第279話 人工知能、修道少女の危機を察する

 全身から致死量を遥かに超えて、落ちてきた雨男アノニマスは大量に血を噴き出していた。

 にも関わらず、上空百メートルからの落下に耐えて着地をすると、まだ戦えると言わんばかりに、雨天決行レギオンを庇う様にして佇んでいた。

 

 それでも、ぽたぽた、と滴る血からラーニングしてしまう。

 とっくに雨男アノニマスの肉体は、生命という限界を超えている。


「説明を要請する。あなたの肉体ハードウェアは、通常の仕様から逸脱している」

「笑えるだろ? こんな致命傷だらけなのに、終われないなんて」


 きっと狐面の下では、雨男アノニマスは笑っていただろう。

 “美味しい”の欠片も無く、寂しく笑っていただろう。

 

「ところで、さっき落ちてきた時、太陽とは真反対の方向に見えたが、さっき結界貼ったの、使徒化したフィールだ」

「フィールは使徒だったのですね」


 エスが眼を見開いて学習する一方で、クオリアは過去の記憶を呼び起こす。


「状況理解。先程の結界が、使徒としての効果か」


 確かにスイッチで一度、本人から“使徒”である事は聞いている。

 “沈まぬ舟ノアズアーク”。その聖名わがなまではインプットしていた。


 一方、エスは見開いた眼のまま、ある人物に目を向けた。

 項垂れるケイと、彼の隣で未だ倒れたままのマリーゴールド、そして二人をただ見つめる事しか出来ないシックス――かつての同胞たちに、である。


「……言うたはずや、チョコバナナは、不味かったって」

「別の食事を、共に食べる事を提案します」

「ワイは何を食べてもきっと、美味しいとは思わへん」


 当たりと書いてあった串を見ながら、ケイは力なく拒否する。


「……ワイらが縁の下で耐えてるような世界が、変わらない限りは」

「――いずれにしろ、阻止させるわけにはいかねえな」


 エスとケイの間に、雨男アノニマスが割り込む。

 一押しで死んでもおかしくないような雨男アノニマスにも、容赦なくエスが戦闘態勢を取る。後ろでフォトンウェポンが飾られた大地讃頌ドメインツリーは健在だ。先手はいつでも取れる。


 しかし一方で、クオリアは演算していた。


「……状況分析」


 クオリアの中には、ノイズがのたうち回っていた。

 何かを見落としている。何かを演繹し忘れている。何かとんでもない事が水面下で起きている。

 それは、雨男アノニマス焚槍ロンギヌスに立ち向かった際に発した言葉にヒントがあった。


「あなたは先程“いつ、死、んでも、おか、しく、ない、ぜ”と発言した。それは即ち、フィールの事か」

「そうだ。フィール――もう死ぬぜ」

「……!?」


 疾風。

 それらが一瞬だけクオリアとエスの視界を遮った、その僅かな隙間で雨天決行レギオンも含めた、雨男アノニマスは消失した。


 認識できる範囲には最早人っ子一人存在しない。

 追うべきだ。

 ただし、とある一つの命を無視してまで、なんてことはない。


「優先度の変更を実施。フィールを至急探索する必要がある」

『Type WING』


 エスを背負いながら、空飛ぶ鎧ドローンアーマーで小雨程度に弱まった上空を飛び、フィールの探索を開始する。

 やはり先程の大洪水で一つの区画が纏めて掻き混ぜられてしまっているが、予測よりも範囲は狭い。上がり始めた雨に比例する様に、沈んでいた地面も徐々に顔を出しつつあった。


 雨の支配から一時的に開放されていく街の風景も、その風景の中に散りばめられた人の動きも、視界に入ったものを稀有な演算能力でもって一気に認識する。


「フィールを認識。アイナと子供8名を認識」

「フィールは、フィールは今どのような状況ですか!?」


 背にしがみ付くエスが、らしくない動揺を出力する。

 彼女を安心させる最適解言葉を模索していると、追加の情報がクオリアの眼に飛び込んだ。



      ■          ■


 どんどん血の気が引いていく一方で、震える全身を抑える事も出来ないまま、呼吸すらままならない苦悶の表情で弱っていくフィール。


「フィール様ぁ!」

「お姉ちゃん!」


 外傷は全く無いのに、まるで内臓が全て破裂してしまったかのように穴という穴からの出血が止まらない。

 明らかに先程、“天使の翼を生やして朱い槍を食い止めた”のが関係している。

 しかしそこに行き着いたところで、ならばどう対応すればいいのかがアイナには分からず、ただ死に向かうフィールの痙攣を眺めている事しか出来なかった。


「ど、どうすれば……!」

「やはりこうなりましたか……」


 アイナが振り返ると、シャツやズボンが全身に濡れてはくっつき、髪も酷く乱れた青年がフィールを見下ろしていた。


「あなたは?」

「名乗る程の者でも無ければ、そんな事を説明している尺もありません」


 名乗る程の者では無いが、アジャイルという名を持つ“資源開発機構エヴァンジェリスト”のリーダーは、切らした息を必死に抑えて直ぐにフィールの隣に寄り添うのだった。

 真剣な眼差しが、子供達にもアイナにも、フィールの味方である事を物語っていた。


……“詠上よみあげ”」


 何か診察をしているかのように、フィールの体へ手を掲げる。“詠上げ”――これは例外属性“詠”によって、“洗礼”が影響する魔力関連の動きを把握する為の魔術だ。

 勿論使徒になった際の魔力の変遷も、見逃さない。


「やはり、これは“使徒”の反動……。“洗礼”の影響を受けた魔力がぐっちゃぐちゃになって、これが連鎖して、内臓が酷くダメージを受けている……! 心臓も、もう止まりかけている……」

「“使徒”って……一度なったら、そこから先は福音詠唱ハレルヤっていうのを唱えれば、簡単になれるんじゃ……!?」

「随分と“使徒”の事に詳しいようで」

「……いえ」

「他意はありません。獣人ならば否が応でも、晴天教会の悪しき側面については触れざるを得ないでしょうし」


 アイナも、“使徒”については良く知っている。

 “蒼天党”の時代、事あるごとに“使徒”の存在をちらつかされては、人間達から脅されていたものだ。

 実際に、“使徒”が一つの街を滅ぼすのも見た事がある。


 だがその過去を慮るような目配せをアジャイルがした後、アイナの記憶にあった“使徒”という情報を修正する発言をする。


「……言っておきますが、バンバン使徒になれる方がおかしいのです。一回の発動で死ぬのがどっちかというと普通です。フィールさんもその類です。使徒化する為に、命をオールインしないといけないタイプなんですよ」


 ともかく、やはりフィールが内臓のダメージが酷いという事が分かったアイナは、何とかしようと考えをめぐらす。


「なら、早く休める所に置いて、医者に見せないと……」

「駄目です。この分では、ラック侯爵邸フィールさんの家にはとても間に合わないでしょう」

「なら、応急処置を……」

「使徒化の反動に対しては、例外属性“恵”以外では応急処置にもなりません。もう一つ、自然治癒というのもありますが……それが死路である事は言うまでもありませんね」

「そんな……」


 アジャイルは、上着を脱いで、フィールの胴体にかぶせた。


「ただ、場つなぎ程度なら…………」


 ネクタイも首元から取り、右袖を捲って掌をフィールに翳すと、淡くも暖かな若葉色の発光がアジャイルの右手全体を包む。

 例外属性“恵”。


「ユビキタスなんて存在を愚神礼賛してはいませんが、それとは別に

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