第276話 神殺しの槍、着弾1分前

 少しだけ、時を遡る。

 早朝。

 サーバー領を蹂躙する為に召集された“正統派”の騎士団が数万、その丘に勢ぞろいしていた。


 だがこの丘からでは、サーバー領の首都であるローカルホストの影も掴むことは出来ない。

 これ以上進むことが、出来ない。

 実質“げに素晴らしき”の頂点に立つ枢機卿、ランサム公爵の三男、ハルトが人質に取られているからだ。


「天にまします、我が主よ――」


 有利な状況をとことん利用したラックの文章が、小雨降る天へ祈りを捧げるランサムへ寄越されていた。

 まず、会談に臨む人数を、三人に制限してきた。

 しかもそのうちの一人はルート教皇を指名しているのだ。


 一方で、あえて三人としたのも馬車の御者を含めただけだ。

 ルート教皇は馬の扱いが上手くない。故に会談日である明日には、馬車でも使わなければ間に合わせる事が出来ない――つまり、会談日を最短にすることで、ランサム側が手札を揃える時間を奪い去ってきた。


 だが、獅子身中の虫となる事への狼狽は、ランサムに無かった。

 いつもの朝の祈りを終えたランサムが移動しようとすると、騎士の一人が報告に近づいてきた。


「ランサム様。デリート様も到着です」

「御苦労」


 短く返事をして、案内された場所へとランサムが赴く。

 そこには本部よりも、騎士が常駐していた。人数だけでなく、騎士の屈強度合いも違う。現在主力となる“使徒”も何名か配置されていた。

 その中心に、騎士や使徒が監視する視線の交点に、デリートはいた。


「デリート。応なら首を縦に、否なら首を横に振れ。それぐらいの可動自由は許している筈だ」


 拘束具。

 長男に着せる服としては、あまりに残酷な位に厳重だった。

 頭からつま先まで、何重にも純黒にして極厚の帯革ベルトを巻かれている。呼吸する箇所さえあるかどうか怪しいくらいに、隙間なく抑えつけられている。

 当然特注の魔力で編まれた帯革ベルトであり、本来は迷宮ダンジョン最下層の筋骨隆々な魔物を拘束する為のものだ。“デバッグ”を基にした人工魔石を練り込んでいる為に、拘束者の魔力も常に吸い取られている。

 人間がこの状態から抜け出す道理は、どこにもない。


「これより俺とルート教皇と、“マス”は、ローカルホストへ向かう。そこで何とかハルトを連れ戻す。それまで我慢しろ」


 デリートの首が、縦に振られる。


「しかし無いだろうが、在り得ないだろうが、天地神明に誓って杞憂と信じたいが、もしお前が拘束具を破って、また勝手に都市を破壊するような振舞いをすれば、ここのいる騎士達がお前を殺す。いいな」


 デリートの首が、縦に振られる。


「私の息子だから脅しだろう、と考えてはならぬぞ。いい加減、親子の情で酌量できるものでは無くなった。ここにいる使徒は十名。私も認める手練れの騎士が五百名。四六時中お前を監視し、もし拘束具を外すようなことがあれば迷わず異端認定して殺せと命令している。理解したな」


 デリートの首が、縦に振られる。


「よいか、誓え。ユビキタス様に。お前を産んだ母、ルクレツィアに。今の母にして、ユビキタス様の化身であるルート教皇に。そしてこの父に。勝手な破壊はせぬと、誓え」


 デリートの首が、縦に振られる。


「……ハルトを救出し、ローカルホストから出たら、お前の拘束具を外すように指示してある。だが勢い余って味方を殺す素振りを見せたら許さん。その破壊欲は、ローカルホストに向けるがよい」


 デリートの首が、最後まで横に振られる事は最後までなかった。


 

            ■              ■



 そして昼も過ぎた頃。

 ランサムとルート教皇という“げに素晴らしき晴天教会”の双頭を乗せた馬車は、“マス”というランサムの腹心たる老人を御者として、泥の林道もなんのそのの足取りで駆け抜けていく。


「本当に大丈夫でしょうね。ランサム公爵」


 ルートが、尋ねる。

 しかし馬車の窓を利用して自身の髪を整えているくらいには、敵地へ単身乗り込む事への恐怖には無頓着だった。殆ど社交辞令のような質問だ。


「ええ、ユビキタス様は我らのみに微笑んでおります故」


 それが分かっているからこそ、ランサムも気兼ねなく教皇であり、かつ妻へ平然と続けるのだった。


「ラック侯爵も馬鹿ではありません。自身が呼んだ会談にて、ルート教皇が弑されるなんて事があれば、それこそ全世界の信徒を敵に回す。あらゆる人間が、彼を悪魔と断定し、正義の波に圧殺される事でしょう……という事は弁えている筈です」

「でも彼は異端ですわ。あなたのラックに対する記憶は、共に私の父あの男と戦った15年前で止まっているのでしょう? そんな事も弁えない獣に成り果てていたらどーするのです?」

