第277話 人工知能、ファイアウォールを見る

 豪雨故、空を見上げる用事など無かった筈なのに、ローカルホストの領地内にいた老若男女は一様に天空を斬り裂く朱い槍に目を奪われていた。

 雷鳴も稲光すらも気にならない程、一切戦闘の素養もない素人さえも、朱い終焉の気配に、理由のない恐怖を抱いては竦み上がっていた。


 当然、ローカルホストの大洪水の跡地で、今まさに戦おうとしていたクオリアと雨男アノニマスも、最早それどころではなかった。

 焚槍ロンギヌスとは何か。等と説明を要請する余裕さえ無かった。

 着弾すれば、このローカルホストが全て吹き飛ぶというのに、悠長に演算している時間など無い。

 ひとまず今は、例外属性“焚”らしきものであるという事前情報だけで良い。


 全てのタスクを破棄し、焚槍ロンギヌスを破壊する事だけに演算回路のパフォーマンスを回す。


「エス。あなたの大地讃頌ドメインツリーに装着されているフォトンウェポンを、焚槍ロンギヌス目掛けて斉射する事を要請する」

「要請は受諾されました」

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 大地讃頌ドメインツリーから無数の砲台が火を噴いたと同時、クオリアもフォトンウェポンを次々に生成する。


「各フォトンウェポンに搭載された“コネクトデバイス”、並びに“ドローンアーマー”に異常は無し」


 もう脳の回路を焼き焦がす負荷の悲鳴に気を揉んでる余裕はない。

 コネクトデバイスと空飛ぶ鎧ドローンアーマーの技術よる合わせ技で、脳波で自在に操作できるフォトンウェポンを一つでも多く生成し、数の暴力で焚槍ロンギヌスを撃ち落すしかない。

 しかし数里の距離を駆け抜ける荷電粒子ビームの直線は、次々と焚槍ロンギヌスの朱色に飲み込まれていく。


 エネルギー量がハルトやキルプロの比ではない。

 戦艦相手に弾丸で勝負を挑んでいるようなものだ。


 だがそれでも、無駄ではない。

 玉葱のように、少しずつ表面が削れていくのが見える。

 しかし、刻一刻と時間切れローカルホストへの到着が迫ってきている。


「状況分析……」

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 更に手数を増やす。

 荷電粒子ビームの直線が、どんどん大きくなる焚槍ロンギヌスへ特攻していく。

 しかし止まらない。

 だが、もうこれしか最適解が無い。

 

 バリアは最適解ではない。

 よしんばここにいる六人は守れるとしても、拡散する例外属性“焚”の灼熱に、結局ローカルホストを壊滅されるだけだ。


 一方、最大出力のランチャーモードならば焚槍ロンギヌスを一撃で葬れた公算はあった。

 しかし、これも最適解にはなり得ない。


「状況分析、LAUNCHER MODEの場合、焚槍ロンギヌスの到着までに発射が間に合わない可能性が高い」

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 辺りの空間は、ロングバレルのフォトンウェポンで埋め尽くされていた。

 圧倒的質量の荷電粒子ビームの残光で、薄暗い雨天の午後が照らされる。

 凝縮音と発射音、空気と雨を蒸発しながら朱い槍に集結する蒼白の光線が、また一つ、また一つ増えていく。


 ずぶ濡れになりながらも。雨水に頭蓋を滝行のように打ち付けられながらも。

 脳波酷使故の損耗具合が頂点に達しようとも。

 クオリアは演算を諦めない。

 トリガーを引くことを止めない。


 この街には、守りたいものが多すぎるから。

 この街には、守りたい人達が集結しているから。


 しかしまだ削り切れていない焚槍ロンギヌスが、もうそこまで迫っている現実をフィードバックする。


「……状況、分析」


 ふと、自身の胸に手をやった。

 一ヶ月前、0%へと稼働率を無力化した、兵器回帰リターン機構。

 心無き破壊兵器シャットダウンへの、片道切符。


兵器回帰リターン機構を含めた最適解の演算を開始……」


 また。

 兵器回帰リターンをするしかないのかもしれない。

 瞬間移動テレポーテーションで、焚槍ロンギヌスを宇宙に送りつけるか。

 あるいは素粒子干渉クァンタムで、素粒子分解するか。

 だがそれらを発動するには、やはり兵器回帰リターンしかない。


 叩きつける雨が、クオリアの判断を急かす。

 しかし隣で一心不乱に荷電粒子ビームを放ち続けるエスの顔を見る。

 先程頼りにしなさいと助けに来たスピリトの真剣な顔を思い出す。

 一緒に会話して最適解を見つけようと“よろしくお願いします”した時のロベリアの、少し報われた顔を思い出す。

 アイナの、沢山の顔を思い出す。


 胸部に埋め込まれた兵器回帰リターン機構へ手を伸ばす。

 その“美味しい”を、突然降ってきた横槍に掻き消されたくないから。


 だけど、彼女たちの“美味しい”の条件が、クオリアがクオリアである事、という事も知ってるから。


「“大丈、夫、ロベリア、アイナ、人間、に、戻る、から”」


 そして、“覚悟”を決めた。

 人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”に回帰する覚悟ではない。

 人間“クオリア”に戻ってくる、約束を果たすための覚悟である。



          ■         ■



 元人工知能よりも早く、“覚悟”を決めた修道女がいた。

 彼女の周りでは、孤児院の子供達がこの空の様に泣き出して、酷く怯えている。

 アイナという獣人も、前兆なくやってきた世界の終わりに、茫然自失となっていた。


 人工知能のような演算能力が無くても、“洗礼”を受けた身である以上――そして“使徒”である以上、身に染みる程分かる。

 あれが落ちれば、ローカルホストは終わる。

 皆、終わる。


「……信仰は物に宿らず。善行に宿る」


 フィールは目を瞑り、自分に言い聞かせるように呟くと――自身の胸元に身につけていた太陽のペンダントを、外したのだった。


「……このペンダントが怖いんだったね、アイナさん。だったら、


 反応に困っていたアイナの前で、ペンダントを水溜まりの中に落とす。

 そして、自らに迫る“死”を受容した眼で、優しくアイナに語り掛ける。 


「アイナさん。この子達の事、後はお願い。孤児院の場所、流石にこの子達も分かるから」

「えっ?」

「『あなたがたの悩みを、いっさいユビキタス様のものとしなさい。ユビキタス様がその重荷を背負うからです』……ケテルによる福音書5節7章」


 晴天経典の一説を、口にすると最後の笑顔を振り絞って見せた。

 太陽の様に。


「獣人でも、ユビキタス様はちゃんと見てるよ。あなたが負えない重荷を、ユビキタス様は負って下さる。お兄さんを失ったのは私達のせいだと分かった上でも、言わせてもらうね――あの時の苦しみが、どうか少しずつ、あなたの中の神に拾われますように」

「……フィールさん」



福音詠唱ハレルヤ



 フィールの背から、純白の優しき瞬きが開く。


『振り向くな 怯えるな 逃れるな 邪悪な試練を打ち破る事を 血肉を注いだ私がここに誓う 原初の大火も 怒れる洪水も 唆す穢れも 私の眼が届かぬことは無い 私の後ろに届くことも無い 私は信仰を盾とする もう片方の手で 貴方を導くために』


 不快感が取り除かれていく。

 雨に塗れた服からも、朱い槍が齎す恐怖からも、覗かれていく。

 ただその光を見ているだけで、アイナも子供達も安心する。


聖名わがなは“沈まぬ舟ノアズアーク”。フィール・スイレン=サーバー――使徒回帰リライト!」


 ふわり、と。

 修道女の背から分け与えられていた光は、天使の翼へと収斂した。


「これ……“使徒”……?」


 アイナの疑問符に、にこりと笑うだけで反応すると、“沈まぬ舟ノアズアーク”たる使は、今まさに全てを飲み込まんとする朱き槍に向かい、掌を伸ばした。



「“方舟ファイアウォール”」


 奇跡の壁が、ローカルホスト全体を余すことなく包み込んだ。


 結果、焚槍ロンギヌスが止まった。

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