第280話 人工知能、『拾う』。
例外属性“恵”。
生い茂った若葉が開いたような緑色。
その暖かさが、アジャイルの右手からフィールの全身へと伝播する。
雨を掻い潜って辺りを彷徨う霊脈が、アジャイルという人の形を為してフィールを救っているかのように。
「回復してる……?」
アイナから見ても、フィールの顔が心なしか安らいでいくように見える。
予断は許さないにしても、僅かばかり死への電車道が食い止められているのは確かだ。
「――状況分析」
「クオリア様!?」
霊脈の如き例外属性“恵”がフィールを癒している最中に、クオリアとエスが到着した。
クオリアが尋ねる前に、すぐさま“状況”をアイナが知らせる。
「さっき、フィールさんが“使徒”になって、それで死にそうになってて……!」
「その情報はインプット済みだ。しかし、フィールが例外属性“恵”を使用可能であることは、予測外だった」
「はい……フィールさんの容態は、例外属性“恵”でしか治せないと……」
「状況理解」
僅かにクオリアの顔が曇る。
エスも魔術人形からは逸脱した表情を見せながら駆け付けようとしたものの、それは最適解ではないとクオリアに遮られる。
二人して、微かな生命活動しか示さないフィールを眺める事しか出来なかった。
クオリアも、エスも、かつてアイナが死にかけた時の事を憶えている。
強烈なチェックポイントとして、その
今回はアジャイルがなけなしの魔力を用いて例外属性“恵”による治癒を行っているとはいえ、雨曝しの中でずぶ濡れになって虫の息となっているフィールを見て、あのトラウマが僅かでも蘇らない方がおかしいのだ。
しかし、今度こそ二人に出来ることは無い。
スイッチの時と同じだ。“薬”を恐怖で出せなかった時と同じだ。
今回は“薬”ですら対抗できない可能性が高い。
かつて人類を滅ぼした超未来の技術は、やはり人間を治すように出来ていない。
あまりに偏ったオーバーテクノロジーの限界を認識していると、ふとクオリアがアジャイルの背中に変化を見る。
「最適解、変更」
「あっ?」
先んじて気付いたクオリア、そして近くにいたアイナがアジャイルに駆け寄る。
ゼロ距離まで近づいた時には、例外属性“恵”を発していた筈のアジャイルが、仰向けに倒れる所だった。
「おっと……」
クオリアとアイナに支えられ、二人に寄りかかる形でアジャイルが雨空を仰ぐ。
「あなたの魔力が、危険な領域まで減少をしている事を認識。また、原因は不明だが、魔力が暴走している兆候も見られる」
「おやおや、クオリア君と言えば敵の全てを丸裸にするとカーネル公爵から聞きましたが、“洗礼”が必要な領域までは理解し得ないと見ましたね……」
アジャイルが何とか立ち上がるが、疲労しきった二つの脚は小鹿のように心許ない。
「大丈夫ですか!?」
「情けない姿を……見せました。申し訳ない。“洗礼”を受けたというだけで、信仰心も魔術もからっきしの落ちこぼれでしてね。金を数えるくらいしか能がないもので――それよりもフィールさんです」
クオリアがフィールを抱きかかえるのを見て、エスが尋ねる。
「フィールは、もう生命活動の問題は無いのでしょうか」
「否定。先程認識した時よりは状態は良好になっているものの、まだ非常に重大なリスクは存在する」
「その通りです……私がやったのは、応急処置ですらない、たまたま包帯持ってた人が巻いただけの行為ですよ」
そのたまたま持っていた包帯を巻いた行為で、アジャイルも死にそうなほど消耗しているのだから、やはり“洗礼”も混じった魔力の世界は深い。かつてクオリアが
「兎に角、彼女を休める場所に。侯爵邸がいいでしょう。ラック侯爵ならば、娘の為に直ぐに専門の医者を用意してくれるでしょうし。治療は、早い方が良い」
「要請を受諾した。至急フィールをラック侯爵邸まで移動させる」
“
「クオリア様、私はこの子供達を孤児院にまで送り届けます……フィールさんから、頼まれましたので」
アイナの周りでは、先程までフィールが抱えていたであろう“孤児院”の子供達がじっと、クオリアを見ていた。
正確には、未だ意識の戻らないフィールを、病床の母でも見る様な心配げな眼で。
「それに、この人も体調が優れないようですから……」
「私の事はお気になさらず。まあ花も恥じらうお嬢さんのような子が送っていただけるならば、それも吝かではありませんが」
アジャイルの甘言も、初対面のアイナから見れば強がりにしか見えない。それくらいにアジャイルも弱っているのもあるが、フィールへ例外属性“恵”を施す彼の顔からは、今のような営業スマイルは微塵も存在しなかったからだ。
「あなたの要請は受諾した。エス、アイナ達の守衛を要請する」
「要請は受諾されました」
ある意味、“
クオリアがフィールを抱えて飛翔し、侯爵邸に向かった矢先。
アイナはふと、足元に目を向ける。
水溜まりの底で沈黙していた、晴天教会の従順な信徒たる証――太陽を衒ったペンダントだった。
(フィールさんが、さっき私の為に捨ててくれたもの……)
あれは、確かにアイナを想っての行動だったのは間違いない。
だが、やはりこのペンダントを見ると、リーベという兄が断頭した瞬間がフラッシュバックしてくる。
見たくも無い。触りたくも無い。
それが、どうしても正直なところだった。
アイナ以外は誰も気づいている様子はない。
ここで放っておく選択肢も出来た。そうすれば、一時的には悲劇の再現から離れる事が出来る、と。
だが、アイナは手を伸ばした。
水溜まりに沈殿する、太陽に向けて。
(……違う。それじゃ駄目なんだ。フィールさんはこのペンダントに懸けて、確かにこの街を守ったんだ……ここにあるのがどんなに口に合わない猛毒だったとしても、全てを焼き焦がす太陽だったとしても、拾わなきゃ嘘だ)
指から皮膚が溶けるような感覚はした。体の中に巣喰う何人かの自分が、アイナが伸ばす掌を留めさせようとする。
しかしアイナは、晴天教会のペンダントを拾う。
きっとフィールが命よりも大事にしている物を、拾う。
ヒーローになんてなれなくても、それくらいの事は出来る。
意識が戻ったらフィールへ届けるために胸ポケットに入れて、未だ戸惑う子供達の所へと赴くのだった。
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