「さあ? かつての友人に失望するだけでしょう。その傷をユビキタス様は治してくれるでしょうか」


 わざとらしく両肩を竦め、宝玉のような果実を先程から口にするルートへランサムは良く回る舌で話を続ける。


「しかしルート教皇は慈悲深き母としてかのローカルホストに君臨するのです。貴女の本来着飾る必要さえない麗しさ、そして世界の悪を統べて包み込む母の愛、

「ええ、その通りですわ。輿


 ランサムは強く頷き、馬を御しているマスの背中へ目を向けた。


「万が一の時は、マスに護衛させます。

「ええ」


 ルートもすっかり機嫌を良くして、妖艶に笑窪を創っては腹を抱えて背後のベッドに転がるのだった。

 両手を天に掲げる。ランサムを誘う合図だ。

 隣に転がったランサムへ、ルートは掌を絡めて唇をそっと開く。


「しかし、我が夫よ。私の一番の愛を賜れるのはあなただけ。それを忘れない様に」

「光栄の至りにございます」

「ねえランサム。私、どうしてもロベリアの前で奪ってやりたい子がいるの」

「クオリアですな」

「私の神輿となり、そして私をローカルホストの悪鬼共から守り、そして……自らを誤った方向に誑し込んだロベリアとスピリトを、市民で公開処刑するという役割を与えたいわ」


 恍惚の境地に入り、唇を指で弄りながら反対の手でランサムの背中に手を回す。


「そしてあなたの所へ帰ってくる。あの父とすら呼べぬ背徳の異端から、私を救い出してくれたあなたこそが――」


 ぴく、と。

 ルートも、ランサムも止まった。

 刹那遅れて車輪を退く馬も突然暴れ出し、今は御者の役割を担っているマスもどうどうと馬達を鎮めつつ真上を見上げた。


「……この気配」


 二人共、馬を御しきれなかったマスを責める気さえ起きなかった。

 心臓が焦がされるような、燃え滾る魔力の余波。

 それは空から、真下に位置するルートとランサムの体をぐっと下に圧しとどめるのであった。


「まさか、そんな、在り得ない、この魔力は、デリートの……いや、奴はあれだけの拘束を受けている筈だ……」

「ええ。私も見ましたわ」


 ランサムはこの魔力の正体を知っている。この魔力を放てる使徒を一人知っている。

 ルートも同じく、この魔力の出所を知っている。


 だが在り得ない。

 在り得ない筈なのだ。

 最強の怪物たちを鎮める為の拘束具で、魔力を生存に必要な分以外を全て吸い尽くし、いざという時の為に強力な戦力を周りに配置しているのだから。

 

 と、自分に言い聞かせても、脳裏に貫く。

 


 冷汗を拭い、意を決してランサムは窓から空を見上げた。


 丁度、駆け抜けている時だった。


「“焚槍ロンギヌス”……やはりか……」

 

 朱い彗星が、雨雲を左右に吹き飛ばしながらローカルホストへ向かっていた。

 間違いない。

 あんな街一つ吹き飛ばせる例外属性“焚”の使い手は、一人しかいない。

 

 デリート・ルーデル=テルステル。

 世界最強の騎士にして、世界最強の使徒。


「あの拘束具を解いたのか……いや待て、使徒や騎士達は何をしている!」


 当然、その疑問が連鎖的に呼び起こされる。

 もう一つ、ランサムの顔を青ざめさせるに至る演繹も、脳裏で展開されていた。


 

 かつて一つの都を、跡形も無く吹き飛ばした神の槍“焚槍ロンギヌス”は、ローカルホストへ投擲された。

 という事は。


「ローカルホストには……まだハルトがいるんだぞ!」




        ■               ■


 使徒と騎士の血肉が、割れた玩具の様にデリートの後ろで散らばっていた。


 魔力や体力を根こそぎ拘束具に吸われた事によって、その足取りは非常に重い。だがまだ一部、頭部などあちこちに拘束具が纏わりついており、両手両足だけが自由な状態だ。順番にぼと、ぼと、と千切れた帯革ベルトを落としながら、体の穢れを落とすようにして泥濘の丘に足跡を残していた。


 自身が投げた“焚槍ロンギヌス”。

 その軌跡に漂う雲が隔てられ、神々しく隙間から陽が差し込む。

 だが救いのような陽光すら、禍々しき朱色の箒星の前には霞むばかりだ。

 

「……何故ですか……何故、御父上の言いつけを……」


 周りにはまだ騎士があるが、精鋭達の肉片を目の当たりにして、信仰心に付随する戦意さえ完全にへし折られていた。呪詛の様にそう呟くのがやっとだった。

 デリートが拘束具に纏われた頭を少しだけ上に向けただけで、辺りの騎士達は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。


「だって、まだ教皇も、父上も、ローカルホストに辿り着いていない。、問題ないと思った」


 意訳が過ぎる。解釈が歪んでいる。

 百人が百人、ランサムの命令をそんな風に捉えたりはしない。


「ですが……まだハルト様が、ローカルホストに……!」

「……アレは、考えなくていい」

「な……」

「もし、死んだら、まあ、それはそれで、いいんじゃないかな」

「しかし……」

「ふわぁ」


 デリートは、欠伸をしながら振り返った。

 拘束具に覆われた顔で、生き残った騎士達を刮目する。


「だって、また楽しい楽しい戦争が出来ると思ってたのに。退

 

 再度“焚槍ロンギヌス”を見上げた際には、100m

 眠そうな眼で、デリートは日差しに向かって祈りの言葉を向ける。


「天にまします我が主よ。あの“焚槍ロンギヌス”が、防がれますように……」


 と、そこで、建前の聖句は止めた。

 一切信仰心が宿らない、枢機卿かつ使徒にあるまじき瞳で、溜息を着く。


「って祈っても無駄か。もうあの槍は、もう防ぎ得る奴なんて現れないだろう……退


 死ぬほど、デリートは退屈だった。

 だから雨天の向こうにある、主たるユビキタス晴天を見上げ、こんな長髪文句を口走るのだった。


天にまします我が主よおーい、ユビキタスこのデリートをいい加減殺しに来てください遊ぼうよ

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