈の中心からローカルホストに向かってくる紫色の巨人を認識した途端、クオリアは“
「エス。あなたの挙動に、深刻な異常が生じている」
「あれは、魔術人形です」
ぎゅ、とクオリアを掴むエスの手が、更に硬くなる。
「あれは、私達と同じ、魔術人形です」
ヒビが入ったのは、ケイだけではなかった。
唇を震わすエスの何かにも、ヒビが入った。
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