第283話 人工知能、父親を知る
夜、フィールの意識が戻った。
それを認識したクオリアは、丁度フィールの寝室の近くにいた為、比較的早くにフィールの様子を窺う事が出来た。
「お前は……お前は自分が何をしたのか、分かっているのか? 使徒化など……あれは命を犠牲にするものなのだぞ……なんでそんな勝手な事を……」
周りのメイドや騎士、果ては医者にまで止められながらも、一方的にラックが前のめりになって叱咤していた。フィールも今はまともにやりあうだけの体力は残されていないのか、ただ声域の低い静かな説教を浴びせられたまま、呼吸を整えていた。
流石にメイドが割って押し入り、ラックを諫める。
「ラック様、それはどうかと……! フィール様はこの街を救ったのですよ!?」
「それは分かっている。それは分かっているが……だが、命を無碍にした事だけは、看過できん……!」
クオリアからは、ラックの背中しか見えていなかった。
だが状況分析するまでも無く、ラックが泣いているのは容易にラーニング出来た。
「……フィール。兎に角、今は休め」
「お父さん……」
「……よかった。何も無くて」
そう言い残し、何か後ろめたい顔のフィールを残して、クオリアの横も通り過ぎてどこかへ行こうとする。
廊下で騎士達が、状況報告や明日の準備についてラックに詰め寄った。
だがラックは手で制すると、
「済まない、10分だけ一人にしてくれ」
とだけ弱弱しく呟き、庭の方まで一人過ぎていった。
■ ■
ラックはまだ雨で濡れた芝生の上、蹲って項垂れていた。
月光は雲に隠れて見えず、室内で慌ただしく揺れ動く灯りだけが、彼を暗闇から救い出していた。
灯りが照らす影が、一つ増えた。
ロールパンを持った、クオリアだった。
「10分が経過したため、あなたの状況を確認する」
「そうか。なんと短い時間だろうな。子供でいられる期間みたいだ」
雨無き曇天の下、漂う虫達の嘶きを耳にしながら、クオリアは手に持っていたロールパンを差し出す。
「あなたは、夕食を取得していないとインプットしている」
「済まない。今は、いい」
「食事は、活動維持の為に必要だ。また、あなたは現在、非常に消耗している。その場合、“美味しい”を取得する事を強く推奨する」
ラックの目前に、ロールパンを差し出し続けるクオリア。
数十秒経過。
ラックが折れ、小麦で出来た楕円を手に取る。
「食べていないと言えば、ロベリア姫とスピリト姫もだろう」
しかし口には運ばず、丁度真上の部屋を見た。
「ロベリア姫とスピリト姫はかれこれ3時間もあの部屋で言い争いを続けてるよ」
クオリアにも入れない、ロベリアとスピリトの話。
互いが互いに言いたいことを、躊躇なく言い続けている。
話が始まって、もう3時間になる。
きっと夕食も忘れる程に、熱中している。
「肯定。あなたとフィールの関係に、近似している」
「そうか?」
「特に、“喧嘩”しているのが、近似している」
「そうだな。俺と娘は、いっつも喧嘩してばっかりだ」
「しかし、あなたとフィールの“喧嘩”も、ロベリアとスピリトの“喧嘩”も、誤っていない。オーバヒートするリスクはあるが、互いの出力すべき内容を、家族だからこそ出力し合える。それは“良い事”として、
一見、“
言いたいことを言えてこそ、“家族”。
それと同時に相手の身を自分事の様に思えてこそ、“家族”。
だからヒートアップするし、オーバーヒートだってする。
この二組の家族の奇妙な
「まるで自分には家族はいなかったみたいな言い方だね」
「
「ああ、記憶を失っていると話には聞いていたが……しかし確か君は、サンドボックスの所の三男だったね」
「肯定。しかし
そう語るクオリアの眼には、別段寂しさは映っていない。
モノクロの表情の中に、猫耳の温かさが宿っている。
「しかし
「成程。確かに今日一日、家や食事の事を手伝ってくれたが、彼女は本当に良い娘だ」
「肯定!」
クオリアの『肯定』がいつもより感情に満ちた事に比例し、ラックの少しやつれた顔にも僅かに笑みが浮かんだ。
「……丁度この場所だったんだ。娘が生まれる前日、俺はずっとこうしてしゃがみ込んでいた」
「説明を要請する。その理由は何か」
「色々心配だったんだ。子を宿すだけでも、母体は非常に負担を強いられるから。特に俺はその前まで、ずっとヴィルジンとの戦争に明け暮れていて、大きくなるお腹に手を当てる事も、
ラックの説明は、酷く鮮明だった。
まるでついこの前あった時の事を語っているかのようだった。
クオリアはじっと、その説明を聞き続ける。
「子供だって、健全に産まれるかも分からない。母胎から上手く出てこないかもしれない。死ぬかもしれない……俺は妻と子供の為に祈った。ユビキタス様に向かって、正直これ以上無いくらいに、これ以上やっても意味が無いくらいに祈った。善行を積むことでしか御加護を賜れないと知っていても、ただ祈るだけの行為に何の意味がないと理解していても、祈らずにはいられなかった。祈ってないと、何かしてないと狂いそうで。だからずっとこの場所で、俺は祈ってた。祈りながら思ってた。明日と明後日が一度に来て、何事も無く妻が娘を抱いている朝が来ればいいのに、って」
誤っている。祈っても何もない。妻の隣にいって、“頑張れ”を言い続ければよい。希望を持ち続ければよい。
