第269話 魔術人形、問う④
「お前……
ディードスの一件で“世に出回った”魔術人形達の情報については、ウォーターフォールも目を通している。魔術人形を事業のパーツにするにあたり、“失敗事例”については深く学んでおく必要があったからだ。
だからこそ、ケイよりもさらに一回り小さい黒髪少女がエスである事も推察できたし、同時に
「私は守衛騎士団“ハローワールド”を役割とするエスです」
すっ、と背を伸ばして堂々とウォーターフォールを凝視する魔術人形、エス。
真正直に自分の正体を口にする程の非常識さを持っておきながら、しかしその瞳はケイよりも澄んでいる。かと思えば、3号機のように偏った“心とやら”の有り様も感じられない。
「で? なんで
「否定します。これは私の
「エス……奴の腕時計に気を付けや……ワイらのすべてが無力化されるで……!」
何とか膝をついて忠告できるくらいまでになったケイを、そっと一瞥したエス。
その隙に、魔導器“
「
「確かにケイは誤っています。しかしケイが無力化されることは要求しません」
『“デバッグ”』
再び腕時計から声が鳴る。
「じゃあ仲良く壊れろ――
「“離脱を優先します”」
だが“
エスの“ガイア”の
そのスキルを使い、ぐにゃりと変形した地下室は上下左右からウォーターフォールを圧し潰さんと収縮する。
「……
たまらずウォーターフォールも退かざるを終えない。
先程までいた空間は、四方八方から隆起した地下室そのものに圧し潰されている。
ぐちゃぐちゃに組み替えられた、地下室の
その隙間のどこにも、エスもケイも既に見当たらなかった。
「“
若干の安堵を溜息に乗せて、“
丁度その頃だった。出払っていた
「ウォーターフォール!? これは一体何事だ!?」
「
何故“殺される”なんて単語を口にしたのか、自分でも分からない口の滑りに一瞬困惑したが、副リーダーを初めとした
どうやら彼らも、リーダーであるアジャイルとは別行動だったらしい。
「ただ、“
それを聞いて、副リーダー達も自分達の左腕にある魔導器“
「ただ、続けざまに来た“ハローワールド”のエスにケイを連れてかれました」
「何だと!?」
「“ハローワールド”はラック侯爵の客人です。抗議の文章を送れば、霊脈の利権についてこちらが幾分か有利になるのでは?」
「成程な……だがそれよりも」
何か目先の金塊に眩んだかのように、副リーダーの眼が細まった。
彼だけではない。副リーダーに付き従う人間達も、何故か共通の了解にいたったようだ。
「まだ近くにいんだろ。探してひっ捕らえようぜ」
まるで居酒屋で好みの女性に軟派を仕掛けようとするかのような軽さだった。
しかし、そこに重石を乗せる獣人が一人。
「何言ってんだ」
ウォーターフォールだけが、反対だった。
副リーダーを初めとした人間達は、駄々っ子を宥める様な雰囲気でウォーターフォールに諭す。
「また襲ってくるかもしれないだろう? その前に、こっちから始末するんだよ。こっちには実績も根付いた魔導器“
「小遣いならこの事業を成功させりゃ十分入んだろ。ってか、小遣いじゃなくて資金だろ」
ゴミでも見るかに目を細めるウォーターフォールに、困ったような顔を浮かべて両肩を竦める副リーダー達。
だが続けて反論を口にしたのは、ウォーターフォールだった。
「そもそも
「獣人の癖に、随分と弱腰な事言うもんだな」
ぴく、とウォーターフォールが眉を顰めた。
「ごちゃごちゃいうな。今ここにアジャイルがいない以上、全ての活動は副リーダーである俺が取りしき――」
「――そうですか。まさか
両手を後ろに組み、二者のやりとりをいつの間にか観察していたアジャイルの存在に、場にいた全員がぎょっとする。
「アジャイル……」
「この惨状を見るに、恐らく魔術人形のケイ、エスがここに来ましたね?」
曲がりくねって原型を留めていない水浸しの一室。更にずぶ濡れで機能停止した全裸の3号機。
何があったか、これだけで察したらしい。
「とりあえず、
「けど、“資金”を稼げるチャンスじゃねえか」
ウォーターフォールの肩を持ち始めたアジャイルに、先程まで“小遣い”と称した資金の存在を突きつける副リーダー。
しかし背筋をピンと伸ばすアジャイルの凛々しい佇まいに、変化は無い。
「資金を稼いでどうするんです? 懐に入れますか?」
「いや……この“
「確かに“オーシャン”の人工魔石は非常に貴重だ。かなりの金になるでしょう。しかし、今の活動資金でもリスク分含めて充分にやっていける事は、週次のミーティングで分かり切っている事です。命を懸けて手に入れるべき金とは思えないですね」
理路整然と言い分を一つ一つ潰していく弁論術に、次第に副リーダーも押し黙る事しか出来なくなっていた。
「忘れないで下さい。私達の目的は億万長者になる事ではない。株主達が望んでいる事、霊脈のエネルギー化だ。それをハイエナもどきの事をして、何も実績を残せなかった時、あなたは何と株主達に言い訳するおつもりですか?」
