第272話 魔術人形、問う⑦

 洪水の影響範囲から外れた場所。

 建物の屋根の下、アジャイルは先端に火のついた“タバコ”を加え、同じく屋根の下で何やら雨雲を見上げているウォーターフォールに小さな笑い声を聴かせた。


「どうです? 少しは、頭冷えましたか?」

「さあ? 大体、今日ちょっと蒸し暑いし」

「君が成人しているならタバコってアイテムで落ち着かせることが出来たのに」

「タバコも葉巻も煙、嫌いなんで。俺の方、向かないでくれます?」

「はは、口に出来て偉いですね」


 皮肉を口にしつつ、火の切れたタバコを専用の小ケースに詰めるアジャイル。

 一方、ウォーターフォールは雨模様を見上げたままだった。雷光が世界を照らそうと、眉を顰めることさえしない。


「この雨、多分もうすぐ止みますね。また降るでしょうけど」

「君が雨好きなんて趣深い事を言うとは思いませんでした」

「いや、逆です。雨は嫌いなんで――親しかった兄妹がギロチン好きの枢機卿に殺されたと絶望した日も、こんな雨だったんで。何となく、雨は分かるんす」

「……そうですか」

「しんみりする事じゃないです。両方結局生きてましたから。兄の方は一ヶ月前に、消えましたけど」


 頬杖を着くウォーターフォールの隣で、どう見ても上がりそうにない雨を一緒に見上げ、ふと、アジャイルは尋ねる。


「蒼天党のリーベですね」

「はい。で、さっきからこの方角に、どうにもリーベの懐かしい気配を感じてて。今日は霊脈も多く流れてるんですかね」




 同時刻。

 洪水の影響箇所には違いないが、足元浸水程度で済んでいる通り。

 アイナは、突如水嵩が出来た事に困惑しながらも、ふと気配を感じた。


「お兄、ちゃん……?」


 匂い。しかし、鼻だけで感じるものではない。

 これが霊脈の力なのだろうか。脳内に、幼き自分を庇って敵に棒を向けていた兄リーベの後姿がリフレインする。


 アイナは確信する。

 どこかで、リーベがあの頃と同じように、戦っている。

 きっと、リーベの魔石“クワイエット”生きていた証左を片手にしているエスの、傍で。


「お願い、エスちゃんと……クオリア様を……護って」


 号泣する黒い雲に向かい、アイナは声だけで祈る。

 かつて兄を殺した現人神などではなく、リーベが遺した意思を見据えて。


「――ここまでくれば大丈夫だから!」


 少女の声。加えて惑う子供達の声。

 怒涛の勢いで押し寄せる雨水を、いくつもの足音が深く沈む音を連続させる。


 陰から大小さまざまなシルエットが飛び出してきた。

 先に出てきたのは人間も獣人も入り混じった、まだ幼い子供達だった。

 そして、最後にアイナの前に跳び出してきたのは、アイナと同い年くらいの少女だ。


 その茜色の髪を濡らした少女は修道服を纏っていて。

 かつて兄を断頭した枢機卿と同じ、太陽のペンダントを胸まで降ろしていた。


「あなたは……」

「……」


 フィールだった。


 


         ■                ■





「……このチョコバナナで言えば、ワイら魔術人形は串みたいなもんや」


 水撃、というよりもはや爆撃だった。

 押し寄せるのが炎か、それとも建物すら飲み込む水か、という違いくらいしかない。

 建物が根こそぎになり、遂に押し寄せる激流に攫われていく。

 人より大きいものが水面に浮かんで、形を失い水底に沈んでいく。

 流石に目前の通り一つ分が程度の範囲が限界ではあるものの、ケイのスキル深層出力“滄海一粟シーラングレッジ”によって生成された河川の氾濫は、最早災害に位置するレベルにまで到達している。

 

 災害の前では、何棟の建物が倒壊したかを数えるのがやっとで、命などという矮小なものがいくつ消えたかなど、眼で追うのも虚しいものだ。

 ましてや、“道具”など。

 

「チョコバナナ自体は“美味しい”と評価される事もある。“不味い”と評価される事もある。でもいずれにせよ、人の記憶に残る権利は与えられる」


 ケイは、まだ手に持っていた串を見た。

 ……“当たり”、と書いてある。

 確かこれを持って店に行けば、もう一本チョコバナナがもらえる、という決まりらしい。


「けど、串には、“美味しい”も“不味い”もない。手に持っていた事さえ忘れられ、捨てられて、秒で存在しなかった事になる」


 しかし、“当たり”の文字から、串から目を背ける。

 今目前では、ケイの立っている場所を境界線として、災害級の鉄砲水が全てを圧し流している。


 聞こえるのはもう、ケイという魔術人形の嘆きと。

 大量の水があちこちに衝突するけたたましい連続音と。

 なお一層強く、ケイの雨具に叩きつける土砂降りだけが、ケイの聴覚を容赦なく抱きしめていた。


「なのに。ワイらが望んでないのに」


 エスは何も答えない。

 大災害の境界線、その向こう側にある水色の国。そこから何も声は聞こえない。


 “3号機”は何も答えない。

 “動いている”と“動いていない”の境界線、その向こう側にある無色の無。そこからも光栄に満ちた声は聞こえない。


 誰に問うてるかも、最早分かっていない。


「なんで、串に心なんて、患わせたんや」

「――それが、あなたが現在話したい事ですか」


 エスの声が聞こえた。


「えっ」


 この濁流に跡形もなく飲み込まれ、今頃彼方で瓦礫と水圧に圧し潰されている筈だ。


 にも関わらず、明らかに“滄海一粟シーラングレッジ”の範囲外、ケイの背後からエスの声が聞こえた。


 ただし。

 “見えない”。

 否、疑似肉体ゴーレムの視覚取得機能が、


「……これは、さてはリーベの力――!?」


 と口走った時には、既にケイは雨空に浮かび上がっていた。

 まるで、全身を見えざる蔦で縛り上げられている様だ。

 だが、今ケイを何が締め付けているか、認識出来ない。


 認識こそは出来ないが、ケイには分かる。

 この状況で体中を締め付けるもの。

 人工魔石“ガイア”によるスキル深層出力、大地讃頌ドメインツリーしか在りえない。


 だが、その宝珠も、幹も枝も一切認識出来ない。


「はい。魔石“クワイエット”によるスキル深層出力、真赤な噓ステルスを発動します」

「なんでお前が……あの獣人の力を……!?」

「その部分も含めて、私もあなた達雨天決行レギオンと話がしたいです」

「……うっ!?」


 泥塗れになっていたエスの姿が、ようやく見えた。

 しかし現れたという表現は正しくない。エスは最初から、その地点で滝のような雨に打たれていた。

 ケイが認識出来るようになった、という方が正しい。


「ほんまに……あのリーベと同じ事しとるな」

「はい。ただし、リーベは更に応用をしていました」 

「せやかて、真赤な噓ステルスでもこの激流を往なすなんて無理やろ……!?」


 この激流は通り全てを破壊し、沈めている。

 真赤な嘘ステルスは“認識が出来なくなる”というだけ、“消える”訳ではない。ならばやはりにいた以上、この激流に沈んで然るべきな筈だ。

 だがエスは、現に“滄海一粟シーラングレッジ”をかわしてにいる。

 真赤な噓ステルス以外のタネが、どこかにある。


「はい。私にはリーベのような機動性はありません」

「なら、なんで――」


 降りしきる豪雨によって泥が掃けていくエスの背後に、ケイはその理由を見つける。

 少しずつ、雨水が吸い込まれていく。

 “穴”。


「まさか、!?」

「はい」


 人工魔石“ガイア”。

 無機物であれば、何でも自由自在に操作する事が出来る。

 更に応用すれば、大地の中を土竜の様に移動する事だって出来る。

 だからエスの体が、泥塗れだったのだ。


 エス自体は大地に創った穴に入り、かつ入口を同じく“ガイア”のスキルで封じてしまえば、如何に大洪水といえどももう手が届かない。

 加えて真赤な噓ステルスを使われ、完全に不意を突かれた形だ。


 エスが指差す。

 全身に纏わりつく、大地讃頌ドメインツリーで止めを刺しに来ている。“桜咲クハニーポット”――魔力を吸収する桜に繋げられたら一巻の終わりだ。魔力不全で麻痺し、最低でも気絶せざるを得なくなる。

 エスと違って、大地讃頌ドメインツリーはまだ真赤な嘘ステルスが解かれていない。

 だが、どこを締め付けているかの大体の検討は突く。


「一か八かって奴か……!」


 突如四方八方の水溜まりから、ウォーターカッターが噴出した。

 エスに向けて――ではない。

 ケイ自身への、下手すれば自殺覚悟の操作だった。

 ただし、ケイだけではなく、一切見えない大地讃頌ドメインツリー諸共。


「想定外の事象を認識しました」

「下手な水鉄砲……数撃ちゃ、って言葉、知っとるか」


 びちゃ、と水面が叩かれる音。

 ケイの体が水溜まりの上に堕ちた。

 あちこちに吹き荒れた強烈な水圧による刃が、拘束を維持できないくらいに認識不可の大地讃頌ドメインツリーを断ったせいだ。


「私は理解していません。それも話してください」

「……?」


 エスは即座に次の大地讃頌ドメインツリーを放とうとせず、ズタボロに引き裂かれて立つのもやっとだったケイの左手を見るだけだった。


 チョコバナナの串をまだ握っていたケイの左手を。

 その串にちょこんと書かれてる“当たり”の文字を。

 

「それは“当たり”です。チョコバナナを、お前はもう一本食べる事が出来ます」

「知っとるわ」

「もう一度、食事をとる事を要求します。一緒に食事して、話す事を要求します。お前が話す、“串”の話も。私がこの魔石“クワイエット”を手に入れるまでにあった経過も」

「……」

「私は、やはりお前と話がしたいです」


 単なる“美味しい”をエスは求めていない。その時一緒に居る人の顔を見ながら、口で同じものを味わいたい。


 クオリアが、そうしてエスの心を引き出したように。

 エスもまた、そうしてケイの心を引き出したい。


「……」


 ケイも、そんなエスの“心”の発達を理解していた。

 エスは意識していないが、それが彼女なりの“道具”からの脱し方だった。


 しかし、彼の脳裏に浮かぶのは。

 ケイという成功作を生み出すために、魔術人形にさえ成れずに潰された失敗作の掌。

 魔石を破壊する刹那、何かを掴もうと伸ばした“3号機”の掌。


 掌が、全身を濡らす雨に同化して、ケイを縛ってくる。


「エス。ただな、この魔石のネットワークと違って、お前の口は最大でも十人と喋るのがやっとやろ」

「はい」

「お前言う“話し”じゃ、あの掌は消えない。ワイらを道具として扱ってくる人間の掌も、道具として消えていく魔術人形の掌も」


 エスは何も答えなかった。何を話すべきか、詰まっている様にも見えた、


「ワイらに心があると知った人類は、あろうことか魔術人形“2.0”を産み出した。その心を、根底から人間に尽くすような仕組みに変えた上でな……きっと10年もすれば、人間は魔術人形無しでは生きられなくなる。裏を返せば、その分だけ魔術人形が道具として扱われる惨状がある」


 現に、こうしている今も、魔術人形は量産され続けている。

 あの“ニコラ・テスラ”の手によって、次世代の魔術人形だって開発されているだろう。


「なあ、エス。ワイらはどうしたらええ? “心”とやらを信じて、一人一人に話して回るんか? 向こうは、ワイらの事を“心”の敵として判断するで? 話も聞かず、一方的に嬲ってくるで? 魔力干渉も防御セキュリティ働いてるで?」

「それでも、私は、一緒に“美味しい”を共有します」


 狼狽も、逡巡も、エスの声には無い。

 魔術人形らしいと言えば、魔術人形らしい。

 しかし彼女が手にしている“クワイエット”の魔石が、その魔術人形の領域を超えた事の証左を示している。


 ケイは、また幻を見た。

 エスに重なって、リーベという一つの物語が、こちらを睨んでいるのを。

 エスと、“美味しい”を共有できた獣人を。


「……ワイらは、同じ工場で創られた魔術人形なのに、患ったのは、なんでワイだけなんや」


 ケイは、顔を手で覆う。

 その狭間からは、恐らく雨水が零れている。


「どうしてこうも、違うんやろか」

「――ケイ!」


 エスの足元に、小さな雷が突き刺さる。

 光が迸るナイフ。

 エスが一瞬後ろに避けている間に、その持ち主であった魔術人形マリーゴールドが、シックスと共にケイの隣へ降りてくる。


「勝手な行動をしおって!! しかも満身創痍ではないか!」

「あなたは異常な行動を実施している。即刻帰還を要請する」


 老人のような少女マリーゴールドの声と、“クオリアを真似たような”少女シックスの声。

 二つの声に挟まれ、何か諦めたような顔になったケイ。


「優先事項を変更します。あなた達から、戦闘能力を消失させます」


 エスは、一旦対話の為の準備を始める。

 流石にシックスやマリーゴールドに先手を打たせては、戦いが激化する可能性もある。そうなれば、“生命活動の停止”もやはり視野に入れなくてはいけなくなる。

 ――それに、シックスやマリーゴールド、ここにいない他の魔術人形達とも“美味しい”を分かち合いたい。


 その為に、エスが先手を打つ。

 認識不可能の、大地讃頌ドメインツリー。更に大地讃頌ドメインツリーを取り囲むようにして、地面からも器用に形作ってはケイたち三人に穿たせる。

 攻撃力アップを目論んでいる訳ではない。

 大地讃頌ドメインツリーそのものの、防御力を上げる為だ。


(これで“滄海一粟シーラングレッジ”による自刃行為へ対処可能となります。これはシックスの“マグマ”にも有効で――)


『オーシャン』

『マグマ』

『ライトニング』


 ――その刹那、三人の魔術人形を構成する人工魔石が瞬いた。

 青、赤、緑――色の三原色が、互いの光に干渉し、純白の閃光へと溶けていく。


「やるしかないんじゃろか……!」

「これは、。ここで使う事は推奨されない」

「やらなきゃ、ワイらはあの守衛騎士にやられるで。覚悟きめーや――“魔石共鳴リハウリング”!」





 三つの人工魔石から、同じ声がしたと同時。

 認識不可能な筈の大地讃頌ドメインツリーも、大地の槍も――全てがした。

 その“四面体”の面を、通過した瞬間に。


「想定外の事象を認識しました。Type SWORD BARRIER MODE


 赤緑青がシャボン玉の様に色合い見せる、透明な四面体。

 3体の魔術人形は、かつてエスの危機を救ったクオリアの超越技術オーバーテクノロジーと同じ、設計外の奇跡に囲われていた。

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