そんな最適解を、クオリアは口出しできなかった。
父親という役割は、時と場合によってはあまりに違う次元にいると思い知らされたからだ。
代わりに、ただ興味のままに尋ねる。
「フィールが産まれた日、不利益な事は発生したか」
「何も。何事も無く、俺はずっと妻の肩を叩いて、手を握り続けただけだった。無事で、無事で、無事で、ってずっと考えてたら、気付いたらフィールは取り出されていた。思ったよりも甲高い声の、思ったよりも猿みたいな顔の、思ったより細くて小さい体が、産婆の手にあったよ。妻は今のフィールと同じくらいにぐったりしていたけど、ちゃんと俺の手を握り返してたよ」
不安を拭う様に前髪を掻き分けて、ラックがフィールが休んでいるであろう部屋の方を見る。
「親になるとね。いつまでも覚えてるものなんだよ。一番フィールが小さかった頃の事。間違えて骨を折っちゃうんじゃないかって心配になりながら、最初にだっこした時の事。まだ赤みが残ってて、弱弱しくて触ったら傷付くんじゃないかと恐る恐る、その肌に触れた時の事……そして、気付いたら寝返りが当たり前になって、気付いたら掴まり立ち、掴まり歩きが当たり前になって、気付いたら朝昼夕食べるのが当たり前になって、気付いたら歩くのが当たり前になって――気付いたらもう親の手の届かないところまで行ってしまうんだ。気付いたら、俺よりもユビキタス様を信じて、気付いたら俺にも成れなかった“使徒”にまでなった。“気付いたら”で、俺と娘の間はいっぱいになった」
「それが、あなたとフィールの、家族の関係か」
「そうだ。だから俺は、フィールを叱り続けるしかないんだ……今でも俺の中では、ずっと小さいフィールのままだから。妻の様にある日突然いなくなるのが怖かった。“死は救済”というユビキタス様の御言葉も、半分利かなくなっていた」
俺は娘と違って、宗教者には向いていなかったのかもしれないと、独白を付け加える。
「貧困も戦争も異端審問も、容赦なく子供を殺す」
「あなたは、過去、それをラーニングしたのか」
「そうだ。だから俺はこのサーバー領から、その現実を変え始める事にした。子供が、若者が、大人の目が届かない所でも問題なく生きていける世の中にしているつもりだった」
伏し目がちになったラック。
「している、つもりだったんだがな……」
クオリアはふと、ある集団を思い浮かべた。
アジャイルの後ろに着き、霊脈のエネルギー化に賛同しないラックを批難する、
「
だが、同時に。
クオリアがこの街に入った時の事も、思い出した。
「
クオリアは命一杯、心から言葉を振り絞った。
確かに人工知能として淡々と。しかし人間として凛凛と。
ラックが胸を張れるように、クオリアも胸を張って口にした。
「……そして
「……若いな。君もまだ少年だ」
ラックは、クオリアから受け取ったロールパンを噛み千切り、胃の中に入れる。
「まったく。明日と明後日が同時に来る方法なんて無いんだから、俺に出来るのは“気付いたら”を少しでも無くすくらいか。若者や、君のような少年に負けない様に」
「肯定」
「クオリア君。君はきっと、いい父親になれるはずだ」
「“あり、がとう”」
「後このロールパンを作ったのは誰だ? ウチの者じゃないな」
「そのロールパンはアイナが作成した」
「とても美味しい」
「肯定!」
「絶対にいい母親になれるな」
と言うと、ラックは何かを期待してクオリアを見た訳だが、しかし元人工知能はその機微に気付くことなく、空気を読む事も無く尋ねた。
「説明を要請する。自分の顔に、何か付着しているのか」
「いや……まあ、“候補”もいっぱい居そうだしな。ちなみに一夫多妻制は昔の話だぞ」
「エラー。“一夫多妻制”は登録されていない」
「まあ、子供は知らなくてもいい事もある」
と子供をあしらうように茶を濁しながらも、クオリアと一緒に騎士達の所へ戻っていくラック。
「――先程捕えたハルト枢機卿ですが、地下室に収容しました」
「御苦労」
その二人を最初に待ち受けていたのは、ランサムとの交渉に必要な人質について、ある騎士からの報告だった。
昼の
スピリトが追いかけ、他の騎士も
また爆撃の規模の割には、衛兵や騎士で大事に至った者もいない。
「……数点の疑問点が生じている」
机の上に広げられた状況を示す文書を数秒でラーニングし、矛盾点を次々に出力していく。
まず、『ハルトが
「疑問。何故
「直前で、仲間である
「しかし、現状の消耗度から見て
「……確かにそうだ」
「疑問。ハルトは何故
「こんな話も入ってきてる」
クオリアの考察を見ていたラックも、顎を摩りながら語り出した。
「ハルトを監視していた衛兵達だが、爆発の数十分前の記憶がないそうだ」
「詳細な説明を要請する」
「わからん……だが、催眠系の魔術か、あるいは別の――」
ラックの説明を聞きながらも、クオリアはある仮説を立てていた。
だが、あまりにも脆弱で、矛盾している仮説だ。
そもそも、スピリトやエスがスイッチで、虐げられているハルトと
「仮説を、棄却する」
まさか
その時からだった。
“霊脈の中心”から、途方もない破壊音が連続したのは。
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