「だがな……」
「リーダーは私です。あなた達の意見にも勿論耳は傾けます。しかし、私がそうすべきだと判断した場合は、意地でも従ってもらいます――嫌ならどうぞ、別の地方にも“
舌打ちをして視線を逸らす事しか、アジャイルよりも倍の年齢を生きている副リーダーに出来ることは無かった。
その一方で、ウォーターフォールは水浸しの床から拾い上げる。既にチョコが大分溶け出してしまった、串に刺さったバナナを。
「チョコバナナですか。美味しいですよね」
アジャイルに声を掛けられ、「はい」と短く返す。だがねっとりと、推し量る様に顎を摩りながらアジャイルが続けて言う。
「しかし2本も買うとは……倹約家の君にしては太っ腹ですね」
「え? ええ、まあ……糖分、欲しかっただけなんで」
返す言葉に躊躇いを残しつつそのチョコバナナを見つめた。
濁った水に先程まで塗れており、常人ならば食べないだろう。だがウォーターフォールはそれを齧った。
「あー。まだ味は大丈夫ですね」
「食べ物を粗末にしない君の主義には感銘を受けますが、お腹を壊して明日の活動に支障をきたさない様に」
「大丈夫っすよ。黒くカビた残飯も、皆でよく食べてたんで」
「凄いですね。私は
「これからは、俺らみたいな腐ったモノを食べないといけない人も減る。だって俺は、その為に活動してる」
「そうでしたね」
副リーダーや、ケイの前とは打って変わって、気の置けない会話をアジャイルと繰り広げるウォーターフォール。
だが一口齧った2本目のチョコバナナは、それ以降口にすることは無かった。
まるでウォーターフォールが実施していたのは、ただの毒味であるかのように。
「ちっくしょー……3号機、こいつが一番かわいかったのになー」
「俺この子、今夜予約してたんだぜ? あ、なのに壊れちまいやがって……よ!」
ウォーターフォールの眼が剣呑とし、再び3号機へ向く。
一切の機能を停止した裸体を、苛立ちを込めた靴裏を擦り付けられても。余興とばかりに無抵抗の股を開かれ、晒し者にされても。思いっきり蹴りあげられて、側転して、出血のない打撲痕が増えても。
3号機は、何の迷いも無くそれが“癒し”ならばと喜んでいただろう。
「折角楽しみにしてたのに……いや、
そのうちの一人が、3号機の股から引き剥がされる。
獣人の強靭な腕力。一気に押し付けられ、灰の中の空気が全て飛び出る。
「がはっ!?」
「おい、な、何をするんだ!」
騒めく室内の中、ウォーターフォールは先程まで3号機に触れていた男の胸倉をさらに強く締め付ける。胸骨を折らん勢いで、壁と獣人の膂力でサンドイッチにし続ける。
「胸糞
「はあ!? 何言ってんだ、こいつは魔術人形だぞ! 有効活用だよ有効活用。わかった、わかった、お前に譲るよ、やっぱガキでも溜まってぁぁぁぁ!?」
軋む感触。胸骨を全て砕かん勢いと、額についた青筋が、辺にいた人間には理解不能なウォーターフォールよ怒りを表していた。
「ウォーターフォール君」
やり場のない憤怒が詰まったウォーターフォールの掌に、アジャイルの手が重なる。ウォーターフォールには力で叶わないが、それでも拳を仕舞わせるように誘導していた。
「暴力ではなく、ちゃんと口にして、君の考えている事を話しなさい。沸点が低いのが欠点と、示したばかりでしょう」
「……」
乱暴に手を離す。
咳き込む男には目も暮れず、落ちていた服を拾って3号機に着せていく。
下着から順に、最後には上着を着せて、そして開いていた目を瞑らせた。
「……“げに素晴らしき晴天教会”の連中が明日は特にうようよする。奴らにこの
「その通りです」
「そういう場合、可及的速やかに燃やすのが決まりになってますよね?」
「ええ。廃棄プロセスでは、確かにそうですね。さて、反論は?」
「いや、別に……」
アジャイルに話を振られ、先程まで押さえつけられていた男は痛がりながらも視線を逸らす。
「じゃ、後やっとくんで」
3号機を肩に担ぎ、反対の手でチョコバナナを持つウォーターフォールの後姿に、アジャイルの声がかかる。
「ウォーターフォール君、お願いしますね」
「ええ。後始末は俺の責任なんで。しっかり灰になるまで見届けときます」
外で舞い上がっていた火の粉が、雨雲に吸い込まれていく。
それなりに雨は降っているが、3号機を包む炎を搔き消すには全く水量が足りなかった。
隣で灰になっていく様を見つめていたウォーターフォールは、最後にチョコバナナを炎の中へ投げ込んだ。
ふと脇を、微かな霊脈の光が潜り抜ける。
揺れ動く蛍のような光は、まるで死人を祝福するかのように炎の中へ流れ込んでいった。
『私には食事の必要性が無い為、美味しいが分かりません』
最後に別れる直前、3号機はそんなエラーを発した。
今思い返しても、鼻で笑う事しか出来ない。
「美味しいかよ?」
魔術人形に、問う。
返答は、もうない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます