第270話 魔術人形、問う⑤
先程エスがケイを助けた箇所から、一本の煙が上がっている。
しかし火事になるような事はしていない。自分とは無関係だと確信しつつ、とある路地の屋根まで、エスは駆けこむ。
何故創られたか分からない継接ぎの屋根の下。
それこそ壊れた人形の如く壁に背を預けて座り込み、何も映らぬ眼をただ前に向ける、ケイの隣で立ち止まった。
「……なんや、それは」
力なく、ケイが睨んできた。
手にしていた茶色く塗られたバナナの御菓子に向けて。
「チョコバナナです」
「……はぁ?」
「お前と、食事を実施する為です」
「食事……? 必要ないやろ」
「何故ですか」
「ワイらは――」
――魔術人形だから。
魔術人形に、食事は必要ないから。
疑似肉体の維持、行動に必要なエネルギーは、その製品寿命が切れるまで人工魔石から供給されるから。
そう言おうとしたのは、エスにも予測できた事だ。
しかし、喉まで出かかった返答を呑み込んだ事までは予測できない。
ただバツの悪そうなケイの顔。
それを見つめる一切揺らぎのないエスの顔。
その二つの顔が見合ったまま、世界は少しだけ停止した。
継接ぎの屋根を、雨水が叩きつける音。
場を持たせるように響く。
しかし沈黙の中で、エスは手に持っていたチョコバナナを縦に割り始めた。
「先程の店で購入したチョコバナナは、このように二つ割る事が出来ます。私の“おこづかい”上、購入できる上限です」
串が二本、一つのチョコバナナに刺さっている。しかしその間には切れ目が入っており、二つの串を左右に引けば、綺麗に簡単に割れる仕組みだ。
内一本を、ケイに差し出す。
呼応して手を出す事もなく、ケイはじーっと、差し出されたチョコバナナを見ていた。
「そんなに食べたいなら、自分の分だけ買えばよかったやろ」
「いいえ。それでは“美味しい”が不足しています」
「はぁ?」
「一人で食べた場合、“美味しい”は十分に取得できません」
「……」
「お前と一緒に食べる事を要求します。疲労している時は、より多くの“美味しい”を取得するのが一番です」
「……しばらく見ない間に、ふざけた個性を身に着けよったな」
ま、ワイも人の事言えんかと自嘲しつつ、更に口元にまで迫ってきたチョコバナナに思わず顔をそむける。
「私は、お前と“美味しい”を取得しながら、話す事をずっと要求しています」
じっと見つめるエス。
ケイは、折れた。
渡されたチョコバナナを、エスと同じタイミングで口に含んだ。
魔術人形。
雨天の中。
同じ壁を、背にして。
「ケイ、これをお前は“美味しい”と認識出来ますか」
「“美味しい”やないか? 初めて食べたもんで、よくは分からんが」
「
「あの人は、もう構造的に魔術人形と似たようなものや。少なくともワイらの前で何か食ってるのを見た事あらへんし、こうやって何か食事を貰った事もあらへん」
「では、
「いや。何人かは食事しとる。マリーゴールドなんかは、特に」
「マリーゴールドも、美味しいを要求するのですか」
「ちゃう。アイツが要求してるのは
ハッ、と揶揄うような笑い声が寂しく零れる。
しかしその短い音も、大きな雨粒の調べに掻き消される。
「マリーゴールドは、正しいです」
「……正しいんか? 魔術人形やぞ、ワイらは。“愛する”なんて事――」
「料理は、食べさせる相手の笑顔を想像しながら作ると、美味しくなります。アイナから、そう学習しています」
「そっちかい」
再び馬鹿馬鹿しいと脱力するケイだったが、裏腹に羨望の眼光が灯される。
「しかし、それが“美味しい”の特性なのかもしれません」
「言葉を正しく使えてないで。“美味しい”やない。食事か料理や」
「いいえ、“美味しい”です。食事において“美味しい”が宿る条件は、誰かと一緒に食べる事です。一人で食べると、“美味しい”は半減します」
「へぇ、じゃあ今は美味しいんか?」
「はい。美味しいです。だからお前も食べる事を要求します」
エスは既に半分ほどまでチョコバナナを食べていた。
まだケイは、一口しか齧っていなかった。
「お前達と、魔石のネットワークから遮断されてから、この“美味しい”をお前達と、共有する事を要求していました」
「魔石ネットワークでも、その“美味しい”までは共有できひんで」
「はい。だからお前と、チョコバナナを同時に食べている事は、私にとって有益です」
「……」
「私は、嬉しいです」
“嬉しい”。
少なくとも、エスの嬉しいは、“3号機”の嬉しいとは違った。
強制された光栄ではなく、自分で見つけた光が、その無垢な瞳に宿っていた。
眩しそうに、ケイは眼を細める。
「お前と、あの“3号機”の違いは何やったやろうな」
「“3号機”とは、あの建物の中で無力化されていた魔術人形ですか」
「間違いなく、ワイらを道具扱いするような奴がいないからやろな。あのクオリアも近くにおるしな」
エスの質問には答えず、ただ自問自答を繰り返すだけだった。
「お前の言葉から、“3号機”の役割について、考察していると推測できます」
「そうとも言えるな……エス。お前は今、何を目的に、生きて、いるんや」
“生きている”。
また、引っかかった。この言葉は魔術人形に似つかわしくないと、魔石のどこかで直感したからだ。
「わかりません」
「……そうなんか?」
「はい。だから私は、“生きている”状態です。私は、私の役割を探しています」
「守衛騎士団“ハローワールド”が、その役割ちゃうんか」
「現在は、守衛騎士団“ハローワールド”の一員として活動しています。その活動の中で、“私の役割”を定義しています。お前の言う、“目的”です」
「そうなんか」
「はい。ですが、“ハローワールド”の活動の中にも、私の役割と思えるものがあります。一緒に食事する人の生命を、守る事です」
「一緒に、食事をする人か?」
「はい。私はその役割を果たせず、非常に不安定な時がありました。アイナが生命活動の停止に瀕した時、私はとても、“悲しい”状態でした」
「……さよか」
「また、その時、クオリアも人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”へと、不可逆の変化を遂げました」
「……知らん単語が出てきたな」
「はい。クオリアの前世です」
「前世……異世界転生の話か?」
「はい。それと同義です」
「……」
「“シャットダウン”となって、クオリアの人格が消滅したと認識した時も、私はとても“悲しい”状態でした」
ケイはひとまず、その言葉をすんなりと受け入れた。
逸れた話をエスが戻しても、話題に再度取り上げることは無い。
「あの時、私はクオリアと、アイナと、“美味しい”を共有できない事に、非常に負の感情を認識していました。これから私は一人で食べないといけない事を、恐れました」
「……」
「だから私にとって、クオリアとアイナ、他にもロベリアやスピリト、フィールが、“美味しい”を共有できる人間がそのような状態にならない様、守衛行為に努める事は、役割の一つであるべきだと判断しています」
「役割、見つけとるやないか」
「他にも役割があると考えています。もっと上位の役割がある筈です」
“美味しい”を確かめるように、ケイがチョコバナナを食べた。
口の中で何度も、チョコとバナナが攪拌されていく。
「このサーバー領への移動でも経験しましたが、世界には多くの種類の料理があります。東方にも、“オニギリ”を始めとした様々な別ジャンルの料理があると認識しています」
「グルメの旅にでも出るんか? 文字通りの“美味しい”役割の探求やな」
「はい。しかしそれを一人で食べる事は、役割ではないと考えています。一緒に食べるから、“美味しい”です」
今、ケイとチョコバナナを食べているのも。
それが理由だ。
「ケイ。お前は、チョコバナナ、美味しいですか」
「……」
ケイは、最後の一口を頬張った。
口の中に果実と甘味の二重奏が木霊して、素直に答えた。
「ああ。何か美味しくなったわ」
「私は、嬉しいです」
「けどな。残念やが、ワイは、その“美味しい”の為には動けへん」
ケイは立ち上がる。
エスは座ったままだった。
『オーシャン』
雨は、止まない。
「なあ、エス。つまりお前は、“虹の麓”には反対なんやな」
「はい」
エスは立ち上がる。
ケイは胸の魔石を蒼く瞬かせたまま、立ち尽くしていた。
『ガイア』
雨は、止むことはもうない。
「“虹の麓”は“美味しい”を確実に排除します」
「間違いなく、お前の大好きな笑顔に満ちた世界やで?」
「お前は誤っています。笑顔である事と、“美味しい”である事は必ずしも一致しません。“虹の麓”は、“美味しい”の無い笑顔を量産します」
エスもチョコバナナの最後の一口を食べた。
美味しくなかった。
「私がお前を探していたのは、お前を止める為です」
「さよか。じゃあ、ここでお前の機能を止めたるわ」
ケイは既に回復していた。
エスだって、“
きっと、チョコバナナが美味しかったからもしれない。
……と、そんな都合が良い話ではなく、単純に時間が解決しただけだ。
エスとケイの関係と違って。
もう時間が解決する領域を超えた、二人の魔術人形とは違って。
「
「
ただ言える事は、エスも、ケイも、誰の道具として強制されたでもなく、この戦闘を始めたという事だ。
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