第263話 人工知能、匿名雨男が見ようとする“虹”のデメリットを聞く

 鳥が二羽、また強く降り始めた雨空を舞っている。

 クオリアは攻撃を加えることなく、ただ距離を取るだけの消極的な戦い方に戻っていた。

 一方で、雨男アノニマスは接近しては、破壊の両手両足を穿ち続ける。


 肉片や血を撒き散らしている事さえ、無視して。


「あなたは明らかに重度の損傷を及ぼしている。仮説不可能の機能で回復している事は認識しているが、あなたの損傷の拡散速度の方が大きい」


 グワァン! とクオリアのすぐ近くへ、雨男アノニマスが滑り込む。


「“虹の麓”を諦める方が、ラヴの夢が果たせない方が俺にとっては地獄だ」


 巌の如き縦拳。

 クオリアの体を掠める。削れる。

 しかし、一先ず雨男アノニマスと距離を取る事には成功した。


 だが、とても死にかけの肉体で出せるパフォーマンスではない。

 

「ひとまずてめぇを潰さなきゃ、俺も安心して仲間助けに行けねえんだよ……!」

雨男アノニマス。もう止めて!」


 再び雨男アノニマスが空中で接近を試みようとした時、ロベリアの叫びが二人の間を遮った。

 雨曝しの中、狐面がロベリアの方を向くことは無かった。


「権限でも使う気か? 第二王女さんよ。大切な部下が危ない目にあってるもんな」

「違うよ。空の涙ファブロスキッスの方もだよ。雨男アノニマス!」

「ロベリア。説明を要請する。それはどのような意味か」

「……さっき空の涙ファブロスキッスの条件、話したよね。世界規模で発動すれば、その中心地点にいる人間は死ぬ、って」

「肯定」

「この空の涙ファブロスキッスの完全発動には、もう一つデメリットがある」


 危惧の念が伴った言葉が、雨空へと飛んでいく。



使



 クオリアも目を見開かざるを得なかった。


「……これは空の涙ファブロスキッスの……“虹の麓”の中心にいるとか、そんなのは関係ない。発動した時点で、生命が失われる」

「状況理解……」

雨男アノニマスは“虹の麓”を世界規模で発動させさえすれば、後はどうでもいいと考えてるの。……そうでしょ」


 ロベリアが確認を投げかけるが、雨男アノニマスには届かない。


雨男アノニマス。説明を要請する。あなたは“虹の麓”の発動を通して、生命活動を停止させる予定なのか」

「スキル深層出力“廻閃環状ブロードキャストストーム”」


 クオリアの問いにも、答えを返さない。

 代わりに、二度目の竜巻回廊をクオリアにくっつけた。


雨男アノニマス……あなたは誤っている。これ以上は、あなたの生命活動に重大な影響を及ぼす」

「生憎と、俺はとっくに死んでる身でな……」

「あなたは誤っている。あなたはゴーストではない。あなたは“生きている人間”に定義される」

「肉体的にはともかく、精神的に死んでいる。辛うじて、贖罪と義務が俺の背中を押しているだけだ」

「説明を要請する。“贖罪と義務”とは何か」

。だからあの子の夢を、誰もが笑顔で明日を迎えられる世界を、“虹の麓”を、俺が叶える」

「説明を要請する。それはどういう――」

「世界を包む虹になれるなら、地獄だって天国にしか見えない」


 螺旋渦巻く畦道の中で、狐面がクオリアの言葉を断ち切る。

 全身から血が噴き出す。肉体の損壊が増えていく。

 しかし狐面の狭間にある眼が、反比例して満ちていく。


 右脚に再び、古代魔石“ドラゴン”の力が宿る。

 雨男アノニマスの背中に、両翼を広げた白龍が浮かび上がった――。



「――だったら私が斬ってあげるわよ」



 と、発言したスピリトは、その時点では確かに真下の大地に立っていた。

 数十メートル上空にいる雨男アノニマス目掛けてそう言い放つと、ぐぐ、と足に力を溜め。


 ぶ。


「スピリト!?」


 ロベリアが驚嘆の声を発した時には、小柄な体が“廻閃環状ブロードキャストストーム”と同じ高さにまで到達していた。

 重力を無力化するオーバーテクノロジーも、龍の翼も無い。

 故に後は、落ちるだけ。

 しかしその間に、雨男アノニマスとの三次元的な間合いは十分に詰めていた。


 抜刀は、とっくに完了している。

 刃引きもされていない、正真正銘の長剣を上段から振り下ろした。


「ちっ」


 完全に不意を突かれた形となった雨男アノニマスだが、舌打ち一回で切り替える。

 “廻閃環状ブロードキャストストーム”が、拡散する。

 クオリアと雨男アノニマスを繋ぐ回廊から、水平方向へ伸びて渦巻く災害へと変貌する。

 龍の加護によって激流と化した空気の循環は、魔物の爪の如く触れた人間を削る。

 スピリトも、その矮躯な体を例外なく削られていく。


「このっ……!」


 だが上段に構えた刃が止まることは無い。

 “聖剣聖”の刃を止めるまでには至らない。

 一層柄を強く締める。


「とぅおら!!」


 そして最上段から、渾身の一撃を振り下ろす。

 “廻閃環状ブロードキャストストーム”ごと、龍の体を裂いた。

 

「“聖剣聖”……!」


 渦巻く強烈な暴風によって剣閃が弱まった。深く刃が入り込まない。


「だが、落ちろ」

「浅い……っ!?」


 反撃の裏拳を刃で防ぐも、そのまま上空から叩き落とされる。

 一方で、“廻閃環状ブロードキャストストーム”から解放されたクオリアが、空飛ぶ鎧ドローンアーマーを操作し、重力に引きずり降ろされるスピリトに追い縋る。

 

「スピリト。あなたの生命活動に危険が生じている。クオリアの手を掴む事を要請する」


 上空からの落下。

 通常の人間ならば間違いなく即死。

 そう予測するクオリアを若干面白そうに、嬉しそうに藍色の瞳で捉えると、スピリトは落下の恐怖なんて一切感じさせないあっさりとした様子で、くるくると体を縦回転させた。


「あー大丈夫大丈夫。師匠を舐めないで。こういう事もあろうかと、受け身くらいはマスターしてるから」

 

 と言い放った通り、地面に激突――しなかった。

 紛う事無く、“着地”だった。

 完璧な受け身の上での、着地だった。

 地面を踏んだ時の圧力、全てを殺しての着地だった。

 上空で“廻閃環状ブロードキャストストーム”に削られた軽度の損傷以外は、スピリトに異常な部分は見られなかった。


「スピリト……」


 茫然とするロベリアに、両肩を竦めてスピリトが返す。


「いや、さっきからお姉ちゃんの後ろにずーっといたけど、クオリア以外は多分気付いてなかったね……で? エスがやばいんだって?」


 クオリアが頷く。


「肯定。自分クオリアはエスを救出しなければならない」

「じゃ、あの自殺志願者の戦闘相手と、不肖の姉の話し相手は引き受けたわ。君は同じ守衛騎士団“ハローワールド”の仲間を助けに行きなさいな」


 雨男アノニマスとロベリアを交互に見て、スピリトはクオリアの背中をこんな言葉で押した。


「トロイの第零師団と戦ってる時、言ったでしょ。誰かを頼る事を憶えなさいって」

「……スピリト。“ありが、とう”」


 たどたどしい御礼を言うと、クオリアの体が浮かび上がり、コネクトデバイスが差すエスの地点まで飛行を始めた。


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